茨城症候群

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エイプリルフール

  • 2010年4月 4日 12:24

小学二年生の春休み、幼なじみのかな子ちゃんと二人で近所の公園で遊んでいる時のことでした。

「ねえタケシくん、今日何の日か知ってる?」

「えっ、今日?」

ブランコを大きく前後に揺らしながら、かな子ちゃんは意地の悪そうな笑いを浮かべて僕に問い掛けました。

その朝は、ニュースで桜の満開が近付いていると聞いたくらいで、日付までは覚えていませんでした。強いて言えば、春休みがあと何日残っているか、始業式までまだ何日遊んでいられるか、それくらいしか考えていなかったのです。

しばらく答えられずに宙を眺めている僕を、かな子ちゃんは鼻で笑ってから、得意げな表情で言いました。

「エイプリルフールだよ。嘘をついてもいい日」

エイプリルフール。その名前は確かに聞いたことはありました。しかしかな子ちゃんに言われるまで今日がその日であることに気付かなかったくらいですから、僕は特に意識したことはなかったのです。

「それでさ、あたしたちで大人に嘘をついてみない? すごい嘘をさ」

「でも、嘘をついたらいけないってお父さんが言ってたよ。ドロボウの始まりだって」

「エイプリルフールだからいいんだよ。嘘をついても許してくれるよ」

僕の家庭は厳格な方で、両親はいつものように「嘘をついてはいけない」と幼い僕に言っていました。その他にも悪いことをしてはいけない、嫌がることをしてはいけない、人をいじめてはいけないなど、四六時中「いけない」尽くしでした。きっと僕が一人っ子だったことも影響していたのでしょう。

しかし、いや、だからこそ、かな子ちゃんの提案は新鮮に思えました。エイプリルフールだから嘘をついてもいい。どんな時でも嘘をついてはいけないと教えられていた僕にとって、嘘をついてもいい理由をこれほど簡単に見出せ、それを利用しようというかな子ちゃんをとても賢く感じたのです。同時に、かっこいい、とも感じました。

常に教えられている規則に背くという背徳感を、今日だけは感じなくても済む。そう考えるに至って、僕は迷わずかな子ちゃんに答えました。

「なんか楽しそう。その嘘、ついてみようよ。それで、どんな嘘をつくの?」

僕が問い掛けると、かな子ちゃんはブランコを漕ぐのを止め、にこりと笑って言いました。

「あたしが悪いおじさんに誘拐された、って嘘」

「なんか本当にありそうな嘘だね」

「本当にありそうな嘘の方が面白いでしょ? どうせ嘘なんだし」

僕はかな子ちゃんが悪いおじさんに誘拐されたという嘘をついた場合に起こり得る光景を想像しました。かな子ちゃんの両親はとても心配するでしょう。警察に通報して、かな子ちゃんの家の前にはパトカーが駐まり、赤い光でうるさくなるかも知れません。テレビや新聞社の記者も来て、人だらけになるかも知れません。

そして僕は少しだけ怖くなりました。もしかすると一緒にいた僕も警察に連れて行かれて何か訊かれるかも知れません。実は全部嘘だった、と言ったら親だけからではなく警察の人からもこっぴどく怒られるかも知れないのです。

「やっぱり止めようよ……。もっといい嘘にしようよ」

「何? 怖がってるわけ? タケシくん男でしょ? そんな弱虫じゃいい男になれないよ!」

かな子ちゃんはイライラした様子で言いました。罵倒に近いものだったかも知れません。そして弱虫とまで言われたのです。こう言われてしまうと僕も怖がるわけにはいきません。何しろ僕は当時テレビで観ていた戦隊ものの番組で登場する部隊のリーダーに憧れていましたから、弱虫と決め付けられるのは腹の立つことでさえあったのです。

「怖がってなんかないよ! いいよ、じゃあその嘘やろう、やろうよ」

「なあんだ、弱虫じゃないじゃん。じゃ、けってーい」


僕は急いで家に帰ると、靴も脱がずに玄関先で母を呼びました。「お母さん! お母さあん!」

普段あまり感情を見せない僕が肩で息をしながら半泣きをしているという普通ではない様子にただならぬ気配を感じたのか、母が飛び出してきました。

「タケシ、どうしたの? 何で泣いているの? 何かあったの?」

「かな子ちゃんが、うっ、うっ、変なおじさんに連れて行かれちゃった……! どうしよう、どうしよう!」

母はほんの一瞬だけ身を固まらせたように見えました。その間に事態を飲み込んだのか、次の瞬間からは表情を普段見せないものへと変えた上に怒濤の質問攻めを僕に浴びせました。

「かな子ちゃんが!? どこで? 何をしている時? いつ? どんなおじさんに!?」

「公園で……、うっ、うっ、さっき、遊んでいる時、おじさんが……、灰色の、うっ、うっ、服を着たおじさんが……。うっ、うっ」

僕の声はもう答えにもならないほどでした。それでも概要を把握したのか、母は家の奥に入っていきどこかへと電話を掛け始めました。おそらくかな子ちゃんの家へだったのでしょう。冷静に思えるほどの受け答えがかえって事態の深刻さを浮き上がらせていました。

その後は僕の想像していた通り、かな子ちゃんの家の周りにはパトカーが何台も駐まり、マスコミも大勢集まりました。そして僕はかな子ちゃんと一緒にいた最後の人間として、警察へ連れて行かれて母親と一緒に仔細に渡る質問を受けたのです。今日がエイプリルフールなどということはもうとっくのとうに忘れていました。もちろん、警察での質問ではいつもの僕のように嘘はつきませんでした。

警察署で質問を受けた帰り、かな子ちゃんの両親と廊下で会いました。二人とも、本当に深刻な表情をしていました。かな子ちゃんのお母さんは、嘘だったらいいのに、嘘だったらいいのに、と泣きそうな声で呟いていました。


それから十二年間、かな子ちゃんは今も帰ってきていません。あのエイプリルフールの日につこうとした嘘は、現実となってしまったのです。僕の中で、十二年前のエイプリルフールは過去のものではありません。現在もまだ、続いているのです。

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