茨城症候群

 

ガードレールの猫

  • 2010年4月 3日 23:53

今朝、歩道のガードレールの上を猫が歩いていたんです。真っ白い猫でした。

猫がガードレールの上を歩くなんて珍しいじゃないですか。歩くなら歩道を歩けばいいものを、どうしてわざわざそんな歩くのにも足の先が痛そうな細い場所を歩こうとするのか解りません。ですから私はちょっと面白いと思って、携帯電話で写真を撮ろうとしたんです。話の種にもなりそうでしたし、私はネット上でブログをやっていましたからそこに載せればコメントが沢山付いて注目を浴びるかも知れない、そう思ったんです。

そしてちょうどバッグから携帯を取り出そうとしたところでした——その猫が、突然こちらを振り返って恐ろしい形相で私を睨んだんです。まるで「俺を撮るな」と言っているかのように。本当に恐ろしい形相でした。ライオンが獲物を見付けて今にも飛び掛かるか飛び掛からないか、そんな時に獲物を威嚇しているかのようでした。

私はその猫の顔に思わずびっくりして、バッグから取り出そうとしていた携帯をアスファルトの道に落としてしまったんです。あ、と思った時にはもう何もかもが遅かったのでした。運が悪くも携帯は固い地面に落ちた衝撃で液晶が割れてしまい、ガードレールの猫はいつの間にかどこかへ去って行ってしまいました。

私は猫を撮ろうとして、その猫に脅され、携帯電話は壊れてしまったのです。二重の困惑に襲われて、私はしばらく慌てふためきました。

携帯には仕事上の取引相手やプライベートな友人の連絡先、思い出の写真、暇潰しに楽しんでいたゲームなど重要な情報が色々と入っていましたから、携帯が壊れているいないにしろまずそれらの情報を救うことが最優先だと考えました。そして急いで近くの携帯電話のキャリアの店へと走ったんです。店に入った時、私がどんな顔をしていたか分かりません。きっと慌てていて真っ青で今にも倒れてしまいそうな顔をしていたことでしょう。その証拠に、店員がまるで見たことのない変な生物を見るかのような表情であったことは覚えています。

店員との細かなやりとりは慌てていたせいか忘れてしまいましたが、結局携帯は落ちた衝撃で電源も入らず、その上全ての情報もろとも失われてしまったそうです。そのことを告げられた後に店員は新しい携帯の機種を勧めて来ましたが、私はショックのあまりそれを断って店を出ました。何しろ、もうあの携帯に入っていた情報は全て帰らぬものになってしまったんですから。

それから家に帰るまで、どのように帰ったかさえも覚えていません。気付けば、私は暗い部屋で液晶が割れがらくたとなってしまった携帯電話を机の上に置いて眺めていました。

どうしてこうなってしまったのか、思い返すとあのガードレールの猫が始まりでした。猫を撮ろうとして猫に睨まれ、驚いて携帯を落とした。そして携帯は壊れ、私にとって重要な情報が全て消えてしまった。あの猫さえ撮ろうとしなければ、ただ「ガードレールの上を歩く猫」という可愛い光景を見るだけにして通り過ぎさえしていれば……!

私の目には、あの猫の顔が鮮明に焼き付いています。猫を撮ろうとして携帯を取り出そうとした時の、あの恐ろしい顔。それを思い出すだけで、私は今も震えが止まりません。


その午後、不思議な電話が掛かってきました。携帯電話は壊れていましたから、家の固定電話に掛かってきたんです。

「……もしもし」と私はショックを引きずりつつ、暗い声で応えました。すると電話の向こうの相手は「ヤマモトだけど」と名乗りました。低い声でしたから、男性だったんでしょう。

「ヤマモトさん? どちらのヤマモトさんですか?」

「俺がどこを歩こうが俺の勝手だ。俺を晒し者にしようとするんじゃない。お前は自分の自己顕示欲のせいで、全てを台無しにしたんだ」

 

移転のお知らせ

  • 2009年12月 7日 00:20

移転しました。(嘘)

 

一人きりの希望

  • 2009年10月 7日 19:37

「ねえ、さっきから何見てんの? アンタもあたしのこと馬鹿にしてんでしょ? 分かるよ、その目見ればさ。ああ可哀想、この子はきっと馬鹿な親の元に生まれてろくに育てられずに家庭崩壊した家にうんざりして思い切って飛び出してそれっきりもう帰る家もない、こんな汚いかっこで夜の繁華街で声掛けてくる気持ち悪いオヤジから金を騙し取ったり食べ物をドラッグストアで万引きするしか生きる道がない、ああほんと可哀想、って思ってるんでしょ。その通りだよ。その通りなんです! あたしはもう帰る家もないの。ねえ、どこに帰ればいいの? 教えてよ。ねえ。あたしはどこに帰ればいいの? またあのなけなしの生活保護費をパチンコに注ぎ込むだけが家事だと思っちゃってる馬鹿な母親と働きもしないで昼間っから酒を飲んでばかりで夜になったら暴力を振るうことしかできないアル中の父親のところに帰ればいいの? 帰れるわけないじゃん。あそこに帰るくらいなら死んだ方がマシだよ。あいつらもそう思ってるよ。あたしなんて死んだ方がマシなんだ、って。ていうかあたしはどうして生まれてきたわけ? 何であいつらはあたしを産んだの? 意味分かんない。初めからあたしをろくに育てるつもりがなきゃ、あたしなんて産まなきゃよかったんだよ。全然可愛がってもらった記憶もないもん。ぶたれたり蹴られたり突き飛ばされたり置き去りにされたりっていう記憶しかない。生まれた時からずっとそんな毎日だったし。学校? 小学校には行ったよ。でも、ほんと嫌な思い出しかない。入学式だって周りの子はみんなドレスみたいな可愛い服着てるでしょ? でもあたしはそんなの買ってもらえなかったからぼろぼろの汚い普段着。あいつらは入学式に来もしなかった。みんなはお父さんお母さんが一緒に来てるのに。あたしだけ一人。みんな写真やビデオ撮ってもらったりして笑ってる中であたしだけ一人でぼーっと立ってた。馬鹿みたいでしょ? 絶対あの時その場にいた人からは、あの子気違いなのかしら、とか思われたよ。帰っても家には暗い四畳間の中に酔っ払った父親しかいない。入学おめでとうの一言もなかった。それどころか酒臭い息を吹っ掛けながらあたしをぶっ叩いて、先生に胸に着けてもらった「入学おめでとう」のバッジをひっちぎって、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てやがったんだ。それで悔しくて泣いたら、またぶたれる。ほんとあり得ないよ、あのクズ親父。それで入学してからは友達もできなかった。よく友達百人できるかな、とか歌あるでしょ? あの歌今聴くとむかむかする。だってあたしには友達が百人どころか、一人もできなかったんだから。あたしだって友達と一緒に遊んだりしたかったんだよ。でもあいつら、クズ以下の母親と父親が、友達と遊んだらぶっ殺す、って言うから遊べなかった。だから友達ができなかった。友達と遊べないから、みんなからは変な子扱いされて、六年間ずっといじめられっぱなしだった。臭いとかバイ菌とか言われて一緒の班になった子からは必ず机を離されて、話し掛けても何も返ってこないのは日常茶飯事。それでもあたしは学校へ行った。ほんとは学校にも行きたくもなかったんだよ。でも家にいてもあいつらから殴られたりタバコ押しつけられたりするだけだし、それよりは学校に行っていじめられた方がまだ楽だった。低学年の頃はいじめも馬鹿にしたり笑ったりするくらいの低レベルなものだったけど、学年が上がってくるとどんどん酷くなってった。四年生の頃だったかな。葬式ごっことかされたことがあった。朝来てみたら、あたしの机の上に花瓶に入った花が飾られてるの。黒板に「○○さんは死にました。ナムアミダブツ」とか書かれてて。あたしはもちろん嫌な思いがしたけれど、それよりも花が可哀想だった。こんなに綺麗に咲いてる花なのに、あたしみたいなのをいじめるための道具に使われててさ。あたしは黙って花瓶を教室の元の場所に戻して、黒板の文字も消した。それで席に戻ったら、今度は椅子の上に画鋲が置かれてて。画鋲は全部刺す方の部分が上を向いてた。みんな顔をあたしの方に向けてて、どんな反応するか見てるんだよね。その時ちらっと見た目つきが、ほんっと嫌なものだった。今思い出しても寒気がするくらい。でもその目が見てる中であたしが反応したらそいつらの思うつぼだから、一切表情には出さないで片付けたけど。たぶん、あたしのポーカーフェイスぶりはこういうこともあったから磨かれていったんだよね。そう言えば学校では誕生会もあって、月ごとにクラスの誕生日の人を祝う会があったんだけど、それも酷かったよ。一人ごとにプレゼントがクラスのみんなから渡されるんだけど、あたしへのプレゼントは何だったと思う? ゴミだよ。その朝にゴミ箱に入ってたゴミを白いビニール袋に入れられて、それをあたしにプレゼントしたんだよ。ほんと馬鹿じゃないのって思った。虫の死骸とか渡されるよりはまだマシだったかもね。先生? あんなの見て見ぬフリをしてるだけじゃん。掃除の時なんて、先生の目の前であたしがホウキで足を引っ掛けられて転ばされたり、バケツの水を浴びせられたりしても、何も言ってこなかったもん。どうせあたしが何言っても対処してくれなかったよ。ていうかむしろ一緒になって笑ったりしてたくらいだし。だから初めから先生には何も言わなかった。それでもとにかく、学校のいじめの方がまだ家よりもマシだったんだから。母親は朝から夜まで一日中パチンコでいないし、父親は朝から夜まで一日中酒飲んで家にいるし。そんなとこに帰りたくなかった。でもそこしか帰る場所がなかったんだよ。いつだったっけな、可愛い綺麗な服が欲しくなって、いけないことだと分かってたんだけど、万引きしたことがある。あいつらはボロ着しか買ってくれなかったしね。試着室で着替えて、そのまま店を出て行こうとしたんだ。そしたら店の人にすぐばれて、警察に連れてかれた。住所とか電話番号とか聞かれて、そしたら酔っ払った父親が来て。あたしの顔を見た途端、何言ってんだか分かんないけど怒鳴り散らしてあたしはぶん殴られたり蹴られたりした。あいつは警察の人に押さえ付けられるくらい暴れてたね。これがあたしの父親だって認めなくなかった。こんな父親とあの母親のせいで、あたしはこうなったんだから。それでその時に警察から児童相談所に連絡が行ったみたいで、それから時々家に相談所の人が来たことがあった。でも母親はパチンコでいないし、家には酔っ払ったアル中親父しかいない。話にならなかったみたいで、相談所の人はいつもすぐ帰って行った。相談所の人が来たことが父親を刺激したのか、その後はたいていあたしは殴られた。おかしい話でしょ? あたしを助けに来てくれるはずの人が来たことであたしが暴力を受けるってさ。もう誰もあたしを助けてくれないんだって。あたしは一生この家から逃げられないんだって。ずっとそう思ってた。正直言って、死のうと思ったこともあった。ちょうど母親も父親がいない時に、台所から包丁を持ってきて自分の首筋に当てたりもした。カーテンレールにタオルを垂らしてそれで首を吊ろうともした。ほんの少しだけ力を入れるだけで、首を輪っかに入れるだけで、あたしはあの世に行けるんだって。こんな世界、こんな自分とはもうさよならだって。生まれ変わって、自由気ままなカラスになるんだって。そう思った。でも、できなかった。ああ、あたしほんとは弱虫なんだ、って思って、泣きながら包丁とかタオルをしまったよ。弱虫と言うか、死にたくない気持ち、生きたい気持ちがまだあるんだ、って気付いた。こんな酷い惨めな生活なのにだよ? どこに希望があるの? 馬鹿じゃないの? 死んじゃえばいいのに。でも死ねなかった。って言うことはやっぱりどこかに希望があるんだ、って思った。それからあたしはずっとそのどこかにある希望を頼りにして生きてる。どんなに家で殴られても、学校でいじめられても、希望が待っているんだって。そう思いながら中学に入ったけど、やっぱりそこでもあたしはいじめの格好の対象。まあこっちは慣れっこだからいいんだけど。しつこいよね、あいつらもさ。内申点のためにいい子ごっこしてストレスが溜まってるんだか知らないけど、その裏で誰かをいじめてないと気が済まないんだろうね。そのまま学校でも家でもずっと耐えて、二年、三年に進級したんだけど、この頃になると高校進学の話があってさ。あたしなんて授業中はぼーっとしてるだけで勉強もしてないから成績もぼろぼろで、高校なんて通えないじゃん。どうでもいいやって思って、一ヶ月くらい前にちょうどあの馬鹿母親とアル中父親が喧嘩してたから、その隙に母親の財布から金をくすねて東京に出てきたわけ。今までずっと知らなかったけど、あいつパチンコで相当儲けてんだね。十万円くらい入ってたよ。でしばらくはそれで新しい服を買ったり食べ物買ったり寝泊まりしたりしてた。そのうちに同じ年頃の家出仲間とか見付けたりして。あの子たち、何かあたしと同じ境遇なんだよね。タイプが似てるって感じ? 家でも学校でも除け者で、どこにも居場所がないってとこがさ。ここにいるのは、学校や家にいるより楽しいよ。いじめも暴力もないもん。でも、見つからないんだよね。希望ってさ。もう金も尽きちゃったし。かと言って今さらあの家にも帰れないし。バイトしようと思ってもどこがあたしみたいなのを雇ってくれると思う? 住所不定の女の子を。だからいっそさ、どっかの国から日本中にミサイルが降ってきてくれればいいと思うくらい。それでみんなあたしみたいになればいいんだよ。そしたらさ、みんな一文無しの住所不定になって、みんな平等。これでいいじゃん。誰もあたしを助けてくれなかったのが悪いんだからさ。いじめに関わってない同級生も、親戚も、近所の人も、先生も、医者も、警察も、市役所の人も、実業家も、政治家も、誰もあたしの不幸を見ようとしてないし。みんな自分のことばかり考えてる。自業自得だよ。ミサイル降ってきてくれないかなーってマジで思ってるよ。これがあたしの希望かな。暗い希望だよね。でもそれしかないから。あたしにとっては、唯一の明るい希望」

彼女の話を聞いて、僕は安堵した。そして胸ポケットから小さなスイッチを取り出すと、躊躇いなく押した。

しばらくすると防災無線が鳴り響き、おそらくはミサイルであろう飛翔体が日本に向けられて数発ほど発射されたというアナウンスが聞こえた。夜の繁華街は一瞬にして、逃げ惑う人々の嵐に包まれた。

「うそっ、何これ? マジで? やだ、逃げないと……、どうしよう!」

彼女は驚いたように立ち上がると、周りの人たちと同じように焦った様子をしながら僕の目の前からどこかへと走り去って行った。やがて群衆に溶け込んで、その鮮やかな茶髪も見えなくなった。僕は、一人きりになった。

……なんだ。君も嘘吐きだったんだ。

 

俺と彼女とブックマーク

  • 2009年9月26日 01:45

毎日、近所の図書館に通うのが俺の習慣だった。俺は自宅にインターネットに接続できる環境がないから、その図書館のパソコンを使ってインターネットのサイトを閲覧していた。パソコンは一台しか置かれていなかったが、俺がパソコンの前に長い間いても他に誰も待っている様子はなかった。何せこの図書館では、俺のような若い連中を全く見掛けたことがない。過疎地と呼んでもいい田舎だからということもあるのだろうが、図書館に来るのはだいたい暇のあるようなお年寄りばかりだ。彼らはコンピュータの使い方も解らないし、そもそも興味もないんだろう。俺が使わなければ、誰が使うだろう? そんな状況だったから俺は誰にも気兼ねすることなく、俺自身が飽きの来るまで、長ければ一日中ずっとパソコンを使うこともできた。

ある日、いつものようにサイトをだらだらと巡っていると、一つのサイトに辿り着いた。「山本テロリズム」という仰々しい名の付けられていたそのサイトは、デザインは全く洗練されておらずにただ真っ黒な背景に赤文字という悪趣味の範疇を出るものではなかったが、その内容が俺の興味を惹いた。

「自己殺戮記」というこれまた仰々しいタイトルのコンテンツが、そのサイトのメインコンテンツであるらしかった。単純に言えばサイト管理者の日記なのだが、これがずいぶんと酷い。

とある日の日記には、掛けている眼鏡が気に入らないからと足で踏み潰して粉々になるまでの過程の写真が載せられていた。その際に足に傷を負ったらしく、血まみれになった足の写真すらあった。またある日の日記には、鏡を見ている時に左目が自分を憎らしげに睨んでいたからと言って鏡を窓に投げ付けてガラスごと割ったという記述もあった。実際の左目も自分で殴って傷付けて視力を落としたとも書かれていた。

ざっと見ると他の日も同じように自傷をモチーフとした内容で、そのような日記がおおよそ二年分、ほとんど毎日欠かさずに書かれていた。サイトには自己紹介のようなページはなかったが、日記の記述や写真にちらりと写っていた顔から考えて、高校生くらいの若い女性であるらしかった。そんな子が、こんな自虐的な暴力を振るっているのだ。それも、日を経るごとにどんどんと酷くなっていく。そのうちビルから飛び降りたりするのではないかとさえ思えてくる。

こうした他人が壊れていくさまを見るのが、俺には面白くてたまらなかった。退廃的で、しかし耽美的でもある。そしてこの「山本テロリズム」こそが、まさにそのストライクど真ん中に当たるものだった。

俺は思わず、そのサイトをブラウザのブックマークに入れていた。全ての日記を一日に見るのは難しいから後でまた見に来ようと思ったし、何しろ今後の彼女の繰り広げる展開が気になる。パソコンは共有のものだったが、どうせ俺くらいしか使わないのだからブックマークくらいいいだろう。その時点では、それを大して気にすることはなかった。

翌日、昨日見たサイトを見ようとブックマークを開いた。けれどもそこには、「山本テロリズム」の項目はなかった。ブックマークに入れる際の手順にミスがあったのだろうと、特に気にせずに「山本テロリズム」を検索サイトから探し当て、再びブックマークに入れ直した。

その日は更新はなかったが、俺は過去の日記を見て楽しんだ。やはりこの管理者の少女は病んでいる。病み切っている。俺は自然と白い歯をあらわにして、一人で笑っていた。

その翌日も、「山本テロリズム」を見るためにブックマークを開いた。そこで初めて、俺は異変を感じた。昨日と同じように、入れたはずのブックマークが消えている。他のどうでもいいブックマークには何も変わりはなく、消えてはいない。俺は二度も自分の行為の幻を見たというのだろうか? そんなはずはない。これは誰かが、消しているのだ

では誰が消しているのだろう? 図書館の職員がブックマークを一つ一つ見て、共有パソコンに相応しくないサイトを消している? 考えられなくもなかったが、職員の老いた面々を見る限り、そんなリテラシーがあるとは思えなかった。

誰かがいたずらで消しているのかも知れない。そうだとすれば、そんないたずらにいちいち楽しみを奪われるのも癪だ。ここはあえて気にしない方がいいのかも知れないと思って、俺は昨日と同じように検索サイトから「山本テロリズム」へと飛んだ。

けれどもそこには、昨日までの陰鬱な光景は見えなかった。代わりに、「403 Forbidden」という、ページを閲覧する許可がないことを示す質素なエラーページが表示されていた。

どうしたのだろうと思い、俺は更新ボタンを何度も繰り返して押した。しかし、サイトが見られない状況に何も変わることはなかった。ただ「403 Forbidden」だけが表示され続けていた。

俺は楽しみを一つ奪われた気がして悔しくなり、ため息を吐いて舌打ちをした。「久々に見つけた面白いサイトだったのにな!」と独り言が口をついて出さえもした。

すると突然、後ろから細い声が聞こえた。

「……あたしのサイト、そんなに面白かった?」

振り向くと、左目に眼帯をした色白で髪の長い女の子が立っていた。その顔は、ちょうどその時開いていた URL にかつてあったサイトで見た写真に写り込んだ顔と、全く同じだった。彼女は薄笑いをしながら、その右目で俺を真っ直ぐに見据えていた。

 

残された白猫

  • 2009年8月15日 02:48

おいらの主人がいなくなって、もう二ヶ月が経った。ある日何も言わずに突然姿を消してしまって以来、ずっと帰って来ていない。部屋の中はすっかり動きを失って、毎日が止まっているかのように見えた。

まさか猫の世話というものがいい加減嫌になったから、おいらをほっぽり出したままどこかへ消えてしまったというわけじゃあるまい。だいいち主人はそんな単純な人間じゃない。おいらは主人と一年半も暮らしたくらいだから、それは分かる。失踪には、何か単純ではない複雑な特別の事情があるに違いなかった。

ただ主人が失踪したなら、寂しいというだけの問題で済んだ。主人は飯を作って恵んでくれたり暇な時はじゃらして遊んでくれたりしたりしただけだったから、おいらはただの飼い猫として居候していたと言ってもいいだろう。けれども主人とおいらの関係はそんな居候し居候されだけのものじゃなかったから、主人の失踪はおいらにとっては寂しいどころではない問題でもあった。

飯の方は、主人がいない間でも何とかなる。腹が減れば窓の隙間からちょいと出て行きつけのゴミ置き場を漁ればありったけの飯にありつけるし、あるいは他に猫を飼っている家の庭にお邪魔して、庭先の餌の皿からかっぱらって食べることもある。そこにその家の猫と鉢合わせた時には喧嘩になりそうなこともあるが、そんな時はわざわざ敵を作る利点もないからおいらの方から身を引くことにしている。それでも餌場はたくさんあったから、とにかく餌に困ることはなかった。

情報にも困らない。おいらの近所には野良猫ネットワークというべきものがあって、天気のいい日には近所の野良猫が駐車場にこぞって集まり集会を開いている。野良猫ネットワークは、質は良くないとは言えその情報量は豊富だった。だから主人の失踪した理由にまつわる話を聞けるかも知れないと思って、おいらは少し前まで何日おきかにその集会に顔を出していた。

実を言うと、おいらはこの野良猫たちとはあんまり気が合わなかった。別においらは自分を高貴な猫だとは決して思っちゃいないが、野良猫たちにはみんな揃って汚らしい。主人のいた頃においらが出会っていた猫たちはみな飼い主に手入れされているのか毛並みが良く、ほのかに良い香りすら漂わせていた。けれどもここの野良猫ときたら、茶色い泥が毛に付いていても何も気にすることもなく、全身の毛が薄汚れている上に、鼻の奥を突き刺すような匂いがする。それに何より、学がない。

「飼い猫どもはダサいんだよね。屋根の下じゃなきゃ生きていけないんでしょ? マジひ弱な家畜じゃん」

「野良の方が楽なのにな。わざわざ人間どもに飼われるっていう奴の気が知れないね」

「俺、飼い猫となんて付き合いたくねえよ。あいつらいちいち鼻に付くし。まっぴらごめんだぜ」

そんな具合にオスメス関係なく、言葉遣いも悪ければ、飼い猫というものを頭ごなしに貶して否定する奴らばっかりだった。飼い猫も野良猫も同じ猫なんだからどちらが優れているかなんてないはずなのに、あたかも自分たちの方が優越しているかのように飼い猫を馬鹿にする。面倒なものだ。

だからおいらは自分が飼い猫だったとは一言も言わずに、ただ主人に関する情報を集めるために、遠くから越してきた野良猫として振る舞った。野暮ったい野良猫たちと話を合わせるのは正直なところ苦痛だったが、それでもおいらは努力をした。

けれども、有用な情報は何一つ得られなかった。代わりに得られたのは、野良猫たちの持つ人間たちへの意地の悪い言葉だけだった。

「人間がいなくなった? いいねえ。奴ら、全員いなくなっちゃえばいいんだよ」

「人間は俺たちを轢き殺す。だけど、俺たちは人間を轢き殺せない。いなくなったのも、きっと天罰だぜ」

「あいつらは結局あたしたちのことなんかどうでもいいんだよ。可愛い可愛い言ってさ、増えたら増えたで捨てちゃうでしょ」

「俺なんか無理矢理去勢されたんだぜ。その人間がいなくなったからって関係ないね」

おいらはうんざりした。訊いても訊いても事前に示し合わせたかのようにそればかりだったから、これ以上主人のことについて訊く気すら失せてしまった。

どうやらどの野良猫にとっても、人間というものは憎悪の対象らしい。おいらは主人と暮らしてきたが、なかなか飯をくれない時には苛立ちを感じることこそあっても、決して憎悪を感じることはなかった。それが野良猫たちは人間への憎悪にまみれている。カルチャーショックとも言うべき思いを感じて、おいらは汚い野良猫たちの集まりへは二度と顔を出すことはなかった。


それから数日が経った。窓の外に太陽が高く昇って、真っ白い光を惜しげもなく地面へ照らし落としている暑苦しい日のことだった。おいらはいつものように主人の部屋のテーブルの下に寝っ転がって、主人の帰りを諦めつつありながらも待っていた。

そこに、インターフォンの音が鳴った。一回、二回、三回と鳴る。主人がいない間にそれは何十度もあったが、大抵は何回か鳴らして不在なのを知ると用を諦めて帰ったのかまた静かになった。今回もその類のものだろうと思いながらインターフォンの音が鳴り止むのを待っていると、どうもいつもとは違う雰囲気を体中で感じた。

「……シロさん」

ドアの向こう側から、弱々しい高い声がおいらの名前を呼んだ。おいらははっとして顔を上げ、体を起こした。全身の毛がぞくぞくと震えていた。足の先にわずかに汗が滲み出ていた。

“あいつ”だろうか? おいらの名前を知っている人間は、主人か“あいつ”しかいない。

もしも“あいつ”だったとしたら、おいらはきっと連れ去られる。そうだ。“あいつ”は主人をどこかで誘拐してから、おいらの居場所を突き止めて、とうとうここへやってきたんだ。

鍵を回す音がして、すぐにドアが開いた。何十日ぶりかに開いたドアの向こうに現れた姿を、おいらは息を潜めながら目を凝らして見つめた。

そこにいたのは、やはり主人ではなかった。左目には眼帯を付け、両足には包帯を巻いた、長く黒い髪の奇妙な女子高生だった。

「……シロさん、良かった……。無事だったんですね……」

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