茨城症候群
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聖誕節前夕
- 2010年12月31日 23:50
二年前、私は曽祖母の日記帳を見付けた。納屋の大掃除をしている時のことだった。ぼろぼろになりかけた黄ばんだ紙切れの束、その表紙には大正何年と墨で書かれていたが、正確な文字は読み取れなかった。しかしその割には、肝心の日記の内容は鮮明に残っていた。文体こそ昔のものだったが、綺麗な字だったこともあって読めるには読めた。
私は大掃除を終えると、部屋にこもってその日記帳を読んだ。
あの晩はとても寒い晩だつたのを憶えてゐます。息を吐けば白くなり、手も凍えるほどの寒さでした。
その寒さの中で、私は一人、町へと出掛けたのです。若い娘が夜に一人で町を歩くことは普通であれば避けるべきことですが、丁度マツチが切れて仕舞つたのでストーブに火が點けられません。寒い日に火がなければそれこそ地獄ですから、何うしても買ひに行かなければなりませんでした。
何よりも、母の體調が氣掛かりだつたのです。父は日露の戰爭で死に、それ以來母は一人で私を育ててくれました。その間に母は肺病を患つたのでせう、寢込む日が年々多くなつてゐました。ですからあのやうに寒い晩は何うしても火がないといけません。マツチを買ひに行くより外になかつたのです。
マツチを買ふことには何の苦勞も要りませんでした。町の商店に行けば幾らでも賣つてゐましたから、ほとんどただ行つて歸るだけです。
歸る際に、何やら人が澤山竝んでゐるのが見えました。雜誌などが賣られてゐる、町で一番の書店の前でした。
その中に、スラリとした長身の男性を見掛けました。それは紛れもなく、私の通つてゐた高等女學校の先生だつたのです。私には、一目で分かりました。
「先生!」と私は思ふよりも先に大聲を出しました。これでは少し離れた場所にゐた先生も氣附かないはずがありません。手を振る私を見附けると、爽やかに笑ひながらこちらへ向かつて來ました。
——實を言へば、私は先生に戀をしてゐたのです。
先生への戀。生徒の分際でこんなことは不可ないことだとは解つてはゐました。しかし、一度火が點いた想ひは何うすることも出來なかつたのです。私は先生に對する自分の氣持ちに氣附いて以降、心の奧底に潛むこの甘く切ない想ひを何うにかして抑へやうと試みました。けれども想ひは膨らむ許りで、一向に萎むことはなかつたのです。
そして秋頃、遂に私は、私自身の氣持ちを傳へる手紙を先生へ渡したのです。便箋に十枚程だつたでせうか、自分勝手な氣持ちを竝べるだけ竝べた酷い手紙でした。しかし、渡したことは後悔はしてゐません。書いた想ひに何一つ噓はありませんでしたし、何より想ひを傳へることと傳へないこと、この兩者は全く違ふものだつたからです。
「やあ、山本君、奇偶だね。しかし危ないよ、夜に出歩いちやあ」
手紙を渡して以來、先生とは直接話をしてはゐませんでした。つまりこれが、私の想ひを知つた先生との初めての會話だつたのです。けれども先生の態度は、そんなことを全く思はせぬやうなものでした。至つて普通の、生徒と先生との間の會話でした。
「御心配は要りません、直ぐ歸りますから。しかし先生もこんな處で何をなさつてゐたんです」
「一寸エゲレス辭書に用があつてね、それで來てみたらこの竝びやうだ。もう歸らうかと思ふ」
「あら勿體ない」
私がさう言ふと、先生の目が一瞬時間の流れを忘れたかのやうにぴたりと止りました。その視線は、私を差してゐました。
「勿體ないのは……」
先生の顔からは、先程まであつたはずの笑顔が全く消えてゐました。
「……君からの手紙を讀んだ。僕は君の願いを叶へられない。でも、君の氣持ちに應へることならできる」
さう言ふと先生は私の手に何かを置いた後、兩手を包み込むやうにそつと握つたのです。温かい手を通して、同じやうに温かい先生の氣持ちが傳つて來るやうな氣がしました。
「先生……私」
と私が言ひ掛けると、それを遮るやうに先生の兩手がぎゆつと力強くなりました。そして靜かに首を振り、私の瞳をじつと見詰めました。これ以上何も言つてはいけない、と云ふことだつたのでせう。
見つめ合つてゐた暫くの間、私と先生は何の一言も交はしませんでした。交はさなかつたと云ふより、言葉は要らなかつたのです。私と先生の手と手、目と目を通じて、お互ひの想ひがそれこそ流れ込むやうに通ひ合つたのですから。
永遠と錯覺するほどの時間でした。しかしその時間もまた、過ぎていきました。やがて先生は握つた時を逆回しにしたやうにそつと私の手を離し、微笑んでかう言ひました。
「さやうなら、山本君。氣を附けて」
「……先生、さやうなら」
さうして先生は暗い闇の中へと消えて行きました。私は先生の後ろ姿が見えなくなるまでずつと立ち盡くしてゐました。
そこで、先生が何かを私の手に包んでくれたことを思ひ出しました。何だらう、と思つて靜かに開いてみると、折り紙で折つたと思はれる小さな白い鶴が手の平で舞つてゐました。
途端に、私は温かい氣持ちになりました。丁度その時ひらひらと雪が降り始めてゐましたが、寒さはもう氣になりませんでした。
——しかし、まさかその晩が先生を見る最後の機會にならうとは思ひもしませんでした。
先生が行方をくらましたのは、その後のことでした。冬休みの明けた學校にも姿を見せず、何處に行つたのかも分らなくなつたのです。職員の間でも先生の行方は分らなかつたさうです。
そのやうに初めこそ大騷ぎになりましたが、時間の流れと云ふものは全てを風化させるのでせう、年老いた髭の人が新しく先生として著任した頃にはもう、先生の行方の話など生徒の間でも職員の間でも擧がらなくなりました。
けれども私は違ひました。普段は級友のみんなの手前、顔で笑つてゐても、心はずつと泣いてゐたのです。先生、嗚呼先生。何處へ行つて仕舞つたのですか。私を置いて、一人で何處へ消えて仕舞つたのですか。先生。
これを読んで、私は確信したのだった。UFO。宇宙人の乗った UFO が、曽祖母の恋していた先生をさらったのだ。でなければ、先生が学校から消える理由が解らない。日記を見る限り、曽祖母と先生は両思いだったのだから。逆に言えば、先生には学校から、そして曽祖母の前から消える必要などなかったのだ。だからこれは UFO の仕業だ。間違いない。
そう思った私は、それ以来 UFO、そして宇宙人を追い求めてきた。いつしか奴らを捕まえて、この事件について白状させてやる。曽祖母が味わった悲恋の惨さを、奴らにも味わわせてやる。しかし奴らは中々姿を現そうとしない。巧妙な奴らだ。
そして私は高校生になっていた。この高校を拠点にして、UFO の尻尾を必ずつかんでやる。心の奥底でそんな強い思いを燃やしながら、私は毎日学校に通っていた。
“力”を持つ左眼を、白い眼帯で隠しながら。