茨城症候群

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一人きりの希望

  • 2009年10月 7日 19:37

「ねえ、さっきから何見てんの? アンタもあたしのこと馬鹿にしてんでしょ? 分かるよ、その目見ればさ。ああ可哀想、この子はきっと馬鹿な親の元に生まれてろくに育てられずに家庭崩壊した家にうんざりして思い切って飛び出してそれっきりもう帰る家もない、こんな汚いかっこで夜の繁華街で声掛けてくる気持ち悪いオヤジから金を騙し取ったり食べ物をドラッグストアで万引きするしか生きる道がない、ああほんと可哀想、って思ってるんでしょ。その通りだよ。その通りなんです! あたしはもう帰る家もないの。ねえ、どこに帰ればいいの? 教えてよ。ねえ。あたしはどこに帰ればいいの? またあのなけなしの生活保護費をパチンコに注ぎ込むだけが家事だと思っちゃってる馬鹿な母親と働きもしないで昼間っから酒を飲んでばかりで夜になったら暴力を振るうことしかできないアル中の父親のところに帰ればいいの? 帰れるわけないじゃん。あそこに帰るくらいなら死んだ方がマシだよ。あいつらもそう思ってるよ。あたしなんて死んだ方がマシなんだ、って。ていうかあたしはどうして生まれてきたわけ? 何であいつらはあたしを産んだの? 意味分かんない。初めからあたしをろくに育てるつもりがなきゃ、あたしなんて産まなきゃよかったんだよ。全然可愛がってもらった記憶もないもん。ぶたれたり蹴られたり突き飛ばされたり置き去りにされたりっていう記憶しかない。生まれた時からずっとそんな毎日だったし。学校? 小学校には行ったよ。でも、ほんと嫌な思い出しかない。入学式だって周りの子はみんなドレスみたいな可愛い服着てるでしょ? でもあたしはそんなの買ってもらえなかったからぼろぼろの汚い普段着。あいつらは入学式に来もしなかった。みんなはお父さんお母さんが一緒に来てるのに。あたしだけ一人。みんな写真やビデオ撮ってもらったりして笑ってる中であたしだけ一人でぼーっと立ってた。馬鹿みたいでしょ? 絶対あの時その場にいた人からは、あの子気違いなのかしら、とか思われたよ。帰っても家には暗い四畳間の中に酔っ払った父親しかいない。入学おめでとうの一言もなかった。それどころか酒臭い息を吹っ掛けながらあたしをぶっ叩いて、先生に胸に着けてもらった「入学おめでとう」のバッジをひっちぎって、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に捨てやがったんだ。それで悔しくて泣いたら、またぶたれる。ほんとあり得ないよ、あのクズ親父。それで入学してからは友達もできなかった。よく友達百人できるかな、とか歌あるでしょ? あの歌今聴くとむかむかする。だってあたしには友達が百人どころか、一人もできなかったんだから。あたしだって友達と一緒に遊んだりしたかったんだよ。でもあいつら、クズ以下の母親と父親が、友達と遊んだらぶっ殺す、って言うから遊べなかった。だから友達ができなかった。友達と遊べないから、みんなからは変な子扱いされて、六年間ずっといじめられっぱなしだった。臭いとかバイ菌とか言われて一緒の班になった子からは必ず机を離されて、話し掛けても何も返ってこないのは日常茶飯事。それでもあたしは学校へ行った。ほんとは学校にも行きたくもなかったんだよ。でも家にいてもあいつらから殴られたりタバコ押しつけられたりするだけだし、それよりは学校に行っていじめられた方がまだ楽だった。低学年の頃はいじめも馬鹿にしたり笑ったりするくらいの低レベルなものだったけど、学年が上がってくるとどんどん酷くなってった。四年生の頃だったかな。葬式ごっことかされたことがあった。朝来てみたら、あたしの机の上に花瓶に入った花が飾られてるの。黒板に「○○さんは死にました。ナムアミダブツ」とか書かれてて。あたしはもちろん嫌な思いがしたけれど、それよりも花が可哀想だった。こんなに綺麗に咲いてる花なのに、あたしみたいなのをいじめるための道具に使われててさ。あたしは黙って花瓶を教室の元の場所に戻して、黒板の文字も消した。それで席に戻ったら、今度は椅子の上に画鋲が置かれてて。画鋲は全部刺す方の部分が上を向いてた。みんな顔をあたしの方に向けてて、どんな反応するか見てるんだよね。その時ちらっと見た目つきが、ほんっと嫌なものだった。今思い出しても寒気がするくらい。でもその目が見てる中であたしが反応したらそいつらの思うつぼだから、一切表情には出さないで片付けたけど。たぶん、あたしのポーカーフェイスぶりはこういうこともあったから磨かれていったんだよね。そう言えば学校では誕生会もあって、月ごとにクラスの誕生日の人を祝う会があったんだけど、それも酷かったよ。一人ごとにプレゼントがクラスのみんなから渡されるんだけど、あたしへのプレゼントは何だったと思う? ゴミだよ。その朝にゴミ箱に入ってたゴミを白いビニール袋に入れられて、それをあたしにプレゼントしたんだよ。ほんと馬鹿じゃないのって思った。虫の死骸とか渡されるよりはまだマシだったかもね。先生? あんなの見て見ぬフリをしてるだけじゃん。掃除の時なんて、先生の目の前であたしがホウキで足を引っ掛けられて転ばされたり、バケツの水を浴びせられたりしても、何も言ってこなかったもん。どうせあたしが何言っても対処してくれなかったよ。ていうかむしろ一緒になって笑ったりしてたくらいだし。だから初めから先生には何も言わなかった。それでもとにかく、学校のいじめの方がまだ家よりもマシだったんだから。母親は朝から夜まで一日中パチンコでいないし、父親は朝から夜まで一日中酒飲んで家にいるし。そんなとこに帰りたくなかった。でもそこしか帰る場所がなかったんだよ。いつだったっけな、可愛い綺麗な服が欲しくなって、いけないことだと分かってたんだけど、万引きしたことがある。あいつらはボロ着しか買ってくれなかったしね。試着室で着替えて、そのまま店を出て行こうとしたんだ。そしたら店の人にすぐばれて、警察に連れてかれた。住所とか電話番号とか聞かれて、そしたら酔っ払った父親が来て。あたしの顔を見た途端、何言ってんだか分かんないけど怒鳴り散らしてあたしはぶん殴られたり蹴られたりした。あいつは警察の人に押さえ付けられるくらい暴れてたね。これがあたしの父親だって認めなくなかった。こんな父親とあの母親のせいで、あたしはこうなったんだから。それでその時に警察から児童相談所に連絡が行ったみたいで、それから時々家に相談所の人が来たことがあった。でも母親はパチンコでいないし、家には酔っ払ったアル中親父しかいない。話にならなかったみたいで、相談所の人はいつもすぐ帰って行った。相談所の人が来たことが父親を刺激したのか、その後はたいていあたしは殴られた。おかしい話でしょ? あたしを助けに来てくれるはずの人が来たことであたしが暴力を受けるってさ。もう誰もあたしを助けてくれないんだって。あたしは一生この家から逃げられないんだって。ずっとそう思ってた。正直言って、死のうと思ったこともあった。ちょうど母親も父親がいない時に、台所から包丁を持ってきて自分の首筋に当てたりもした。カーテンレールにタオルを垂らしてそれで首を吊ろうともした。ほんの少しだけ力を入れるだけで、首を輪っかに入れるだけで、あたしはあの世に行けるんだって。こんな世界、こんな自分とはもうさよならだって。生まれ変わって、自由気ままなカラスになるんだって。そう思った。でも、できなかった。ああ、あたしほんとは弱虫なんだ、って思って、泣きながら包丁とかタオルをしまったよ。弱虫と言うか、死にたくない気持ち、生きたい気持ちがまだあるんだ、って気付いた。こんな酷い惨めな生活なのにだよ? どこに希望があるの? 馬鹿じゃないの? 死んじゃえばいいのに。でも死ねなかった。って言うことはやっぱりどこかに希望があるんだ、って思った。それからあたしはずっとそのどこかにある希望を頼りにして生きてる。どんなに家で殴られても、学校でいじめられても、希望が待っているんだって。そう思いながら中学に入ったけど、やっぱりそこでもあたしはいじめの格好の対象。まあこっちは慣れっこだからいいんだけど。しつこいよね、あいつらもさ。内申点のためにいい子ごっこしてストレスが溜まってるんだか知らないけど、その裏で誰かをいじめてないと気が済まないんだろうね。そのまま学校でも家でもずっと耐えて、二年、三年に進級したんだけど、この頃になると高校進学の話があってさ。あたしなんて授業中はぼーっとしてるだけで勉強もしてないから成績もぼろぼろで、高校なんて通えないじゃん。どうでもいいやって思って、一ヶ月くらい前にちょうどあの馬鹿母親とアル中父親が喧嘩してたから、その隙に母親の財布から金をくすねて東京に出てきたわけ。今までずっと知らなかったけど、あいつパチンコで相当儲けてんだね。十万円くらい入ってたよ。でしばらくはそれで新しい服を買ったり食べ物買ったり寝泊まりしたりしてた。そのうちに同じ年頃の家出仲間とか見付けたりして。あの子たち、何かあたしと同じ境遇なんだよね。タイプが似てるって感じ? 家でも学校でも除け者で、どこにも居場所がないってとこがさ。ここにいるのは、学校や家にいるより楽しいよ。いじめも暴力もないもん。でも、見つからないんだよね。希望ってさ。もう金も尽きちゃったし。かと言って今さらあの家にも帰れないし。バイトしようと思ってもどこがあたしみたいなのを雇ってくれると思う? 住所不定の女の子を。だからいっそさ、どっかの国から日本中にミサイルが降ってきてくれればいいと思うくらい。それでみんなあたしみたいになればいいんだよ。そしたらさ、みんな一文無しの住所不定になって、みんな平等。これでいいじゃん。誰もあたしを助けてくれなかったのが悪いんだからさ。いじめに関わってない同級生も、親戚も、近所の人も、先生も、医者も、警察も、市役所の人も、実業家も、政治家も、誰もあたしの不幸を見ようとしてないし。みんな自分のことばかり考えてる。自業自得だよ。ミサイル降ってきてくれないかなーってマジで思ってるよ。これがあたしの希望かな。暗い希望だよね。でもそれしかないから。あたしにとっては、唯一の明るい希望」

彼女の話を聞いて、僕は安堵した。そして胸ポケットから小さなスイッチを取り出すと、躊躇いなく押した。

しばらくすると防災無線が鳴り響き、おそらくはミサイルであろう飛翔体が日本に向けられて数発ほど発射されたというアナウンスが聞こえた。夜の繁華街は一瞬にして、逃げ惑う人々の嵐に包まれた。

「うそっ、何これ? マジで? やだ、逃げないと……、どうしよう!」

彼女は驚いたように立ち上がると、周りの人たちと同じように焦った様子をしながら僕の目の前からどこかへと走り去って行った。やがて群衆に溶け込んで、その鮮やかな茶髪も見えなくなった。僕は、一人きりになった。

……なんだ。君も嘘吐きだったんだ。

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