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    <title>茨城症候群</title>
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    <title>寡黙な帰り道</title>
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    <published>2011-03-26T16:14:05Z</published>
    <updated>2011-03-26T16:14:05Z</updated>

    <summary>寡黙な山本さんから情報を得るのは困難だった。その中で唯一と言っていいほど得られた情報は、山本さんはラーメンが好きだ、ということだった。どこか不思議な雰囲気を持ち合わせている山本さんを、私は何故か放って...</summary>
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        <![CDATA[<p>寡黙な山本さんから情報を得るのは困難だった。その中で唯一と言っていいほど得られた情報は、山本さんはラーメンが好きだ、ということだった。どこか不思議な雰囲気を持ち合わせている山本さんを、私は何故か放っておけなかった。そうして学校の帰りに駅前のラーメン屋に寄ることにした。</p>
<p>まずあの<a href="http://naksnd.tsugumi.org/2008/10/post-64.html">”ニラギ”事件</a>の日に起こったことを整理しなければならない。</p>
<hr />
<p>”ニラギ”と書かれた石が普通科のあるクラスの教室に投げ付けられて、たまたま校内に掲げられていた古典の定期考査の順位リストで一番上だった私が、その意味を解いて欲しい、と昼休みにぼさぼさ頭の男子生徒から頼まれた。そういうことは、訳の解らないものを無理矢理に訳有りげに解釈してしまうようなオカルト同好会の連中にでも頼めばいいのに、よりによってオカルトなことには何の興味もない私にただ古典の成績が良かったというだけで頼むなんて、やっぱり普通科の生徒達はどうかしてる。</p>
<p>ただ、頼まれたことを拒絶するのは私としてはどこか許せなかったから、彼らの頼みを聞くしかなかった。ここが私の馬鹿なところなのかも知れない。こういうところがなければ、この犯人も動機も不明な事件に関わることもなかったのに。</p>
<p>そうして呼ばれた普通科の教室へ出向くと、私は酷い扱いを受けた。まるでものを頼む人間の態度じゃない。私だけじゃ手に負えるはずがないのに、こちらも人手が欲しいと言えば内密にしろとほのめかすし、手助けをして欲しいと言えば自分でやれと言う。ものを頼んでおきながら、本当に何を考えているのか解らない。そんな中で出会ったのが、山本さんだった。</p>
<p>山本さんは左目に眼帯をして、足に包帯を巻いているという、一見しても何見しても変としか表しようのない人だった。実際に普通科の中でも変わり者扱いされているその彼女が、私が普通科の連中と言い合いをしている最中に声を掛けてきたので話を聞くと、ニラギはニラ入りギョーザのことだ、とこれまたふざけたことを言う。</p>
<p>普通科と標榜しておきながらやっぱり普通科の連中には普通な人間はいない。と呆れて帰ろうとすると、つい私が勢いよく振り返ったせいか山本さんを転ばせてしまった。そうして私は山本さんに個人的な”借り”を作ってしまった、という日だった。</p>
<hr />
<p>あの後、私は”借り”を帳消しにして関係を断ち切りこれ以上関わらないようにしようとし、放課後に山本さんのクラスへ行った。</p>
<p>「また来たのか、<strong>特進科</strong>」</p>
<p>教室に入るなり、あのぼさぼさ頭がニヤニヤしながら嫌味ったらしい口調で嫌味を投げ付けてくる。初めに頼んできたのはあんたでしょうが、と殴り倒したくなる衝動を抑えて、山本さんの席へと向かう。</p>
<p>山本さんの席の周りは、薄暗かった。放課後だというのに帰り支度もせずぼーっと座っている彼女の雰囲気も確かに薄暗さを演出していたのだが、何故か彼女の真上にある蛍光灯が切れていたのだ。いじめでも受けているのだろうか、と思いながら、いつも通りなのか俯いている彼女に話し掛けた。</p>
<p>「山本さん、さっきはごめんね。足、大丈夫？」</p>
<p>そう言うと、山本さんは目も合わせず、何も言わずにこくりと頷くだけだった。この子、やっぱり変だ。いや、変であることは昼休みにとっくに分かっていたけれど、やっぱり変なんだ。</p>
<p>「良かった、大丈夫そうで。ねえ、山本さんはどこに住んでるの？　家、近いの？」</p>
<p>私の問い掛けに、山本さんはゆっくりと腕を上げて、教室の窓の方を指差した。その間も彼女はやはり何も言わなかった。</p>
<p>「そ、そうなんだ。あっちの方に家があるんだね。そっか。そっか……」</p>
<p>私は自分が何だか必死になっているのに気が付いた。ああ、確かに山本さんは変なんだ。けれども、転ばせておきながらそのまま言葉だけの謝罪で済ませるのは私自身が許せなかったから、どうしても何かお返しをしなければならない。だから、必死にならざるを得なかった。たとえ変な子であっても。</p>
<p>「良かったら、今日一緒に帰らない？」</p>
<p>こうなったら、最終手段だ。一緒に下校する。他人と仲良くなるのに、これ以上の手段はない。一緒に帰って、その道中で色々な話をする。好きなことや趣味を訊いて、相手を良く知ることができる。親密になるのには、これが一番だ。</p>
<p>……あれ？　私、何か目的を間違えてる？　仲良く？　相手を知る？　親密？　この変な子と？　私が？</p>
<p>そんなことを考えるか考えないかと同時に、山本さんの小さなか細い声が聞こえた。</p>
<p>「……うん」</p>
<p>山本さんの白い顔には、これまでの表情とは違ってどこか嬉しそうな様子が見えた。それを見て、何故か、私はほっとした。……どうしてだろう？</p>
<br />
<p>山本さんと一緒の帰り道、私は確かに疲れた。あれこれと彼女に質問をしても、イエスかノーでしか返さない、もっと言えば、首を縦に振るか横に振るかでしかでしか返さない。声だけ聞けば、まるで私が独り言を言っているかのような状態だった。実際に、私一人しか喋っていなかったのだから。</p>
<p>けれども、その中で収穫はあった。山本さんは、ラーメンが好物だということだった。か弱そうに見える彼女が脂っこいラーメンを好むとは、意外だった。</p>
<p>ラーメンが好きだというなら、ラーメン屋に連れて行けば喜んでくれるかも知れない。ただし山本さんのことだから、外食はあまり好きではないかも知れない。いずれにしても、誘わなければ何も始まらないのは確かだ。そうしてラーメン屋に行こうと誘うと、これも彼女は意外にも応じてくれた。</p>]]>
        
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    <title>聖誕節前夕</title>
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    <published>2010-12-31T14:50:38Z</published>
    <updated>2010-12-31T16:13:48Z</updated>

    <summary>二年前、私は曽祖母の日記帳を見付けた。納屋の大掃除をしている時のことだった。ぼろぼろになりかけた黄ばんだ紙切れの束、その表紙には大正何年と墨で書かれていたが、正確な文字は読み取れなかった。しかしその割...</summary>
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        <![CDATA[<p>二年前、私は曽祖母の日記帳を見付けた。納屋の大掃除をしている時のことだった。ぼろぼろになりかけた黄ばんだ紙切れの束、その表紙には大正何年と墨で書かれていたが、正確な文字は読み取れなかった。しかしその割には、肝心の日記の内容は鮮明に残っていた。文体こそ昔のものだったが、綺麗な字だったこともあって読めるには読めた。</p>
<p>私は大掃除を終えると、部屋にこもってその日記帳を読んだ。</p>
<br />
<br />
<p>あの晩はとても寒い晩だつたのを憶えてゐます。息を吐けば白くなり、手も凍えるほどの寒さでした。</p>
<p>その寒さの中で、私は一人、町へと出掛けたのです。若い娘が夜に一人で町を歩くことは普通であれば避けるべきことですが、丁度マツチが切れて仕舞つたのでストーブに火が點けられません。寒い日に火がなければそれこそ地獄ですから、何うしても買ひに行かなければなりませんでした。</p>
<p>何よりも、母の體調が氣掛かりだつたのです。父は日露の戰爭で死に、それ以來母は一人で私を育ててくれました。その間に母は肺病を患つたのでせう、寢込む日が年々多くなつてゐました。ですからあのやうに寒い晩は何うしても火がないといけません。マツチを買ひに行くより外になかつたのです。</p>
<p>マツチを買ふことには何の苦勞も要りませんでした。町の商店に行けば幾らでも賣つてゐましたから、ほとんどただ行つて歸るだけです。</p>
<p>歸る際に、何やら人が澤山竝んでゐるのが見えました。雜誌などが賣られてゐる、町で一番の書店の前でした。</p>
<p>その中に、スラリとした長身の男性を見掛けました。それは紛れもなく、私の通つてゐた高等女學校の先生だつたのです。私には、一目で分かりました。</p>
<p>「先生！」と私は思ふよりも先に大聲を出しました。これでは少し離れた場所にゐた先生も氣附かないはずがありません。手を振る私を見附けると、爽やかに笑ひながらこちらへ向かつて來ました。</p>
<p>——實を言へば、私は先生に戀をしてゐたのです。</p>
<p>先生への戀。生徒の分際でこんなことは不可ないことだとは解つてはゐました。しかし、一度火が點いた想ひは何うすることも出來なかつたのです。私は先生に對する自分の氣持ちに氣附いて以降、心の奧底に潛むこの甘く切ない想ひを何うにかして抑へやうと試みました。けれども想ひは膨らむ許りで、一向に萎むことはなかつたのです。</p>
<p>そして秋頃、遂に私は、私自身の氣持ちを傳へる手紙を先生へ渡したのです。便箋に十枚程だつたでせうか、自分勝手な氣持ちを竝べるだけ竝べた酷い手紙でした。しかし、渡したことは後悔はしてゐません。書いた想ひに何一つ噓はありませんでしたし、何より想ひを傳へることと傳へないこと、この兩者は全く違ふものだつたからです。</p>
<p>「やあ、山本君、奇偶だね。しかし危ないよ、夜に出歩いちやあ」</p>
<p>手紙を渡して以來、先生とは直接話をしてはゐませんでした。つまりこれが、私の想ひを知つた先生との初めての會話だつたのです。けれども先生の態度は、そんなことを全く思はせぬやうなものでした。至つて普通の、生徒と先生との間の會話でした。</p>
<p>「御心配は要りません、直ぐ歸りますから。しかし先生もこんな處で何をなさつてゐたんです」</p>
<p>「一寸エゲレス辭書に用があつてね、それで來てみたらこの竝びやうだ。もう歸らうかと思ふ」</p>
<p>「あら勿體ない」</p>
<p>私がさう言ふと、先生の目が一瞬時間の流れを忘れたかのやうにぴたりと止りました。その視線は、私を差してゐました。</p>
<p>「勿體ないのは……」</p>
<p>先生の顔からは、先程まであつたはずの笑顔が全く消えてゐました。</p>
<p>「……君からの手紙を讀んだ。僕は君の願いを叶へられない。でも、君の氣持ちに應へることならできる」</p>
<p>さう言ふと先生は私の手に何かを置いた後、兩手を包み込むやうにそつと握つたのです。温かい手を通して、同じやうに温かい先生の氣持ちが傳つて來るやうな氣がしました。</p>
<p>「先生……私」</p>
<p>と私が言ひ掛けると、それを遮るやうに先生の兩手がぎゆつと力強くなりました。そして靜かに首を振り、私の瞳をじつと見詰めました。これ以上何も言つてはいけない、と云ふことだつたのでせう。</p>
<p>見つめ合つてゐた暫くの間、私と先生は何の一言も交はしませんでした。交はさなかつたと云ふより、言葉は要らなかつたのです。私と先生の手と手、目と目を通じて、お互ひの想ひがそれこそ流れ込むやうに通ひ合つたのですから。</p>
<p>永遠と錯覺するほどの時間でした。しかしその時間もまた、過ぎていきました。やがて先生は握つた時を逆回しにしたやうにそつと私の手を離し、微笑んでかう言ひました。</p>
<p>「さやうなら、山本君。氣を附けて」</p>
<p>「……先生、さやうなら」</p>
<p>さうして先生は暗い闇の中へと消えて行きました。私は先生の後ろ姿が見えなくなるまでずつと立ち盡くしてゐました。</p>
<p>そこで、先生が何かを私の手に包んでくれたことを思ひ出しました。何だらう、と思つて靜かに開いてみると、折り紙で折つたと思はれる小さな白い鶴が手の平で舞つてゐました。</p>
<p>途端に、私は温かい氣持ちになりました。丁度その時ひらひらと雪が降り始めてゐましたが、寒さはもう氣になりませんでした。</p>
<p>——しかし、まさかその晩が先生を見る最後の機會にならうとは思ひもしませんでした。</p>
<br />
<p>先生が行方をくらましたのは、その後のことでした。冬休みの明けた學校にも姿を見せず、何處に行つたのかも分らなくなつたのです。職員の間でも先生の行方は分らなかつたさうです。</p>
<p>そのやうに初めこそ大騷ぎになりましたが、時間の流れと云ふものは全てを風化させるのでせう、年老いた髭の人が新しく先生として著任した頃にはもう、先生の行方の話など生徒の間でも職員の間でも擧がらなくなりました。</p>
<p>けれども私は違ひました。普段は級友のみんなの手前、顔で笑つてゐても、心はずつと泣いてゐたのです。先生、嗚呼先生。何處へ行つて仕舞つたのですか。私を置いて、一人で何處へ消えて仕舞つたのですか。先生。</p>
<br />
<br />
<p>これを読んで、私は確信したのだった。UFO。宇宙人の乗った UFO が、曽祖母の恋していた先生をさらったのだ。でなければ、先生が学校から消える理由が解らない。日記を見る限り、曽祖母と先生は両思いだったのだから。逆に言えば、先生には学校から、そして曽祖母の前から消える必要などなかったのだ。だからこれは UFO の仕業だ。間違いない。</p>
<p>そう思った私は、それ以来 UFO、そして宇宙人を追い求めてきた。いつしか奴らを捕まえて、この事件について白状させてやる。曽祖母が味わった悲恋の惨さを、奴らにも味わわせてやる。しかし奴らは中々姿を現そうとしない。巧妙な奴らだ。</p>
<p>そして私は高校生になっていた。この高校を拠点にして、UFO の尻尾を必ずつかんでやる。心の奥底でそんな強い思いを燃やしながら、私は毎日学校に通っていた。</p>
<p>“力”を持つ左眼を、白い眼帯で隠しながら。</p>]]>
        
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    <title>眼帯少女山本さん</title>
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    <published>2010-05-17T15:13:20Z</published>
    <updated>2010-05-17T15:13:20Z</updated>

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        <![CDATA[<p><img src="/img/gantai.png" /></p>]]>
        
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    <title>嘘吐きの行く末</title>
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    <published>2010-04-05T12:25:40Z</published>
    <updated>2010-04-07T10:25:57Z</updated>

    <summary>「おい、何か臭くねえ？」 その日の高校の授業の二時間目は、担当教師が腹痛だという理由で自習時間になっていた。もちろん自習時間に真面目に自習をするような奴はこのクラスにはいない。みんなこの時間が何の時間...</summary>
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        <![CDATA[<p>「おい、何か臭くねえ？」</p>
<p>その日の高校の授業の二時間目は、担当教師が腹痛だという理由で自習時間になっていた。もちろん自習時間に真面目に自習をするような奴はこのクラスにはいない。みんなこの時間が何の時間なのかを本心から忘れて勝手に騒いで、携帯電話をいじくって遊んでいるような奴さえいたくらいだった。</p>
<p>その騒がしい空間に何の前触れもなく突然起きた騒動だった。</p>
<p>「マジだ。何か臭えぞ」</p>
<p>俺の前の席の山田が気付いて言ったのを皮切りに、周囲の席の人間からは臭い臭いと言う声が次々と上がった。もちろん、俺もその中の一人だった。</p>
<p>「臭えなあ。あの匂いっぽいな……、ウンコ」</p>
<p>俺が何となく思ったことをそう言うと、周りからは俺の意見に同意する声が上がった。「それだよ、ウンコだな」「間違いない、ウンコだ！」</p>
<p>確かに、間違いなかった。臭さを漂わせているのは、誰もが毎日自分のものを嗅ぐことがあろうウンコの匂いだった。しかし自分のものと他人のものとでは、臭さに対する嫌悪感は違う。自分のウンコの匂いは鼻に入って当然だが、他人のものの匂いが鼻に入る機会は衛生環境が向上した最近では普段はないことだ。誰もが他人の匂いに対して感覚的にも心理的にも敏感になっているのは当然のことだった。</p>
<p>「おいおいおい、まさか誰か漏らしたんじゃねえのお？」「うっそお、信じらんない」「教室で漏らすなんて、最低」</p>
<p>男子からも女子からも関係なく、“犯人”に対しての非難の声が上がった。俺も「最悪」と苦い顔をしてその中に混じっていた。</p>
<p>それから始まったのは、もちろん犯人探しだった。ウンコを漏らした奴は誰だ、探し当てて吊し上げて晒し者にしてやる。辺りにはそんな恐ろしい空気が広まっていた。</p>
<p>俺も周りに混じって犯人を探し出そうとしていた。高校生にもなって学校でウンコを漏らす奴なんて縁が切れても一生馬鹿にしてやる。周りの奴らもそう思っていただろう。同じように、俺もそう思っていた。</p>
<p>そんな中でふと隣の席を見ると、そこには周りの空気とは違う空間があった。普段から物静かで綺麗好きそうな山本さんが、何か必死に耐えているような、あるいは場の雰囲気から逃れようとしているような、そんな態度を取っていることが俺には見て取れた。</p>
<p>まさか、山本さんが……？　俺は思った。いや、まさかだ。普段淑やかそうに振る舞っている人間に限って、こういう行いをしてしまうことがある。それが意図的でないなら、なおさらのことだ。彼女がウンコを漏らしてしまったとしても、不思議ではない。</p>
<p>鼻を利かせて匂いの根源を辿ろうとすると、山本さんの方から漂っているように感じた。さりげなく気付かれないようにして身体を傾けて山本さんの席に近寄ると、非常に臭い匂い、紛れもなくウンコの匂いが鼻を突いた。</p>
<p>俺はここで確信した。確信してしまったのだ。ウンコを漏らしたのは、山本さんだということを。あの山本さんが、ウンコを漏らしていたのだ。</p>
<p>もう一度山本さんを横目で見る。彼女は机の上に教科書を開き、何かに気付かれまいとしているのかうつむいている。周りの騒がしさとは対照的だった。ただ、心なしか動揺しているかのようにまばたきの頻度が多めに見えた。その長く黒い髪の毛が、周りの環境を断ち切って逃れたいとしているかのように白く綺麗な顔を隠していた。</p>
<p>それを目にした俺は何故か耐えられなくなった。こんな不潔とは全く無縁の女子がウンコを漏らしてしまうとは、一体なんという罪だろう！　そして彼女は一生それを十字架のように背負い、生き続けなければならないのだ。何年と、何十年と、そして未来永劫その魂が生き続ける限り！</p>
<p>俺は決意した。もう山本さんを見ることはなかった。周りの喧噪に気を合わせることもなくなった。</p>
<p>立ち上がって、俺は言った。</p>
<p>「……みんな、悪い」</p>
<p>誰がウンコを漏らし悪臭をもたらしたかで騒がしかった教室内が、一斉に静かになる。そこで、俺は笑顔を浮かべてぽつりと打ち明けたのだった。</p>
<p>「漏らしたの、俺なんだ」</p>
<hr />
<p>それからは俺は“ウンコ”と呼ばれるようになった。学校中で、ウンコウンコと陰口を囁かれ後ろ指を指されるようになった。朝登校すると、机の上にウンコと書かれていたこともあった。時には誰かが懸命に運んできたのか、実際の犬のウンコが置かれていたこともあった。誰かに話し掛けると「ウンコ臭え」と言われるだけで、全く相手にもされないこともしばしばだった。</p>
<p>確かに俺は自分で冤罪を進んで被り受けた。だからこうしてウンコと呼ばれたり蔑まれるようになったのだろう。</p>
<p>しかしそれでも構わなかった。何しろ俺は一人の女子の運命を守ったのだから。そのお陰で彼女はウンコと呼ばれる代わりに、輝かしい未来を失わずに済んだのだ。山本さんが隣の席で一生懸命に板書をノートに写している姿を見ると、俺は嬉しさを感じられずにはいられなかった。同時に、彼女に対してある種の愛おしささえ感じていた。</p>
<p>ある日の放課後、俺は一人で教室の掃除当番をしていた。本当は班の奴らと全員で教室の掃除をするはずだったが、「ウンコと一緒に掃除当番をしたくない」というふざけた理由で奴らは先に帰っていった。</p>
<p>夕日の差し込む教室で、俺は一人で黙々と掃除を行っていた。ウンコと掃除をするのが嫌なのに、ウンコに掃除されるのはいいのか。誰もいない教室で、俺はどうにも矛盾した言い訳を鼻で笑っていた。</p>
<p>そこに、誰かが教室へ入ってきた。山本さんだった。何か忘れ物をしたのだろうか、教室に入るなり自分の席に歩み寄って机を何やらごそごそと探っていた。</p>
<p>山本さんも俺がいることに気が付いているようだったが、特に挨拶をするなどの反応はなかった。山本さんと二人きりの教室。俺は今しかないと思った。</p>
<p>「……山本さん」</p>
<p>声を掛けると、山本さんはびっくりしたかのように動きを止め、こちらを見た。</p>
<p>「今度さ、一緒に映画観に行かない？　俺、映画好きなんだ。面白い映画なら自信あるからさ」</p>
<p>しかし山本さんの応えはそっけないものだった。彼女は顔を背け、何事もなかったかのように探し物の続きをしながら、ほとんど感情をこもらせずにこう言った。</p>
<p>「……悪いけど、私、<strong>嘘をつく人は嫌い</strong>なの。それに、“ウンコの彼女”なんて呼ばれたくないから……」</p>
<p>彼女は走って教室を出て行った。俺はこの時の彼女の走り去る後ろ姿をただ見ていることしかできなかった。彼女の姿が見えなくなってからも、俺はしばらく立ち尽くしたままだった。立ち尽くす俺の頭には、彼女の言葉が反響し続けていた。</p>
<p>嘘をつく人は嫌いなの。</p>
<p>嘘をつく人は嫌いなの。</p>
<p>嘘をつく人は嫌いなの。</p>
<hr />
<p>それ以来、俺は不登校になった。みんなにウンコと蔑まれ、俺が自分で勝手に恩を売り勝手に好意を抱いた山本さんには振られ、もう学校に俺の居場所はなくなっていたのだ。</p>
<p>結局俺のしたことは、俺の自己満足に過ぎなかったのだ。俺は何をしたのだろう。俺は彼女を、山本さんを守ったのではなかったのか？　しかし山本さんはそれは違うと言った。俺は何という馬鹿なことをしたのだろう。あの時、何もしなければ良かったというのだろうか。しかし何を思っても、もう取り返しは付かなかった。俺は正真正銘のウンコになってしまった。</p>]]>
        
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    <title>エイプリルフール</title>
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    <published>2010-04-04T03:24:51Z</published>
    <updated>2010-04-04T03:24:51Z</updated>

    <summary>小学二年生の春休み、幼なじみのかな子ちゃんと二人で近所の公園で遊んでいる時のことでした。 「ねえタケシくん、今日何の日か知ってる？」 「えっ、今日？」 ブランコを大きく前後に揺らしながら、かな子ちゃん...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://naksnd.tsugumi.org/">
        <![CDATA[<p>小学二年生の春休み、幼なじみのかな子ちゃんと二人で近所の公園で遊んでいる時のことでした。</p>
<p>「ねえタケシくん、今日何の日か知ってる？」</p>
<p>「えっ、今日？」</p>
<p>ブランコを大きく前後に揺らしながら、かな子ちゃんは意地の悪そうな笑いを浮かべて僕に問い掛けました。</p>
<p>その朝は、ニュースで桜の満開が近付いていると聞いたくらいで、日付までは覚えていませんでした。強いて言えば、春休みがあと何日残っているか、始業式までまだ何日遊んでいられるか、それくらいしか考えていなかったのです。</p>
<p>しばらく答えられずに宙を眺めている僕を、かな子ちゃんは鼻で笑ってから、得意げな表情で言いました。</p>
<p>「エイプリルフールだよ。嘘をついてもいい日」</p>
<p>エイプリルフール。その名前は確かに聞いたことはありました。しかしかな子ちゃんに言われるまで今日がその日であることに気付かなかったくらいですから、僕は特に意識したことはなかったのです。</p>
<p>「それでさ、あたしたちで大人に嘘をついてみない？　すごい嘘をさ」</p>
<p>「でも、嘘をついたらいけないってお父さんが言ってたよ。ドロボウの始まりだって」</p>
<p>「エイプリルフールだからいいんだよ。嘘をついても許してくれるよ」</p>
<p>僕の家庭は厳格な方で、両親はいつものように「嘘をついてはいけない」と幼い僕に言っていました。その他にも悪いことをしてはいけない、嫌がることをしてはいけない、人をいじめてはいけないなど、四六時中「いけない」尽くしでした。きっと僕が一人っ子だったことも影響していたのでしょう。</p>
<p>しかし、いや、だからこそ、かな子ちゃんの提案は新鮮に思えました。エイプリルフールだから嘘をついてもいい。どんな時でも嘘をついてはいけないと教えられていた僕にとって、嘘をついてもいい理由をこれほど簡単に見出せ、それを利用しようというかな子ちゃんをとても賢く感じたのです。同時に、かっこいい、とも感じました。</p>
<p>常に教えられている規則に背くという背徳感を、今日だけは感じなくても済む。そう考えるに至って、僕は迷わずかな子ちゃんに答えました。</p>
<p>「なんか楽しそう。その嘘、ついてみようよ。それで、どんな嘘をつくの？」</p>
<p>僕が問い掛けると、かな子ちゃんはブランコを漕ぐのを止め、にこりと笑って言いました。</p>
<p>「あたしが悪いおじさんに誘拐された、って嘘」</p>
<p>「なんか本当にありそうな嘘だね」</p>
<p>「本当にありそうな嘘の方が面白いでしょ？　どうせ嘘なんだし」</p>
<p>僕はかな子ちゃんが悪いおじさんに誘拐されたという嘘をついた場合に起こり得る光景を想像しました。かな子ちゃんの両親はとても心配するでしょう。警察に通報して、かな子ちゃんの家の前にはパトカーが駐まり、赤い光でうるさくなるかも知れません。テレビや新聞社の記者も来て、人だらけになるかも知れません。</p>
<p>そして僕は少しだけ怖くなりました。もしかすると一緒にいた僕も警察に連れて行かれて何か訊かれるかも知れません。実は全部嘘だった、と言ったら親だけからではなく警察の人からもこっぴどく怒られるかも知れないのです。</p>
<p>「やっぱり止めようよ……。もっといい嘘にしようよ」</p>
<p>「何？　怖がってるわけ？　タケシくん男でしょ？　そんな弱虫じゃいい男になれないよ！」</p>
<p>かな子ちゃんはイライラした様子で言いました。罵倒に近いものだったかも知れません。そして弱虫とまで言われたのです。こう言われてしまうと僕も怖がるわけにはいきません。何しろ僕は当時テレビで観ていた戦隊ものの番組で登場する部隊のリーダーに憧れていましたから、弱虫と決め付けられるのは腹の立つことでさえあったのです。</p>
<p>「怖がってなんかないよ！　いいよ、じゃあその嘘やろう、やろうよ」</p>
<p>「なあんだ、弱虫じゃないじゃん。じゃ、けってーい」</p>
<hr />
<p>僕は急いで家に帰ると、靴も脱がずに玄関先で母を呼びました。「お母さん！　お母さあん！」</p>
<p>普段あまり感情を見せない僕が肩で息をしながら半泣きをしているという普通ではない様子にただならぬ気配を感じたのか、母が飛び出してきました。</p>
<p>「タケシ、どうしたの？　何で泣いているの？　何かあったの？」</p>
<p>「かな子ちゃんが、うっ、うっ、変なおじさんに連れて行かれちゃった……！　どうしよう、どうしよう！」</p>
<p>母はほんの一瞬だけ身を固まらせたように見えました。その間に事態を飲み込んだのか、次の瞬間からは表情を普段見せないものへと変えた上に怒濤の質問攻めを僕に浴びせました。</p>
<p>「かな子ちゃんが！？　どこで？　何をしている時？　いつ？　どんなおじさんに！？」</p>
<p>「公園で……、うっ、うっ、さっき、遊んでいる時、おじさんが……、灰色の、うっ、うっ、服を着たおじさんが……。うっ、うっ」</p>
<p>僕の声はもう答えにもならないほどでした。それでも概要を把握したのか、母は家の奥に入っていきどこかへと電話を掛け始めました。おそらくかな子ちゃんの家へだったのでしょう。冷静に思えるほどの受け答えがかえって事態の深刻さを浮き上がらせていました。</p>
<p>その後は僕の想像していた通り、かな子ちゃんの家の周りにはパトカーが何台も駐まり、マスコミも大勢集まりました。そして僕はかな子ちゃんと一緒にいた最後の人間として、警察へ連れて行かれて母親と一緒に仔細に渡る質問を受けたのです。今日がエイプリルフールなどということはもうとっくのとうに忘れていました。もちろん、警察での質問ではいつもの僕のように嘘はつきませんでした。</p>
<p>警察署で質問を受けた帰り、かな子ちゃんの両親と廊下で会いました。二人とも、本当に深刻な表情をしていました。かな子ちゃんのお母さんは、嘘だったらいいのに、嘘だったらいいのに、と泣きそうな声で呟いていました。</p>
<hr />
<p>それから十二年間、かな子ちゃんは今も帰ってきていません。あのエイプリルフールの日につこうとした嘘は、現実となってしまったのです。僕の中で、十二年前のエイプリルフールは過去のものではありません。現在もまだ、続いているのです。</p>]]>
        
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    <title>ガードレールの猫</title>
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    <published>2010-04-03T14:53:49Z</published>
    <updated>2010-04-03T14:53:50Z</updated>

    <summary>今朝、歩道のガードレールの上を猫が歩いていたんです。真っ白い猫でした。 猫がガードレールの上を歩くなんて珍しいじゃないですか。歩くなら歩道を歩けばいいものを、どうしてわざわざそんな歩くのにも足の先が痛...</summary>
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        <![CDATA[<p>今朝、歩道のガードレールの上を猫が歩いていたんです。真っ白い猫でした。</p>
<p>猫がガードレールの上を歩くなんて珍しいじゃないですか。歩くなら歩道を歩けばいいものを、どうしてわざわざそんな歩くのにも足の先が痛そうな細い場所を歩こうとするのか解りません。ですから私はちょっと面白いと思って、携帯電話で写真を撮ろうとしたんです。話の種にもなりそうでしたし、私はネット上でブログをやっていましたからそこに載せればコメントが沢山付いて注目を浴びるかも知れない、そう思ったんです。</p>
<p>そしてちょうどバッグから携帯を取り出そうとしたところでした——その猫が、突然こちらを振り返って恐ろしい形相で私を睨んだんです。まるで「俺を撮るな」と言っているかのように。本当に恐ろしい形相でした。ライオンが獲物を見付けて今にも飛び掛かるか飛び掛からないか、そんな時に獲物を威嚇しているかのようでした。</p>
<p>私はその猫の顔に思わずびっくりして、バッグから取り出そうとしていた携帯をアスファルトの道に落としてしまったんです。あ、と思った時にはもう何もかもが遅かったのでした。運が悪くも携帯は固い地面に落ちた衝撃で液晶が割れてしまい、ガードレールの猫はいつの間にかどこかへ去って行ってしまいました。</p>
<p>私は猫を撮ろうとして、その猫に脅され、携帯電話は壊れてしまったのです。二重の困惑に襲われて、私はしばらく慌てふためきました。</p>
<p>携帯には仕事上の取引相手やプライベートな友人の連絡先、思い出の写真、暇潰しに楽しんでいたゲームなど重要な情報が色々と入っていましたから、携帯が壊れているいないにしろまずそれらの情報を救うことが最優先だと考えました。そして急いで近くの携帯電話のキャリアの店へと走ったんです。店に入った時、私がどんな顔をしていたか分かりません。きっと慌てていて真っ青で今にも倒れてしまいそうな顔をしていたことでしょう。その証拠に、店員がまるで見たことのない変な生物を見るかのような表情であったことは覚えています。</p>
<p>店員との細かなやりとりは慌てていたせいか忘れてしまいましたが、結局携帯は落ちた衝撃で電源も入らず、その上全ての情報もろとも失われてしまったそうです。そのことを告げられた後に店員は新しい携帯の機種を勧めて来ましたが、私はショックのあまりそれを断って店を出ました。何しろ、もうあの携帯に入っていた情報は全て帰らぬものになってしまったんですから。</p>
<p>それから家に帰るまで、どのように帰ったかさえも覚えていません。気付けば、私は暗い部屋で液晶が割れがらくたとなってしまった携帯電話を机の上に置いて眺めていました。</p>
<p>どうしてこうなってしまったのか、思い返すとあのガードレールの猫が始まりでした。猫を撮ろうとして猫に睨まれ、驚いて携帯を落とした。そして携帯は壊れ、私にとって重要な情報が全て消えてしまった。あの猫さえ撮ろうとしなければ、ただ「ガードレールの上を歩く猫」という可愛い光景を見るだけにして通り過ぎさえしていれば……！</p>
<p>私の目には、あの猫の顔が鮮明に焼き付いています。猫を撮ろうとして携帯を取り出そうとした時の、あの恐ろしい顔。それを思い出すだけで、私は今も震えが止まりません。</p>
<hr />
<p>その午後、不思議な電話が掛かってきました。携帯電話は壊れていましたから、家の固定電話に掛かってきたんです。</p>
<p>「……もしもし」と私はショックを引きずりつつ、暗い声で応えました。すると電話の向こうの相手は「ヤマモトだけど」と名乗りました。低い声でしたから、男性だったんでしょう。</p>
<p>「ヤマモトさん？　どちらのヤマモトさんですか？」</p>
<p>「俺がどこを歩こうが俺の勝手だ。俺を晒し者にしようとするんじゃない。お前は自分の自己顕示欲のせいで、全てを台無しにしたんだ」</p>]]>
        
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    <title>移転のお知らせ</title>
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    <published>2009-12-06T15:20:43Z</published>
    <updated>2009-12-06T15:20:43Z</updated>

    <summary> 荊奇團地 移転しました。（嘘）...</summary>
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        <![CDATA[<ul>
<li><a href="http://naksndx.tsugumi.org/">荊奇團地</a></li>
</ul>
<p>移転しました。（嘘）</p>]]>
        
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    <title>一人きりの希望</title>
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    <published>2009-10-07T10:37:48Z</published>
    <updated>2009-10-07T12:08:33Z</updated>

    <summary>「ねえ、さっきから何見てんの？　アンタもあたしのこと馬鹿にしてんでしょ？　分かるよ、その目見ればさ。ああ可哀想、この子はきっと馬鹿な親の元に生まれてろくに育てられずに家庭崩壊した家にうんざりして思い切...</summary>
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        <![CDATA[<p>「ねえ、さっきから何見てんの？　アンタもあたしのこと馬鹿にしてんでしょ？　分かるよ、その目見ればさ。ああ可哀想、この子はきっと馬鹿な親の元に生まれてろくに育てられずに家庭崩壊した家にうんざりして思い切って飛び出してそれっきりもう帰る家もない、こんな汚いかっこで夜の繁華街で声掛けてくる気持ち悪いオヤジから金を騙し取ったり食べ物をドラッグストアで万引きするしか生きる道がない、ああほんと可哀想、って思ってるんでしょ。その通りだよ。その通りなんです！　あたしはもう帰る家もないの。ねえ、どこに帰ればいいの？　教えてよ。ねえ。あたしはどこに帰ればいいの？　またあのなけなしの生活保護費をパチンコに注ぎ込むだけが家事だと思っちゃってる馬鹿な母親と働きもしないで昼間っから酒を飲んでばかりで夜になったら暴力を振るうことしかできないアル中の父親のところに帰ればいいの？　帰れるわけないじゃん。あそこに帰るくらいなら死んだ方がマシだよ。あいつらもそう思ってるよ。あたしなんて死んだ方がマシなんだ、って。ていうかあたしはどうして生まれてきたわけ？　何であいつらはあたしを産んだの？　意味分かんない。初めからあたしをろくに育てるつもりがなきゃ、あたしなんて産まなきゃよかったんだよ。全然可愛がってもらった記憶もないもん。ぶたれたり蹴られたり突き飛ばされたり置き去りにされたりっていう記憶しかない。生まれた時からずっとそんな毎日だったし。学校？　小学校には行ったよ。でも、ほんと嫌な思い出しかない。入学式だって周りの子はみんなドレスみたいな可愛い服着てるでしょ？　でもあたしはそんなの買ってもらえなかったからぼろぼろの汚い普段着。あいつらは入学式に来もしなかった。みんなはお父さんお母さんが一緒に来てるのに。あたしだけ一人。みんな写真やビデオ撮ってもらったりして笑ってる中であたしだけ一人でぼーっと立ってた。馬鹿みたいでしょ？　絶対あの時その場にいた人からは、あの子気違いなのかしら、とか思われたよ。帰っても家には暗い四畳間の中に酔っ払った父親しかいない。入学おめでとうの一言もなかった。それどころか酒臭い息を吹っ掛けながらあたしをぶっ叩いて、先生に胸に着けてもらった「入学おめでとう」のバッジをひっちぎって、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てやがったんだ。それで悔しくて泣いたら、またぶたれる。ほんとあり得ないよ、あのクズ親父。それで入学してからは友達もできなかった。よく友達百人できるかな、とか歌あるでしょ？　あの歌今聴くとむかむかする。だってあたしには友達が百人どころか、一人もできなかったんだから。あたしだって友達と一緒に遊んだりしたかったんだよ。でもあいつら、クズ以下の母親と父親が、友達と遊んだらぶっ殺す、って言うから遊べなかった。だから友達ができなかった。友達と遊べないから、みんなからは変な子扱いされて、六年間ずっといじめられっぱなしだった。臭いとかバイ菌とか言われて一緒の班になった子からは必ず机を離されて、話し掛けても何も返ってこないのは日常茶飯事。それでもあたしは学校へ行った。ほんとは学校にも行きたくもなかったんだよ。でも家にいてもあいつらから殴られたりタバコ押しつけられたりするだけだし、それよりは学校に行っていじめられた方がまだ楽だった。低学年の頃はいじめも馬鹿にしたり笑ったりするくらいの低レベルなものだったけど、学年が上がってくるとどんどん酷くなってった。四年生の頃だったかな。葬式ごっことかされたことがあった。朝来てみたら、あたしの机の上に花瓶に入った花が飾られてるの。黒板に「○○さんは死にました。ナムアミダブツ」とか書かれてて。あたしはもちろん嫌な思いがしたけれど、それよりも花が可哀想だった。こんなに綺麗に咲いてる花なのに、あたしみたいなのをいじめるための道具に使われててさ。あたしは黙って花瓶を教室の元の場所に戻して、黒板の文字も消した。それで席に戻ったら、今度は椅子の上に画鋲が置かれてて。画鋲は全部刺す方の部分が上を向いてた。みんな顔をあたしの方に向けてて、どんな反応するか見てるんだよね。その時ちらっと見た目つきが、ほんっと嫌なものだった。今思い出しても寒気がするくらい。でもその目が見てる中であたしが反応したらそいつらの思うつぼだから、一切表情には出さないで片付けたけど。たぶん、あたしのポーカーフェイスぶりはこういうこともあったから磨かれていったんだよね。そう言えば学校では誕生会もあって、月ごとにクラスの誕生日の人を祝う会があったんだけど、それも酷かったよ。一人ごとにプレゼントがクラスのみんなから渡されるんだけど、あたしへのプレゼントは何だったと思う？　ゴミだよ。その朝にゴミ箱に入ってたゴミを白いビニール袋に入れられて、それをあたしにプレゼントしたんだよ。ほんと馬鹿じゃないのって思った。虫の死骸とか渡されるよりはまだマシだったかもね。先生？　あんなの見て見ぬフリをしてるだけじゃん。掃除の時なんて、先生の目の前であたしがホウキで足を引っ掛けられて転ばされたり、バケツの水を浴びせられたりしても、何も言ってこなかったもん。どうせあたしが何言っても対処してくれなかったよ。ていうかむしろ一緒になって笑ったりしてたくらいだし。だから初めから先生には何も言わなかった。それでもとにかく、学校のいじめの方がまだ家よりもマシだったんだから。母親は朝から夜まで一日中パチンコでいないし、父親は朝から夜まで一日中酒飲んで家にいるし。そんなとこに帰りたくなかった。でもそこしか帰る場所がなかったんだよ。いつだったっけな、可愛い綺麗な服が欲しくなって、いけないことだと分かってたんだけど、万引きしたことがある。あいつらはボロ着しか買ってくれなかったしね。試着室で着替えて、そのまま店を出て行こうとしたんだ。そしたら店の人にすぐばれて、警察に連れてかれた。住所とか電話番号とか聞かれて、そしたら酔っ払った父親が来て。あたしの顔を見た途端、何言ってんだか分かんないけど怒鳴り散らしてあたしはぶん殴られたり蹴られたりした。あいつは警察の人に押さえ付けられるくらい暴れてたね。これがあたしの父親だって認めなくなかった。こんな父親とあの母親のせいで、あたしはこうなったんだから。それでその時に警察から児童相談所に連絡が行ったみたいで、それから時々家に相談所の人が来たことがあった。でも母親はパチンコでいないし、家には酔っ払ったアル中親父しかいない。話にならなかったみたいで、相談所の人はいつもすぐ帰って行った。相談所の人が来たことが父親を刺激したのか、その後はたいていあたしは殴られた。おかしい話でしょ？　あたしを助けに来てくれるはずの人が来たことであたしが暴力を受けるってさ。もう誰もあたしを助けてくれないんだって。あたしは一生この家から逃げられないんだって。ずっとそう思ってた。正直言って、死のうと思ったこともあった。ちょうど母親も父親がいない時に、台所から包丁を持ってきて自分の首筋に当てたりもした。カーテンレールにタオルを垂らしてそれで首を吊ろうともした。ほんの少しだけ力を入れるだけで、首を輪っかに入れるだけで、あたしはあの世に行けるんだって。こんな世界、こんな自分とはもうさよならだって。生まれ変わって、自由気ままなカラスになるんだって。そう思った。でも、できなかった。ああ、あたしほんとは弱虫なんだ、って思って、泣きながら包丁とかタオルをしまったよ。弱虫と言うか、死にたくない気持ち、生きたい気持ちがまだあるんだ、って気付いた。こんな酷い惨めな生活なのにだよ？　どこに希望があるの？　馬鹿じゃないの？　死んじゃえばいいのに。でも死ねなかった。って言うことはやっぱりどこかに希望があるんだ、って思った。それからあたしはずっとそのどこかにある希望を頼りにして生きてる。どんなに家で殴られても、学校でいじめられても、希望が待っているんだって。そう思いながら中学に入ったけど、やっぱりそこでもあたしはいじめの格好の対象。まあこっちは慣れっこだからいいんだけど。しつこいよね、あいつらもさ。内申点のためにいい子ごっこしてストレスが溜まってるんだか知らないけど、その裏で誰かをいじめてないと気が済まないんだろうね。そのまま学校でも家でもずっと耐えて、二年、三年に進級したんだけど、この頃になると高校進学の話があってさ。あたしなんて授業中はぼーっとしてるだけで勉強もしてないから成績もぼろぼろで、高校なんて通えないじゃん。どうでもいいやって思って、一ヶ月くらい前にちょうどあの馬鹿母親とアル中父親が喧嘩してたから、その隙に母親の財布から金をくすねて東京に出てきたわけ。今までずっと知らなかったけど、あいつパチンコで相当儲けてんだね。十万円くらい入ってたよ。でしばらくはそれで新しい服を買ったり食べ物買ったり寝泊まりしたりしてた。そのうちに同じ年頃の家出仲間とか見付けたりして。あの子たち、何かあたしと同じ境遇なんだよね。タイプが似てるって感じ？　家でも学校でも除け者で、どこにも居場所がないってとこがさ。ここにいるのは、学校や家にいるより楽しいよ。いじめも暴力もないもん。でも、見つからないんだよね。希望ってさ。もう金も尽きちゃったし。かと言って今さらあの家にも帰れないし。バイトしようと思ってもどこがあたしみたいなのを雇ってくれると思う？　住所不定の女の子を。だからいっそさ、どっかの国から日本中にミサイルが降ってきてくれればいいと思うくらい。それでみんなあたしみたいになればいいんだよ。そしたらさ、みんな一文無しの住所不定になって、みんな平等。これでいいじゃん。誰もあたしを助けてくれなかったのが悪いんだからさ。いじめに関わってない同級生も、親戚も、近所の人も、先生も、医者も、警察も、市役所の人も、実業家も、政治家も、誰もあたしの不幸を見ようとしてないし。みんな自分のことばかり考えてる。自業自得だよ。ミサイル降ってきてくれないかなーってマジで思ってるよ。これがあたしの希望かな。暗い希望だよね。でもそれしかないから。あたしにとっては、唯一の明るい希望」</p>
<p>彼女の話を聞いて、僕は安堵した。そして胸ポケットから小さなスイッチを取り出すと、躊躇いなく押した。</p>
<p>しばらくすると防災無線が鳴り響き、おそらくはミサイルであろう飛翔体が日本に向けられて数発ほど発射されたというアナウンスが聞こえた。夜の繁華街は一瞬にして、逃げ惑う人々の嵐に包まれた。</p>
<p>「うそっ、何これ？　マジで？　やだ、逃げないと……、どうしよう！」</p>
<p>彼女は驚いたように立ち上がると、周りの人たちと同じように焦った様子をしながら僕の目の前からどこかへと走り去って行った。やがて群衆に溶け込んで、その鮮やかな茶髪も見えなくなった。僕は、一人きりになった。</p>
<p>……なんだ。君も嘘吐きだったんだ。</p>]]>
        
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    <title>俺と彼女とブックマーク</title>
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    <id>tag:naksnd.tsugumi.org,2009://1.131</id>

    <published>2009-09-25T16:45:24Z</published>
    <updated>2009-09-25T16:45:24Z</updated>

    <summary>毎日、近所の図書館に通うのが俺の習慣だった。俺は自宅にインターネットに接続できる環境がないから、その図書館のパソコンを使ってインターネットのサイトを閲覧していた。パソコンは一台しか置かれていなかったが...</summary>
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        <![CDATA[<p>毎日、近所の図書館に通うのが俺の習慣だった。俺は自宅にインターネットに接続できる環境がないから、その図書館のパソコンを使ってインターネットのサイトを閲覧していた。パソコンは一台しか置かれていなかったが、俺がパソコンの前に長い間いても他に誰も待っている様子はなかった。何せこの図書館では、俺のような若い連中を全く見掛けたことがない。過疎地と呼んでもいい田舎だからということもあるのだろうが、図書館に来るのはだいたい暇のあるようなお年寄りばかりだ。彼らはコンピュータの使い方も解らないし、そもそも興味もないんだろう。俺が使わなければ、誰が使うだろう？　そんな状況だったから俺は誰にも気兼ねすることなく、俺自身が飽きの来るまで、長ければ一日中ずっとパソコンを使うこともできた。</p>
<p>ある日、いつものようにサイトをだらだらと巡っていると、一つのサイトに辿り着いた。「山本テロリズム」という仰々しい名の付けられていたそのサイトは、デザインは全く洗練されておらずにただ真っ黒な背景に赤文字という悪趣味の範疇を出るものではなかったが、その内容が俺の興味を惹いた。</p>
<p>「自己殺戮記」というこれまた仰々しいタイトルのコンテンツが、そのサイトのメインコンテンツであるらしかった。単純に言えばサイト管理者の日記なのだが、これがずいぶんと酷い。</p>
<p>とある日の日記には、掛けている眼鏡が気に入らないからと足で踏み潰して粉々になるまでの過程の写真が載せられていた。その際に足に傷を負ったらしく、血まみれになった足の写真すらあった。またある日の日記には、鏡を見ている時に左目が自分を憎らしげに睨んでいたからと言って鏡を窓に投げ付けてガラスごと割ったという記述もあった。実際の左目も自分で殴って傷付けて視力を落としたとも書かれていた。</p>
<p>ざっと見ると他の日も同じように自傷をモチーフとした内容で、そのような日記がおおよそ二年分、ほとんど毎日欠かさずに書かれていた。サイトには自己紹介のようなページはなかったが、日記の記述や写真にちらりと写っていた顔から考えて、高校生くらいの若い女性であるらしかった。そんな子が、こんな自虐的な暴力を振るっているのだ。それも、日を経るごとにどんどんと酷くなっていく。そのうちビルから飛び降りたりするのではないかとさえ思えてくる。</p>
<p>こうした他人が壊れていくさまを見るのが、俺には面白くてたまらなかった。退廃的で、しかし耽美的でもある。そしてこの「山本テロリズム」こそが、まさにそのストライクど真ん中に当たるものだった。</p>
<p>俺は思わず、そのサイトをブラウザのブックマークに入れていた。全ての日記を一日に見るのは難しいから後でまた見に来ようと思ったし、何しろ今後の彼女の繰り広げる展開が気になる。パソコンは共有のものだったが、どうせ俺くらいしか使わないのだからブックマークくらいいいだろう。その時点では、それを大して気にすることはなかった。</p>
<p>翌日、昨日見たサイトを見ようとブックマークを開いた。けれどもそこには、「山本テロリズム」の項目はなかった。ブックマークに入れる際の手順にミスがあったのだろうと、特に気にせずに「山本テロリズム」を検索サイトから探し当て、再びブックマークに入れ直した。</p>
<p>その日は更新はなかったが、俺は過去の日記を見て楽しんだ。やはりこの管理者の少女は病んでいる。病み切っている。俺は自然と白い歯をあらわにして、一人で笑っていた。</p>
<p>その翌日も、「山本テロリズム」を見るためにブックマークを開いた。そこで初めて、俺は異変を感じた。昨日と同じように、入れたはずのブックマークが消えている。他のどうでもいいブックマークには何も変わりはなく、消えてはいない。俺は二度も自分の行為の幻を見たというのだろうか？　そんなはずはない。<em>これは誰かが、消しているのだ</em>。</p>
<p>では誰が消しているのだろう？　図書館の職員がブックマークを一つ一つ見て、共有パソコンに相応しくないサイトを消している？　考えられなくもなかったが、職員の老いた面々を見る限り、そんなリテラシーがあるとは思えなかった。</p>
<p>誰かがいたずらで消しているのかも知れない。そうだとすれば、そんないたずらにいちいち楽しみを奪われるのも癪だ。ここはあえて気にしない方がいいのかも知れないと思って、俺は昨日と同じように検索サイトから「山本テロリズム」へと飛んだ。</p>
<p>けれどもそこには、昨日までの陰鬱な光景は見えなかった。代わりに、「403 Forbidden」という、ページを閲覧する許可がないことを示す質素なエラーページが表示されていた。</p>
<p>どうしたのだろうと思い、俺は更新ボタンを何度も繰り返して押した。しかし、サイトが見られない状況に何も変わることはなかった。ただ「403 Forbidden」だけが表示され続けていた。</p>
<p>俺は楽しみを一つ奪われた気がして悔しくなり、ため息を吐いて舌打ちをした。「久々に見つけた面白いサイトだったのにな！」と独り言が口をついて出さえもした。</p>
<p>すると突然、後ろから細い声が聞こえた。</p>
<p>「……あたしのサイト、そんなに面白かった？」</p>
<p>振り向くと、左目に眼帯をした色白で髪の長い女の子が立っていた。その顔は、ちょうどその時開いていた URL にかつてあったサイトで見た写真に写り込んだ顔と、全く同じだった。彼女は薄笑いをしながら、その右目で俺を真っ直ぐに見据えていた。</p>]]>
        
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    <title>残された白猫</title>
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    <id>tag:naksnd.tsugumi.org,2009://1.129</id>

    <published>2009-08-14T17:48:14Z</published>
    <updated>2009-08-14T17:48:15Z</updated>

    <summary>おいらの主人がいなくなって、もう二ヶ月が経った。ある日何も言わずに突然姿を消してしまって以来、ずっと帰って来ていない。部屋の中はすっかり動きを失って、毎日が止まっているかのように見えた。 まさか猫の世...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://naksnd.tsugumi.org/">
        <![CDATA[<p>おいらの主人が<a href="http://naksnd.tsugumi.org/2009/06/post-84.html">いなくなって</a>、もう二ヶ月が経った。ある日何も言わずに突然姿を消してしまって以来、ずっと帰って来ていない。部屋の中はすっかり動きを失って、毎日が止まっているかのように見えた。</p>
<p>まさか猫の世話というものがいい加減嫌になったから、おいらをほっぽり出したままどこかへ消えてしまったというわけじゃあるまい。だいいち主人はそんな単純な人間じゃない。おいらは主人と一年半も暮らしたくらいだから、それは分かる。失踪には、何か単純ではない複雑な特別の事情があるに違いなかった。</p>
<p>ただ主人が失踪したなら、寂しいというだけの問題で済んだ。主人は飯を作って恵んでくれたり暇な時はじゃらして遊んでくれたりしたりしただけだったから、おいらはただの飼い猫として居候していたと言ってもいいだろう。けれども主人とおいらの関係はそんな居候し居候されだけのものじゃなかったから、主人の失踪はおいらにとっては寂しいどころではない問題でもあった。</p>
<p>飯の方は、主人がいない間でも何とかなる。腹が減れば窓の隙間からちょいと出て行きつけのゴミ置き場を漁ればありったけの飯にありつけるし、あるいは他に猫を飼っている家の庭にお邪魔して、庭先の餌の皿からかっぱらって食べることもある。そこにその家の猫と鉢合わせた時には喧嘩になりそうなこともあるが、そんな時はわざわざ敵を作る利点もないからおいらの方から身を引くことにしている。それでも餌場はたくさんあったから、とにかく餌に困ることはなかった。</p>
<p>情報にも困らない。おいらの近所には野良猫ネットワークというべきものがあって、天気のいい日には近所の野良猫が駐車場にこぞって集まり集会を開いている。野良猫ネットワークは、質は良くないとは言えその情報量は豊富だった。だから主人の失踪した理由にまつわる話を聞けるかも知れないと思って、おいらは少し前まで何日おきかにその集会に顔を出していた。</p>
<p>実を言うと、おいらはこの野良猫たちとはあんまり気が合わなかった。別においらは自分を高貴な猫だとは決して思っちゃいないが、野良猫たちにはみんな揃って汚らしい。主人のいた頃においらが出会っていた猫たちはみな飼い主に手入れされているのか毛並みが良く、ほのかに良い香りすら漂わせていた。けれどもここの野良猫ときたら、茶色い泥が毛に付いていても何も気にすることもなく、全身の毛が薄汚れている上に、鼻の奥を突き刺すような匂いがする。それに何より、学がない。</p>
<p>「飼い猫どもはダサいんだよね。屋根の下じゃなきゃ生きていけないんでしょ？　マジひ弱な家畜じゃん」</p>
<p>「野良の方が楽なのにな。わざわざ人間どもに飼われるっていう奴の気が知れないね」</p>
<p>「俺、飼い猫となんて付き合いたくねえよ。あいつらいちいち鼻に付くし。まっぴらごめんだぜ」</p>
<p>そんな具合にオスメス関係なく、言葉遣いも悪ければ、飼い猫というものを頭ごなしに貶して否定する奴らばっかりだった。飼い猫も野良猫も同じ猫なんだからどちらが優れているかなんてないはずなのに、あたかも自分たちの方が優越しているかのように飼い猫を馬鹿にする。面倒なものだ。</p>
<p>だからおいらは自分が飼い猫だったとは一言も言わずに、ただ主人に関する情報を集めるために、遠くから越してきた野良猫として振る舞った。野暮ったい野良猫たちと話を合わせるのは正直なところ苦痛だったが、それでもおいらは努力をした。</p>
<p>けれども、有用な情報は何一つ得られなかった。代わりに得られたのは、野良猫たちの持つ人間たちへの意地の悪い言葉だけだった。</p>
<p>「人間がいなくなった？　いいねえ。奴ら、全員いなくなっちゃえばいいんだよ」</p>
<p>「人間は俺たちを轢き殺す。だけど、俺たちは人間を轢き殺せない。いなくなったのも、きっと天罰だぜ」</p>
<p>「あいつらは結局あたしたちのことなんかどうでもいいんだよ。可愛い可愛い言ってさ、増えたら増えたで捨てちゃうでしょ」</p>
<p>「俺なんか無理矢理去勢されたんだぜ。その人間がいなくなったからって関係ないね」</p>
<p>おいらはうんざりした。訊いても訊いても事前に示し合わせたかのようにそればかりだったから、これ以上主人のことについて訊く気すら失せてしまった。</p>
<p>どうやらどの野良猫にとっても、人間というものは憎悪の対象らしい。おいらは主人と暮らしてきたが、なかなか飯をくれない時には苛立ちを感じることこそあっても、決して憎悪を感じることはなかった。それが野良猫たちは人間への憎悪にまみれている。カルチャーショックとも言うべき思いを感じて、おいらは汚い野良猫たちの集まりへは二度と顔を出すことはなかった。</p>
<br />
<p>それから数日が経った。窓の外に太陽が高く昇って、真っ白い光を惜しげもなく地面へ照らし落としている暑苦しい日のことだった。おいらはいつものように主人の部屋のテーブルの下に寝っ転がって、主人の帰りを諦めつつありながらも待っていた。</p>
<p>そこに、インターフォンの音が鳴った。一回、二回、三回と鳴る。主人がいない間にそれは何十度もあったが、大抵は何回か鳴らして不在なのを知ると用を諦めて帰ったのかまた静かになった。今回もその類のものだろうと思いながらインターフォンの音が鳴り止むのを待っていると、どうもいつもとは違う雰囲気を体中で感じた。</p>
<p>「……シロさん」</p>
<p>ドアの向こう側から、弱々しい高い声がおいらの名前を呼んだ。おいらははっとして顔を上げ、体を起こした。全身の毛がぞくぞくと震えていた。足の先にわずかに汗が滲み出ていた。</p>
<p>“あいつ”だろうか？　おいらの名前を知っている人間は、主人か“あいつ”しかいない。</p>
<p>もしも“あいつ”だったとしたら、おいらはきっと連れ去られる。そうだ。“あいつ”は主人をどこかで誘拐してから、おいらの居場所を突き止めて、とうとうここへやってきたんだ。</p>
<p>鍵を回す音がして、すぐにドアが開いた。何十日ぶりかに開いたドアの向こうに現れた姿を、おいらは息を潜めながら目を凝らして見つめた。</p>
<p>そこにいたのは、やはり主人ではなかった。左目には眼帯を付け、両足には包帯を巻いた、長く黒い髪の<a href="http://naksnd.tsugumi.org/2008/10/post-64.html">奇妙な女子高生</a>だった。</p>
<p>「……シロさん、良かった……。無事だったんですね……」</p>]]>
        
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    <title>てにすぶ！</title>
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    <published>2009-08-07T18:47:09Z</published>
    <updated>2009-08-07T18:47:09Z</updated>

    <summary>私は本当にテニスというものが大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。どれくらい嫌いかというと、あのしゃもじの太くなっている部分をくりぬいて糸を張ったようなラケットを見るだけでもう鳥肌が立ってめまいがしてきたり...</summary>
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        <![CDATA[<p>私は本当にテニスというものが大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。どれくらい嫌いかというと、あのしゃもじの太くなっている部分をくりぬいて糸を張ったようなラケットを見るだけでもう鳥肌が立ってめまいがしてきたり、ボールを打ち返す音を聞くだけで頭の中がその音の響くので一杯になってそのうちほかほかのよだれを垂らして失神してしまうくらい。ということは実際にはなかったが、日常ではテニスに関係あるものからは最大限に避けるようにして過ごしている。</p>
<p>私がこんなテニス嫌いになったのは、これまでの私とテニスとの接点にある。それはたぶん、悲劇と言ってもいい。</p>
<p>まず私は生まれてからもう数ヶ月後に、そのふにゃふにゃの柔らかい手に無理矢理テニスラケットを握らされた。もともと父親がプロテニスプレイヤー志望で、叶えられなかった夢を娘の私に実現させて自分の欲望を満たすという望みを持っていて、私に幼い頃から英才教育と銘打ってテニスを学ばせて将来は一流プレイヤーとして世界を駆け回って欲しいとでも思っていたのだろう。ずいぶん身勝手な親だ。私の意向なんてあったものじゃない。その時の私にもし今と変わらない程度の物心が付いてさえいれば、私は握らされたラケットで父親を殴り殺していただろう。けれども生まれてすぐのまだ乳離れもしていない赤ん坊にそんなこともできるはずもなければ親の言うことを拒否することだってできない。だから私は言われるままにラケットを握り、父親の投げるボールを言われるままに打ち返すしかなかった。</p>
<p>それだけなら微笑ましいテニス親子として映るからまだいい。ただ、父親はプロテニスプレイヤー志望だったにも関わらず大の付くほどの下手くそで、また下手くそにも関わらずやけに教育熱心だったからたちが悪かった。私がボールを打ち返し損じただけで、怒鳴り散らしながら殴る蹴る殴る蹴るの繰り返しだ。それで私が体中の痛さに泣き喚くと、また殴る蹴る殴る蹴る。父親はしつけのつもりだったのかも知れないが、これだけは絶対にしつけとは違う。暴行を受けた私本人が言うのだから、違うと言ったら違う。ただの虐待だ。</p>
<p>母も母で、私の体があざだらけなのを見てどうしたのかと問うて返ってきた父親の「練習で転んですりむいて大変だったアハハ」というふざけた答えをまるっきり信じてそれっきり何も言わない。もしかしたら本当は父親の暴行にうすうす気付いていたのかも知れないが、そうだとしても見て見ぬふりをして何も言わないのはひどい。</p>
<p>私は幼心にテニスを恨んだ。もちろん両親のことも同じように恨んだが、まずテニスがあることで私は苦しめられている。テニスがなければ、私はこんな目には遭うことはなかった。だから私を苦しめる全ての根源たるテニスというスポーツそのものを呪った。もうこれで私のテニス嫌いの土壌は完璧にでき上がってしまった。いずれテニス嫌いが大きな実になることは自然なことだった。</p>
<p>それから数年間同じような日々が続いた。けれども不思議なことか当然なことか、テニスを嫌うのに反比例するかのようにして私のテニスの実力は付いていった。</p>
<p>そして小学生のときのある頃には、テレビ局が“天才テニス少女”の取材ということで当時私が入っていた地域のテニスクラブまで来たこともある。その時に私は屈辱的な思いをした。取材に来た太った禿頭の中年から、「テレビで映るから」と作りたくもない笑顔を作るように注文されたのだ。</p>
<p>もともと好きでやっていないテニスだ。好きでないものに笑顔なんか作れるわけもない。だから「笑って笑って」と今にも泣き出しそうな顔で懇願する禿頭を前にしても、私はどうしようもなく突っ立っていることしかできなかった。すると、突然私の体は横になぎ倒された。父親に蹴り飛ばされたのだ。背中に鈍い痛みを感じながら顔をしかめていると「こいつはこうすると笑うんですよ」という父親の嬉しそうな声が聞こえた。もうその時は笑うしかなかった。笑わなかったら、私が血を吐くまで父親は蹴り続けるに決まっていた。いや、血を吐いてもまだ蹴り続けたのかも知れない。私が立ち上がって笑い顔を無理矢理作って禿頭を見た時のぽかんとした顔は、今でも記憶に焼き付いている。</p>
<p>中学校に上がると、テニス部に無理矢理入らされた。父親が勝手に入部届を学校へ提出してしまったのだ。もう私はテニスからは一生離れられないと諦めていたから、特に反発することもなくそのままテニス部へと入部した。</p>
<p>入部したての頃に、遊びで試合しようと言った三年生を軽々と下してしまったものだから、とうとう三年生が本気になって私の相手をしたけれどもその全員も負かして悔し涙を流させたことがある。さらにその少し後に出た市内の大会では、一年生ながら準優勝してしまった。</p>
<p>それから私はテニス部の未来の大ホープと持てはやされて、優しい部長に大いに気に入られた。新聞部の発行する校内新聞でも大きく取り上げられた。けれども全然嬉しくも何とも感じなかった。私と他の一年生との間には目に見えない大きな溝ができたような気もしたし、上級生からは羨望と嫉妬の中間の視線が絶えず私を突き刺している思いがしたからだ。</p>
<p>私はできることなら、ただ普通のテニス部員でいたかった。普通の中学生でいたかった。しかしそれはもう叶わないことだった。私は父親の元に生まれたときから既に、こうなることが決められていたのだ。そしてこの先もずっと、私はテニスから逃れられない。それからはヤケになるようにしてテニスボールを夜まで打ち返し続けた。</p>
<p>けれども中学一年の秋に、そんなテニス漬けの暮らしからとうとう解放された。父親が突然、死んだのだ。</p>
<p>死んだ後で聞かされた事実だが、父親には繁華街にある水商売の店に足繁く通うという家族には決して見せない裏の顔があったという。おまけにその店のあるホステスに何百万円という単位で金を貸していたそうだ。年収近くを貸した頃になって父親も馬鹿なりに気付いたのか、そろそろ金を返して欲しいとそのホステスに言った。どんな風に言ったのか知らないがそこで逆上され、灰皿で頭を何回も殴られて殺された。身内ながら本当に馬鹿な父親だと思う。</p>
<p>父親の亡骸は、その頭の右片方がカルデラ湖の中心のように頭蓋骨を大きく凹ませていて、その奧には乾いて固まった血が黒くこびり付いた白い脳みその表面が見えた。顔は右側を若干下に落ち込ませるように歪んでいて、どこかのお化け屋敷で見たようなお化けと同じような無様な表情を浮かべていた。私はそんな父親のみじめな亡骸を見ても、涙の一粒も出なかった。今まで私を殴ってきた分だけ父親は殴られて、頭を潰されたのだ。そうとしか思えなかった。</p>
<p>父親は葬式の後に焼かれて白い骨になった。台車の上に散らばって鈍く光っている骨を見て、私は初めて心の中にすきま風が吹いているのを感じた。気持ちの良い風ではなかった。心に空いた穴を通って体中の穴から少しずつ吹き出ていくような、どこか冷たい風だった。あれほどテニスを通じて私に許しがたい暴力を振るったとは言え、やっぱり私の父親だったのだ。骨を母と拾って骨壺に納める間、私は何も喋ることができなかった。父親がたまにその顔に浮かべた笑い顔を、私は自分の頭の中に蘇らせていた。</p>
<p>父親が死んでテニスの地獄から解放され、私はそれからラケットを握ることはなかった。テニス部も「テニスが好きだった父親が亡くなって気持ちの整理が付かないから」という理由を付けてあっさりと辞めた。私を気に入ってくれていた部長や上級生同級生の何人かは、私をしつこく引き留めた。確かに私にとっても部にとっても、そのままテニスを続けることが最善の道だったのかも知れない。ただ私を引き留める先輩の後ろで冷たい横目をしながら私を睨んでいるだけの先輩もいて、その姿を見て私はもうテニスはこれっきりにしたいと決断した。</p>
<p>テニス部を辞めた後は、テニスとは全く何の縁もないオカルト部に入った。もともと私はテレビの特集や子供向けの本で見たUFOやUMAなどの話に興味があったし、外見とは違って性格的にも実は内向的な面があったから、偶然か必然かそういう人の集っていたオカルト部での活動は楽しかった。何より、私とテニスとの関わりを知らない上に詮索もしてこない人たちの中に交じることで、本当の意味でのテニスからの解放を感じて身が軽くなる思いがした。</p>
<p>私はそのオカルト部で、生まれて初めてと思えるくらいに気の合う同級生の友人ができた。それが山本さんだった。</p>
<p>市松人形のような長い髪に変化に乏しい表情という、一見して垢抜けない暗く冷たい雰囲気をまとっている山本さんは、UFOの話題になると途端に感情を露わにして饒舌になる。彼女はUFO専門家と言ってもいいくらいにUFOの情報に通じていた。UFOの形状から種類、歴史まで、私が普通に生きていれば知ることのなかったであろう情報は全て彼女の頭の中に網羅されているようだった。UFOについて私が知らないことを彼女に訊ねる。するとまるで事前にその質問がされるということを知っていたかのように、すぐに難なく適切な答えを出す。私が感心してさらに別の問い掛けをすると、それにも同じように詳しく答えてくれる。まさにUFOの生き字引だった。</p>
<p>山本さんの方でも私の下らない質問に答えることは苦痛ではなくてむしろ楽しかったらしく、質問しては答え質問しては答えの掛け合いの中で私たちは自然と親しくなっていった。親しくなって初めて分かったのだが、彼女には恥ずかしがり屋の面が強くあって、初対面の人間には無意識ながら冷たく当たってしまうことがあるようだった。一方で互いに打ち解けると、初めは見せなかった面を徐々に表し始めて、実は温厚で明るく他人の気遣いのできる人物なのだと知ることになる。いわゆるネアカという種類なのだろうが、第一印象で損をすることが多いのだろうな、と私には感じられた。私との間にはUFOの話題があったから、これだけ距離を狭めることができたのだろう。</p>
<p>山本さんとの付き合いはオカルト部の中だけでは留まらず、夏休みには長野の菅平高原に二人きりでUFO合宿をしにいったこともある。UFOが間に挟まれば私たちは師弟の関係にあったと言ってもよかったが、それ以外の場においてはお互いに口にこそ気恥ずかしくてしないものの、間違いなく唯一無二の親友と呼べる仲だった。</p>
<p>そして気付けば中学の三年間はあっという間に過ぎ去って、私と山本さんは同じ公立高校に入学していた。別にお互いに話を合わせて進路まで一緒の道を歩もうとしたわけではなくて、オカルト趣味も近ければ学力も家の経済力も同じ程度だったから、たまたま進路が重なったというだけだった。進路がよりどりみどりの都会とは言いがたい地域では割と良くあることだ。</p>
<p>進学する高校がお互いに同じだということを知ったとき、私たちは顔を見合わせてから手を取り合って喜んだ。そして「高校でも一緒の部活に入ろう」という約束を交わした。</p>
<p>中学卒業間近になって、進学先の高校のテニス部の部長と名乗る人物から家へと電話があった。どこから聞き付けたのか、私が中学校のテニス部へ入部してすぐの大会でいきなり準優勝を飾ったという話を知って掛けてきたという。そして高校では是非テニス部へ入って欲しいということを告げて、私の方の是非は聞かれることもなく電話は切られた。</p>
<p>私はもうテニスとは縁を切ったつもりでいた。父親が死んでからラケットもシューズも処分してしまったし、一生テニスとは関わることがないと思っていた。そこにその電話だ。うんざりした。父親があの世でも、私がテニスを続けるように何かの手回しをしているのではないか、そう思いさえもした。</p>
<p>高校ではもう入る部活を決めていた。もちろんテニス部などではない。テニス部に入らなければならないくらいなら、学校の階段からわざと転げ落ちて、誰に何と強制されようと一生テニスのできようのない体になってやる、といった不謹慎なことを思うくらいテニス部に入る気はなかった。</p>
<p>高校に入り、私と山本さんは中学のときと同様に別々のクラスになった。私たちはどうしても同じクラスにはなれないように運命付けられているのかも知れない。けれども同じクラスにいて長い時間の付き合いをしないことで、かえって親密な仲を保つことができる、そういうことを実際に中学からの付き合いの中で感じていた。これからもきっとそうなのだろう。</p>
<p>入学後しばらく経ってから新入生が体育館に全員集められ、部活動のオリエンテーションが行われた。文化系の部活から体育会系の部活まで、全ての部からの代表が何人かで各々の部の紹介をするというものだった。どの部でも部員を確保しようと必死なのか、ユーモアに溢れたアピールが目立っていた。酷いものになると、一人で壇上に登場してきて「部員がいないんです。部員は僕一人だけです。入って下さい」と言っただけで退場して爆笑を誘った地図部といったようなものもあった。</p>
<p>しかしその中でも、テニス部の紹介は目立っていた。ユニフォーム姿の部員が三人登場する。そのうちの二人が両端にボールとラケットを持つ。その二人の間に、もう一人がラケットを持って立つ。両端の二人がラリーを打ち始める。その間の一人が、真ん中でラケットを持ちながら引っ繰り返ったり横になったりというブレイクダンスを踊り始めた。しかしこのダンス、ラリーとは何の関係もないものと見せかけて、実は両端から受けるボールをダンスをしながら連続で返しているというものだった。ただダンスをしているようにしか見えないものが、難なく素早く二つのラリーを返しているという曲芸に、新入生の間からは自然と大きな歓声と拍手が上がった。この日でこのテニス部の紹介が、もっとも歓声を浴びたものだっただろう。この曲芸としてのテニスは、私も面白く感じて目を見張った。それでもいくらこの曲芸がすごかろうと、テニス部に入るつもりはなかった。</p>
<p>「すごかったね」「うん、すごかった」</p>
<p>けれどもオリエンテーションの後に、誤算が起きたことに気が付いた。世紀の大誤算だ。まずこの高校には、オカルト部などという部は存在しなかったということ。そして、山本さんがどうしてもテニス部に入ると言って聞かなかったということだ。</p>
<p>オカルト部が存在しないのは仕方がない。ないものはないからだ。しかしまさかUFO好きの超文化系の山本さんが、体育会系の総本山とも言うべきテニス部を志望するとは思いも寄らなかった。おおかた先ほど熱演していたテニス部の雰囲気に呑まれて、それだけで決めてしまったに違いない。一種の洗脳だ。</p>
<p>だから私は山本さんに言った。テニス部は、テニス部だけは駄目だ、と直接言うことははばかられたので、それとなしに何となく考えを変えるように言ったのだ。</p>
<p>「ねえ、言いにくいんだけどさ」「何？」「他の部活にしようよ」「えー何それ。部活って言ったら青春でしょ。青春って言ったらテニスでしょ」「私テニス嫌いなの」「そんなの知らないよ」「知ってよ」「知らないよ」「オカルト部は？」「オカルト部なんてこの高校にないじゃない」「作っちゃえばいい」「面倒じゃん」「じゃあ私が作るから入ってくれる？」「やだ」</p>
<p>そして山本さんは先に一人でテニス部へ入ってしまった。「待ってるからね」。そう軽快に笑いながら言い残してテニスコートへと走っていった山本さんのジャージ姿が、まぶたの裏に焼き付いて鈍い痛みを感じるほどだった。</p>
<p>学校の階段からわざと転げ落ちて一生テニスのできない体になる。そんな考えはもう頭にはなかった。</p>]]>
        
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    <title>新宿駅で踊る</title>
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    <id>tag:naksnd.tsugumi.org,2009://1.125</id>

    <published>2009-07-27T06:28:30Z</published>
    <updated>2009-07-27T06:57:11Z</updated>

    <summary>新宿駅の大迷宮を行き交う人々の真ん中で、汚らしい服を着た汚らしいチンピラみたいな奴が汚らしい長髪を振り乱して汚らしく踊っていた。一見すると身の上に何か悪い出来事が起きて気の触れてしまったような可哀想な...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://naksnd.tsugumi.org/">
        <![CDATA[<p>新宿駅の大迷宮を行き交う人々の真ん中で、汚らしい服を着た汚らしいチンピラみたいな奴が汚らしい長髪を振り乱して汚らしく踊っていた。一見すると身の上に何か悪い出来事が起きて気の触れてしまったような可哀想な奴にしか見えなかったけれど、少し時間を割いて見ていると、タン・タ・タン・ラン・タ・タン・タン・タ・タン・ラン・タ・タン、とある一定のリズムに則って足を踏んだり手を舞わせたり腰をくねらせたり引っ繰り返ったりしながら踊っているのが分かった。でもそいつの踊りに合わせて音楽が鳴っているわけでもなかったから、リズムをつかみながら踊りを見る人なんてほとんどいないだろう。そういう大多数の人にとってはやっぱりただの可哀想な奴だ。</p>
<p>あいつは内心で今の自分をお洒落だとか思ってるんだろうか？　俺にはお世辞にもそいつの踊りがお洒落だとは言えないし思えない。ダンスの専門家かなんかからして見ればもしかしたら一流の踊りだとかいう評価が付くことが万が一にもあり得るかも知れないが、この目の前で繰り広げられている踊りは一般人にとっては理解しがたいを越えてわけが解らないもの以外の何でもない。何より他人のそいつに対する態度がそいつの存在とそいつの踊りを思いっきり否定していた。</p>
<p>「うわダッセ」「ちょっと邪魔あ」「気持ち悪い」「意味解んない」「くっさあい」</p>
<p>そいつに向けて、ひそひそとはばかるでもなく非難の罵声が容赦なく投げ掛けられる。中には言葉だけでは飽き足らず、わざわざそいつの目の前で立ち止まってから鼻をかんで使ったティッシュを投げ付けるなんていう酷いおっさんもいた。そういう行動に出る人の気持ちも絶対に何が何でも解らないということでもない。なぜならこいつの踊りは、ほんとにダサくて邪魔で気持ち悪くて意味が解らなかったからだ。最後の臭いは分からなかったが。</p>
<p>それにも構わず、そいつは踊りを止めなかった。俺は暇だったしそいつのことが気になったからちょっと離れた場所から携帯電話をいじくる振りをしながら踊りを見ていたんだけれど、通行人に暴言を浴びせられたりゴミを投げ付けられたりしているのがまるで自分とは関係ないと思っているように、踊りの内容も質も変えずに続けていた。実際に、そいつに向けられる非難と踊っていることとはそいつにとってはそんなに関係がなかったのかも知れない。</p>
<p>タン・タ・タン・ラン・タ・タン・タン・タ・タン・ラン・タ・タン</p>
<p>踊りを無視して冷たく通り過ぎていく人たちの作る川を渡って、俺はそいつに近付いた。だんだんとファストフードで売られているジャンクなフライドポテトの油臭い匂いが辺りに満ちてくる。そいつの踊りで身体が動くのに従ってその匂いは拡散しているかのようだった。おそらくこいつがポテトの匂いの元凶だ。「くっさあい」とはまさしくこれだったのだ。確かに臭い。思わず鼻で息をするのもはばかり顔をしかめてしまうほど臭い。よっぽど汚れた場所から来たか浮浪者なのか分からないが、何日間も身体を洗っていないんだろう。</p>
<p>俺が近付いて来るのに気付いて何か考えたのか、あるいは単にたまたまタイミングが重なっただけなのか、そいつは踊るのをぴたりと止めた。髪がゾンビが墓から出てくるみたいにだらんと顔を覆っているのを、頭を一気に振り上げて後ろへやった。現れた顔は目の周りの彫りが深く意外にも整った顔立ちのように思えたが、その汚らしく伸びた長い髪ともじゃもじゃの髭と無表情のおかげで大損をしている。顔の雰囲気からすると、俺と同年代か少し上という気がした。ただやっぱりここでも髪と髭と表情のせいで、それ相応の若さは損なわれていた。そいつは踊りの後のクールダウンなのか屈伸をし始めた。その上下の動きに合わせて小蝿がぷんぷんと音を立てながらそいつの周りに群がっている。ポテトの匂いはこうやって小蝿だけを寄せ付けるんだろう。</p>
<p>俺がそばに立ってそいつの一挙手一投足を眺めているとそいつは「何見てんだよ」と不機嫌な顔をしながら言った。何見てんだよ、って見せるために踊ってたんじゃないのかと思ったがどうやら違うようだったから反論はしなかった。俺が黙っているとそいつはそいつなりに用事でもあるのか俺を相手にしようともせずにのろのろとした動きでバッグを拾い上げるとどこかへ立ち去ろうとした。</p>
<p>「どこへ行くんだ？」</p>
<p>俺は思わずそいつに声を掛けていた。本当はこんな怪しい奴とは関わり合いにもなりたくなかったと思っていたから、この自分の行動は自分自身でも意外だった。意外というよりも、どこか俺はここに来てこいつに声を掛けることが予め決められていてそれに従って行動したかのような感覚がした。</p>
<p>「家へ帰るんだ」とそいつは言った。「次に踊る奴が現れたから」</p>
<p>「えっ？」</p>
<p>「よろしく頼むぜ。今からお前はここで好きなだけ踊り続けるんだ。踊って踊って踊りまくって、新宿を、東京を、日本を、世界を、宇宙を盛り上げるんだ」</p>
<br />
<p>新宿駅の大迷宮を行き交う人々の真ん中で、俺は踊っている。もう何ヶ月も髪を切っていないから髪は前に後ろに横にと伸び放題で、服も取り替えていないから所々破れ掛かっていた。</p>
<p>そして俺は行き交う人々に罵倒される。「うわダッセ」「ちょっと邪魔あ」「気持ち悪い」「意味解んない」「くっさあい」。いつか聞いたような言葉。聞いたのは、いつだっけ？　もう忘れた。俺には踊るしかない。踊って踊って、宇宙を盛り上げていくしかない。</p>
<p>タン・タ・タン・ラン・タ・タン・タン・タ・タン・ラン・タ・タン</p>
<p>魅惑のステップ。だけど誰も俺を見ようとはしない。ああ、見ないでもいいさ。こんな汚らしい俺とは関わり合いになりたくないだろ？　こんなのに見とれちまう奴の方がいかれてるんだよ。まともな奴はまず俺なんて見ることがないんだ。見ないで正解、大正解。</p>
<p>タン・タ・タン・ラン・タ・タン・タン・タ・タン・ラン・タ・タン</p>
<p>誰かが俺を見ている気がした。ただ見ているんじゃない、そいつは俺をじっと見ていた。やっと来たか。次にここで踊り出すのは、お前だ。</p>]]>
        
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    <title>ブルドッグ</title>
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    <id>tag:naksnd.tsugumi.org,2009://1.124</id>

    <published>2009-07-26T18:01:21Z</published>
    <updated>2009-07-26T18:01:21Z</updated>

    <summary>「なんて言うか、たるいんだよ」 横の席の山本が俺の方へ目だけ向けやがってそう言った。その顔は言葉を裏切ることなく全面でたるいということを訴えていた。死んだブルドッグが間違ってこいつの面に取り憑いて間違...</summary>
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        <![CDATA[<p>「なんて言うか、たるいんだよ」</p>
<p>横の席の山本が俺の方へ目だけ向けやがってそう言った。その顔は言葉を裏切ることなく全面でたるいということを訴えていた。死んだブルドッグが間違ってこいつの面に取り憑いて間違ったと思いつつこいつの方もたるいので離れるのが嫌になりそのままになったようなそんな感じだ。</p>
<p>「たるい」</p>
<p>山本のたるいブルドッグ面はさらにブルドッグさを増してどんどんとブルドッグそのものに見えつつあった。このままこいつは近いうちにブルドッグになってしまうんじゃないかと思った。別にそうなったんならそうなっても俺の方は構わないが俺はそうなってもこいつの飼い主になんかなってやろうとは思わない。山本は一言で言うとキモい。顔は一見爽やかに見えて入学時こそは女子たちの話にも色々と噂に上げられていたそうだったが、なんというか何に付けても粘着質だからこいつはその本性がだんだんと明るみに出てからはいつでもクラスの鼻つまみ者で時々陰湿ないじめを受けていたこともあった。だから俺がちょっと可哀想になって会話の相手になってやったりしていたら自然と親しくなってしまったというわけだ。それでも山本の粘着質はことあるごとに俺を呆れさせることがあった。ブルドッグになったとしてもその粘着質は変わることはないだろう。餌一つのねだり方にしてもその粘着質は発揮されるに違いない。餌をくれ餌をくれ餌をくれとブルドッグの山本は一日中俺の足下で吠え続け唸り続けごねり続けるのだ。俺はそんなので困りたくない。考えただけでも鬱陶しいから俺は考えるのを止めた。</p>
<p>「何がたるいんだ」と俺は会話の礼儀だから相槌を打ってやる。「たるいんだ」「何がたるいんだっての」「とにかくたるい」「たるいたるい言ってちゃ分かんねーが」「全てがたるい」「全てか」「そうだ全てだ」「そりゃ困ったな」「あー困った困ったたるいたるい」</p>
<p>こいつは駄目だ。ただただたるいたるい言うばかりでてんで話にならない、というかまともに話もしたくないんだろう。俺のご親切な相槌にも適当に応えやがって失礼な奴だ。</p>
<p>「勝手にしろ」と俺は言い捨てて山本ブルドッグの方を向くのを止めた。「一生たるがってろ」</p>
<p>ブルブルブルブル</p>
<p>やることもなかったので教科書を開いて真面目くんを装おうとすると山本の席から普段あまり聞かない、というか聞いたこともないおかしな音が聞こえたのでそっちに目を遣ると、山本の姿はそこにはなかった。代わりに山本が座っているはずだった椅子の上に何かが置かれていた。ぬいぐるみのような毛に覆われたもの——ブルドッグ。</p>
<p>ブルブルブルブル</p>
<p>そいつが音を出しているのは間違いなかった。顔のパーツの全部が鼻の方にくしゃりと寄せられている黒みがかった顔、重力に抗うことなくだらりと垂れた頬、丸々と太らせた身体を支えるに相応しく生えた太い四つの足。それが椅子に座って俺の方へその大きな丸い目を向けながら、喉を小刻みに震わせて音を鳴らしていた。</p>
<p>「……山本？」と俺は犬に向かって問い掛ける。いや、犬に人間の言葉が通じるわけがない。俺は馬鹿か？　問い掛けてから俺は俺のしたことを反省した。しかしその場ではそうせざるを得なかったのだ。こいつは山本だ。たぶん。犬が突然山本と置き換わった形でこんなところに現れるはずがない。こいつは間違いなく山本で、山本はブルドッグに姿を変えちまったんだ。たぶん。</p>
<p>「ブルブルブルブル」と犬は依然として呻っている。俺は試しに問い掛ける。「ブルドッグになっちまったのか？」「ブルブルブルブル」「おい、お前は山本か？」「ブルブルブルブル」「山本じゃないのか？」「……」「山本か？」「ブルブルブルブル」「突然紛れ込んできた野良犬か？」「……」「山本なんだな？」「ブルブルブルブル」</p>
<p>分かった、こいつはどうやら日本語が通じる。呻ることで肯定文と否定文だけは使い分けられるようだ。犬になったら途端に賢い奴だ。</p>
<p>しかし一体なぜ山本が突然ブルドッグになってしまったのかは分からない。山本も山本の方で実は普段からブルドッグになってみたいという気持ちがあってそれで今回ブルドッグの神様か何かが突然舞い降りてきて願いが叶ったとかそういうロマンティックなストーリーも考えてみたがそれはいくら何でもあり得ない。いやそれを言うなら突然俺の隣にブルドッグがいるなんていうこの目の前の現実もあり得ない。山本という人間がブルドッグになったということもなおさらあり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。俺の目の前では普通では全くあり得ないことが現在進行形、アイエヌジー形で起こっている。</p>
<p>周りを見渡す。他の奴らはみんな犬がここにいるということにすら気付いていない様子で紙飛行機を飛ばしたりぺちゃくちゃ喋ったり弁当を食べたりとまあ気楽でいいことだ。俺は自分だけがこんな訳の解らない状況に置かれているのが嫌だったから山本とは反対の隣の席にいた眼鏡坊主の斉藤に声を掛けた。「ここにブルドッグがいるだろ、見えるか？」</p>
<p>「……佐々木くん、立ち直れていないんだね」「何言ってやがる」「ブルドッグか何だか知らないけど、もう山本くんはいないんだよ」「いないんじゃない、山本が犬になったんだ」「現実を見ようよ」「あ？　喧嘩売ってんのか？」「辛いかも知れない。でも、現実からは逃げられない」</p>
<p>こいつも駄目だ。話がまるで噛み合わない。俺と斉藤とはお互いに別の世界にいながら懸命に声を上げて会話をしているようで疲れる。俺はこれ以上無駄なエネルギーを使うのももったいないから話を切り上げた。現に隣にはブルドッグになった山本がいて、俺とは呻る呻らないのデジタルな手段で話をしていた。そのはずだった。</p>
<p>山本の机の上には、菊の花の差された花瓶が置かれていた。椅子の上には、先ほどまで話をしていたはずのブルドッグの姿もたるいと言っていた山本の姿も見えなかった。</p>
<p>「佐々木くん。山本くんは、昨日亡くなったじゃないか」</p>
<p>……そうだったね。</p>]]>
        
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    <title>捕縛、妄想の終焉</title>
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    <published>2009-06-26T14:09:47Z</published>
    <updated>2009-06-26T14:15:28Z</updated>

    <summary>月の女の子宮の中は、確かに温かかった。温かくて気持ちが良くて、このままここで横たわっていれば身体も意識もまるごとどろどろに溶かされてしまって、僕という存在が僕の知っているありとあらゆる空間から消えてな...</summary>
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        <category term="月の女" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>月の女の子宮の中は、確かに温かかった。温かくて気持ちが良くて、このままここで横たわっていれば身体も意識もまるごとどろどろに溶かされてしまって、僕という存在が僕の知っているありとあらゆる空間から消えてなくなってしまうんじゃないか、そんな予感さえ覚えるほどだった。</p>
<p>けれどこのまま僕が消えるのは御免だ。僕はまだ消えるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。まだ20そこらの年齢で死ぬには早すぎる。それに僕にはやるべきことがまだある。シロと一緒に、月の女の企てを防ぎ妨げなければならない。その前にこの月の女の胎内で、消されるわけにはいかないのだ。僕はここから、脱出しなければならない。脱出して、再び月の女の企てに立ち向かわなければならない。</p>
<p>そこまで思ったところで、僕はふと気付いた。気付いてしまった。</p>
<p>——月の女から守る。……何を？一体何を守るために、僕はシロと一緒に月の女と対峙しているんだろう？そもそも、月の女の企てとは何だろう？何の目的で僕たちに付きまとい、脅かすような出来事を起こしたりしたんだろう？そして果てには僕を浚い、自分の胎内に閉じ込めたんだろう？</p>
<p>シロは、確かに月の女に狙われていた。そしてシロと同じように何の罪もない猫たちが狙われ、おそらくは月の女に浚われて消えた。</p>
<p>けれどもそれは、そもそもの話僕とは何の関わりもないことだった。どれもこれも、僕がシロを拾ってから起きた出来事だった。つまり僕がシロと出会わなければ、僕がそのような出来事を知ることもなかったし、月の女の存在を知ることもなく、関わることすらもなかった。きっと今も、月の女の子宮に閉じ込められるなんて滑稽な事態にもならなかっただろう。</p>
<p>「あの雨の日に、人間の言葉を喋る不思議な白い猫に出会ってさえいなければ、僕はこんな面倒な目に遭うこともなく、ずっと平穏な毎日を送っていられた筈なのに」</p>
<p>そうかも知れない。と僕は、僕のものではない声に同意をする……、いや、するわけにはいかなかった。何故ならそれは、この壁を通じて聞こえる声——月の女の声だったからだ。</p>
<p>「そう思っているんでしょう？」と、月の女は語り掛けてくる。それは穏やかなものでありながら、挑発的な感情が込められているようにも僕には聞こえた。</p>
<p>僕はそれに答えることなく、月の女に問い返した。</p>
<p>「教えて欲しい。一体どうして、僕をこんな所に閉じ込めたんだ？」</p>
<p>「何故ならそれは、貴方には足りないから。全てが、足りないから。貴方にはその中途半端な全てを忘れて、再び育ち直すことが必要だから」</p>
<p>「足りない？中途半端？……意味が解らない」</p>
<p>「意味が解らない？本当は、解っている筈。全てにおいて足りない自分のことを、誰よりも貴方自身が解っている筈」</p>
<p>解っていた。もう、否定のしようがどこにもなかった。</p>
<p>月の女は、僕の心の内を全て知り尽くしている。僕がいかに自分の能力の乏しいことに劣等感を抱いているか、そしてまた僕が今しなければならないことは何なのか。その全てを、月の女は間違いなく、僕と同じように知っていた。</p>
<p>今の僕は、月の女と対等に向かい合う力を持ち合わせていない。僕がどんなに本気で力を出そうとも、月の女の前では全てが無力であるに等しかった。</p>
<p>「僕はここから、出られるのか？」</p>
<p>「眠りなさい、か弱い子。暫くの安らぎを、貴方に与えてあげる。私も、忌まわしい猫も、UFOもいない、穏やかな安らぎの時を、あなたにあげる」</p>
<p>そして、僕は“安らぎ”という名の眠りに落ちていった。</p>
<br />
<p>月の女が孕んだ僕がこの先、心も体も未熟なまま堕とされるのか、再び外の世界に産まれ出でるのか、僕には分からない。そして例え同じ世界に還ってこられたとしても、そこに以前と同じ生活があり、シロがいて、また月の女との対峙が待っているのか、それも分からない。</p>
<p>「全ては、貴方次第……」</p>
<p>意識が遠のく中、かすかに月の女の声が聞こえた。いや、それはただの雑音だったのかも知れない。</p>]]>
        
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    <title>御花見2</title>
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    <published>2009-06-09T17:44:25Z</published>
    <updated>2009-06-10T16:18:44Z</updated>

    <summary>   御花見 それから私と山本さんは、公園を一周してゐると云ふ遊歩道を竝んで歩いた。きちんと整備された遊歩道は、薄く桃色に染まつた櫻の花々に圍まれてゐる。それは丁度、トンネルのやうになつてゐた。 その...</summary>
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        <category term="御花見" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<ul>
  <li><a href="http://naksnd.tsugumi.org/2009/04/post-77.html">御花見</a></li>
</ul>
<p>それから私と山本さんは、公園を一周してゐると云ふ遊歩道を竝んで歩いた。きちんと整備された遊歩道は、薄く桃色に染まつた櫻の花々に圍まれてゐる。それは丁度、トンネルのやうになつてゐた。</p>
<p>その下をくぐるやうに通り拔けながら、私たちは色々な話をした。昔の學校の思ひ出話から、今のお互ひの暮らし。幼馴染みであるだけに、私たちの会話はトンネルの向かうに見える噴水から水が噴き上がるのと同じやうに次から次へと湧いて出て來て、止ることを知らなかつた。</p>
<p>“話に花が咲く”と云ふのはかういふことだらう。一方の櫻の花の方はその間も勿論綺麗だつたが、私は嬉しさうに話をする山本さんの顏の方に許り氣を取られ、櫻の美しいことを思ふ餘裕を与へられなかつた。彼女の方は何うだつたかは分からないが、私は櫻の花咲く周りの空間も關係なく、ただ山本さんと二人きりの閉じた場所に居るやうな氣にさへ囚われてゐた。</p>
<p>そんなものだから、私は足許に段差があるのをつひ見落として足を躓かせて仕舞つた。「きゃあ」と發した時には最う遲い、私は幾分派手にすつ転び、膝から地面に落つこちた。辛うじて反射神經が働いたお蔭で手が先に出たから、顏は何うにか打たずに濟んだ。</p>
<p>「大丈夫？靜子さん」</p>
<p>直ぐに山本さんが心配さうな顏をして横に寄つてきてくれた。不可ない、山本さんに心配されるなんて。私は「ええ、大丈夫」と苦笑ひをしながら起ち上がつて、服に附いた土を拂い落とした。</p>
<p>その時、不意に強い風がひゆうと邊りに吹いた。突然の風に、周りの花見客からはきやあきやあと云ふ騷がしい聲が上がつた。風は帽子やら傘やら紙屑やらを惡戲のやうにそこら中に卷き上げて、そのまま去つて行つた。</p>
<p>「あら、迷惑な風」</p>
<p>風は、取つて置きの惡戲も仕出かしてゐた。周りの櫻の花を掻き亂すやうにして、散り拂つて行つたのだ。お蔭で櫻のトンネルは、直ぐに薄い桃色で一杯に溢れた。</p>
<p>今まで見たことのないやうな光景に、私は思はず燥いで聲を出した。</p>
<p>「わあ、櫻吹雪！ほら」</p>
<p>「……」</p>
<p>私の呼び掛けに山本さんは何も応えず、ただ默つてその視線を舞ひ落ちる櫻の花へと向けてゐた。</p>
<p>「山本さん？」</p>
<p>「……櫻が綺麗なのはね、直ぐに散つて仕舞ふからなの」</p>
<p>さう言つた時の山本さんの顏に、ふつと影が差したやうに見えた。彼女は依然として笑顏だつた。しかしその間に差す影から、裏に隱された何か深く暗いものが顏を出してゐた。それを見て私は、途端にぎよつとした。心臟が何かに強く摑まれて締め附けられるやうな氣持ちを覺えた。</p>
<p>「直ぐに散つて仕舞ふことをみんな知つてゐるから、分かつてゐるから、その分だけずつと櫻は綺麗でゐられるの」</p>
<p>何故か私には、返す言葉が見當たらなかつた。懸命に心の中を探つても、何一つ適當な單語の一缺片すらも浮かんで來なかつた。</p>
<p>私はただ、もどかしかつた。何も言へない自分に苛立つてゐた。</p>
<p>……言へる筈がなかつた。</p>
<p>山本さんの顏に影を見てゐた私が押し默つてゐることに氣が附いたのか、山本さんはその影を直ぐに引つ込めた。そして私の手を取ると、「ね、廣場の方へ行きませう」と明るい聲で言つた。</p>
<p>先程の薄暗い影が同じ顏に現れてゐたとは思へないほどの明るい顏に、私は先程の山本さんの言葉が幻の中に聞こえたものなのではないかと疑つてさへ仕舞つた。しかしそれは紛れもなく、確実な感覚に聞いた言葉だつた。</p>
<p>その後山本さんはあの影を見せることもなかつた。感じさせることもなかつた。だから私はあの時に一瞬覺えた困惑を忘れながら、御花見の時を樂しく過ごせたのだらう。あるいは山本さんの方も、忘れてゐたのかも知れない。</p>
<hr />
<p>それから暫くして、櫻の花は全て散つた。</p>
<p>あれほど滿開に咲き亂れ人々を喜ばせてゐた櫻がまるで噓だつたかあるいは夢の中の光景だつたかのやうに、最うあの公園には春の華やかさは何處にも見えなかつた。</p>
<p>代はりに若々しい、しかし力強ささへ感じさせる緑の新芽が處々に吹き出してゐた。公園の噴水の周りには幼い子供たちが集まつて、強くなつた陽差しの下で甲高い聲を上げながら走り回つてゐた。</p>
<p>山本さんはあの時、最う自分の行く先のことに感附いてゐたのかも知れない。いやひよつとしたら、それよりもずつと前から悟つてゐたのかも知れない。それで、私を御花見に誘つたのかも知れない。さう今では思へる。</p>
<p>私があの御花見の時に見た笑顏は、決して華々しいだけの夢の中に見たものではなく、現實の中にこの目で見たものだつた。それは今も私の中では消えてはゐない。あの時と何も変はらず綺麗なままに、私の中で咲き續けてゐる。</p>
<p>そして今後もずつと、咲き續けるのだらう。</p>]]>
        
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