茨城症候群

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てにすぶ!

  • 2009年8月 8日 03:47

私は本当にテニスというものが大嫌いで大嫌いで仕方がなかった。どれくらい嫌いかというと、あのしゃもじの太くなっている部分をくりぬいて糸を張ったようなラケットを見るだけでもう鳥肌が立ってめまいがしてきたり、ボールを打ち返す音を聞くだけで頭の中がその音の響くので一杯になってそのうちほかほかのよだれを垂らして失神してしまうくらい。ということは実際にはなかったが、日常ではテニスに関係あるものからは最大限に避けるようにして過ごしている。

私がこんなテニス嫌いになったのは、これまでの私とテニスとの接点にある。それはたぶん、悲劇と言ってもいい。

まず私は生まれてからもう数ヶ月後に、そのふにゃふにゃの柔らかい手に無理矢理テニスラケットを握らされた。もともと父親がプロテニスプレイヤー志望で、叶えられなかった夢を娘の私に実現させて自分の欲望を満たすという望みを持っていて、私に幼い頃から英才教育と銘打ってテニスを学ばせて将来は一流プレイヤーとして世界を駆け回って欲しいとでも思っていたのだろう。ずいぶん身勝手な親だ。私の意向なんてあったものじゃない。その時の私にもし今と変わらない程度の物心が付いてさえいれば、私は握らされたラケットで父親を殴り殺していただろう。けれども生まれてすぐのまだ乳離れもしていない赤ん坊にそんなこともできるはずもなければ親の言うことを拒否することだってできない。だから私は言われるままにラケットを握り、父親の投げるボールを言われるままに打ち返すしかなかった。

それだけなら微笑ましいテニス親子として映るからまだいい。ただ、父親はプロテニスプレイヤー志望だったにも関わらず大の付くほどの下手くそで、また下手くそにも関わらずやけに教育熱心だったからたちが悪かった。私がボールを打ち返し損じただけで、怒鳴り散らしながら殴る蹴る殴る蹴るの繰り返しだ。それで私が体中の痛さに泣き喚くと、また殴る蹴る殴る蹴る。父親はしつけのつもりだったのかも知れないが、これだけは絶対にしつけとは違う。暴行を受けた私本人が言うのだから、違うと言ったら違う。ただの虐待だ。

母も母で、私の体があざだらけなのを見てどうしたのかと問うて返ってきた父親の「練習で転んですりむいて大変だったアハハ」というふざけた答えをまるっきり信じてそれっきり何も言わない。もしかしたら本当は父親の暴行にうすうす気付いていたのかも知れないが、そうだとしても見て見ぬふりをして何も言わないのはひどい。

私は幼心にテニスを恨んだ。もちろん両親のことも同じように恨んだが、まずテニスがあることで私は苦しめられている。テニスがなければ、私はこんな目には遭うことはなかった。だから私を苦しめる全ての根源たるテニスというスポーツそのものを呪った。もうこれで私のテニス嫌いの土壌は完璧にでき上がってしまった。いずれテニス嫌いが大きな実になることは自然なことだった。

それから数年間同じような日々が続いた。けれども不思議なことか当然なことか、テニスを嫌うのに反比例するかのようにして私のテニスの実力は付いていった。

そして小学生のときのある頃には、テレビ局が“天才テニス少女”の取材ということで当時私が入っていた地域のテニスクラブまで来たこともある。その時に私は屈辱的な思いをした。取材に来た太った禿頭の中年から、「テレビで映るから」と作りたくもない笑顔を作るように注文されたのだ。

もともと好きでやっていないテニスだ。好きでないものに笑顔なんか作れるわけもない。だから「笑って笑って」と今にも泣き出しそうな顔で懇願する禿頭を前にしても、私はどうしようもなく突っ立っていることしかできなかった。すると、突然私の体は横になぎ倒された。父親に蹴り飛ばされたのだ。背中に鈍い痛みを感じながら顔をしかめていると「こいつはこうすると笑うんですよ」という父親の嬉しそうな声が聞こえた。もうその時は笑うしかなかった。笑わなかったら、私が血を吐くまで父親は蹴り続けるに決まっていた。いや、血を吐いてもまだ蹴り続けたのかも知れない。私が立ち上がって笑い顔を無理矢理作って禿頭を見た時のぽかんとした顔は、今でも記憶に焼き付いている。

中学校に上がると、テニス部に無理矢理入らされた。父親が勝手に入部届を学校へ提出してしまったのだ。もう私はテニスからは一生離れられないと諦めていたから、特に反発することもなくそのままテニス部へと入部した。

入部したての頃に、遊びで試合しようと言った三年生を軽々と下してしまったものだから、とうとう三年生が本気になって私の相手をしたけれどもその全員も負かして悔し涙を流させたことがある。さらにその少し後に出た市内の大会では、一年生ながら準優勝してしまった。

それから私はテニス部の未来の大ホープと持てはやされて、優しい部長に大いに気に入られた。新聞部の発行する校内新聞でも大きく取り上げられた。けれども全然嬉しくも何とも感じなかった。私と他の一年生との間には目に見えない大きな溝ができたような気もしたし、上級生からは羨望と嫉妬の中間の視線が絶えず私を突き刺している思いがしたからだ。

私はできることなら、ただ普通のテニス部員でいたかった。普通の中学生でいたかった。しかしそれはもう叶わないことだった。私は父親の元に生まれたときから既に、こうなることが決められていたのだ。そしてこの先もずっと、私はテニスから逃れられない。それからはヤケになるようにしてテニスボールを夜まで打ち返し続けた。

けれども中学一年の秋に、そんなテニス漬けの暮らしからとうとう解放された。父親が突然、死んだのだ。

死んだ後で聞かされた事実だが、父親には繁華街にある水商売の店に足繁く通うという家族には決して見せない裏の顔があったという。おまけにその店のあるホステスに何百万円という単位で金を貸していたそうだ。年収近くを貸した頃になって父親も馬鹿なりに気付いたのか、そろそろ金を返して欲しいとそのホステスに言った。どんな風に言ったのか知らないがそこで逆上され、灰皿で頭を何回も殴られて殺された。身内ながら本当に馬鹿な父親だと思う。

父親の亡骸は、その頭の右片方がカルデラ湖の中心のように頭蓋骨を大きく凹ませていて、その奧には乾いて固まった血が黒くこびり付いた白い脳みその表面が見えた。顔は右側を若干下に落ち込ませるように歪んでいて、どこかのお化け屋敷で見たようなお化けと同じような無様な表情を浮かべていた。私はそんな父親のみじめな亡骸を見ても、涙の一粒も出なかった。今まで私を殴ってきた分だけ父親は殴られて、頭を潰されたのだ。そうとしか思えなかった。

父親は葬式の後に焼かれて白い骨になった。台車の上に散らばって鈍く光っている骨を見て、私は初めて心の中にすきま風が吹いているのを感じた。気持ちの良い風ではなかった。心に空いた穴を通って体中の穴から少しずつ吹き出ていくような、どこか冷たい風だった。あれほどテニスを通じて私に許しがたい暴力を振るったとは言え、やっぱり私の父親だったのだ。骨を母と拾って骨壺に納める間、私は何も喋ることができなかった。父親がたまにその顔に浮かべた笑い顔を、私は自分の頭の中に蘇らせていた。

父親が死んでテニスの地獄から解放され、私はそれからラケットを握ることはなかった。テニス部も「テニスが好きだった父親が亡くなって気持ちの整理が付かないから」という理由を付けてあっさりと辞めた。私を気に入ってくれていた部長や上級生同級生の何人かは、私をしつこく引き留めた。確かに私にとっても部にとっても、そのままテニスを続けることが最善の道だったのかも知れない。ただ私を引き留める先輩の後ろで冷たい横目をしながら私を睨んでいるだけの先輩もいて、その姿を見て私はもうテニスはこれっきりにしたいと決断した。

テニス部を辞めた後は、テニスとは全く何の縁もないオカルト部に入った。もともと私はテレビの特集や子供向けの本で見たUFOやUMAなどの話に興味があったし、外見とは違って性格的にも実は内向的な面があったから、偶然か必然かそういう人の集っていたオカルト部での活動は楽しかった。何より、私とテニスとの関わりを知らない上に詮索もしてこない人たちの中に交じることで、本当の意味でのテニスからの解放を感じて身が軽くなる思いがした。

私はそのオカルト部で、生まれて初めてと思えるくらいに気の合う同級生の友人ができた。それが山本さんだった。

市松人形のような長い髪に変化に乏しい表情という、一見して垢抜けない暗く冷たい雰囲気をまとっている山本さんは、UFOの話題になると途端に感情を露わにして饒舌になる。彼女はUFO専門家と言ってもいいくらいにUFOの情報に通じていた。UFOの形状から種類、歴史まで、私が普通に生きていれば知ることのなかったであろう情報は全て彼女の頭の中に網羅されているようだった。UFOについて私が知らないことを彼女に訊ねる。するとまるで事前にその質問がされるということを知っていたかのように、すぐに難なく適切な答えを出す。私が感心してさらに別の問い掛けをすると、それにも同じように詳しく答えてくれる。まさにUFOの生き字引だった。

山本さんの方でも私の下らない質問に答えることは苦痛ではなくてむしろ楽しかったらしく、質問しては答え質問しては答えの掛け合いの中で私たちは自然と親しくなっていった。親しくなって初めて分かったのだが、彼女には恥ずかしがり屋の面が強くあって、初対面の人間には無意識ながら冷たく当たってしまうことがあるようだった。一方で互いに打ち解けると、初めは見せなかった面を徐々に表し始めて、実は温厚で明るく他人の気遣いのできる人物なのだと知ることになる。いわゆるネアカという種類なのだろうが、第一印象で損をすることが多いのだろうな、と私には感じられた。私との間にはUFOの話題があったから、これだけ距離を狭めることができたのだろう。

山本さんとの付き合いはオカルト部の中だけでは留まらず、夏休みには長野の菅平高原に二人きりでUFO合宿をしにいったこともある。UFOが間に挟まれば私たちは師弟の関係にあったと言ってもよかったが、それ以外の場においてはお互いに口にこそ気恥ずかしくてしないものの、間違いなく唯一無二の親友と呼べる仲だった。

そして気付けば中学の三年間はあっという間に過ぎ去って、私と山本さんは同じ公立高校に入学していた。別にお互いに話を合わせて進路まで一緒の道を歩もうとしたわけではなくて、オカルト趣味も近ければ学力も家の経済力も同じ程度だったから、たまたま進路が重なったというだけだった。進路がよりどりみどりの都会とは言いがたい地域では割と良くあることだ。

進学する高校がお互いに同じだということを知ったとき、私たちは顔を見合わせてから手を取り合って喜んだ。そして「高校でも一緒の部活に入ろう」という約束を交わした。

中学卒業間近になって、進学先の高校のテニス部の部長と名乗る人物から家へと電話があった。どこから聞き付けたのか、私が中学校のテニス部へ入部してすぐの大会でいきなり準優勝を飾ったという話を知って掛けてきたという。そして高校では是非テニス部へ入って欲しいということを告げて、私の方の是非は聞かれることもなく電話は切られた。

私はもうテニスとは縁を切ったつもりでいた。父親が死んでからラケットもシューズも処分してしまったし、一生テニスとは関わることがないと思っていた。そこにその電話だ。うんざりした。父親があの世でも、私がテニスを続けるように何かの手回しをしているのではないか、そう思いさえもした。

高校ではもう入る部活を決めていた。もちろんテニス部などではない。テニス部に入らなければならないくらいなら、学校の階段からわざと転げ落ちて、誰に何と強制されようと一生テニスのできようのない体になってやる、といった不謹慎なことを思うくらいテニス部に入る気はなかった。

高校に入り、私と山本さんは中学のときと同様に別々のクラスになった。私たちはどうしても同じクラスにはなれないように運命付けられているのかも知れない。けれども同じクラスにいて長い時間の付き合いをしないことで、かえって親密な仲を保つことができる、そういうことを実際に中学からの付き合いの中で感じていた。これからもきっとそうなのだろう。

入学後しばらく経ってから新入生が体育館に全員集められ、部活動のオリエンテーションが行われた。文化系の部活から体育会系の部活まで、全ての部からの代表が何人かで各々の部の紹介をするというものだった。どの部でも部員を確保しようと必死なのか、ユーモアに溢れたアピールが目立っていた。酷いものになると、一人で壇上に登場してきて「部員がいないんです。部員は僕一人だけです。入って下さい」と言っただけで退場して爆笑を誘った地図部といったようなものもあった。

しかしその中でも、テニス部の紹介は目立っていた。ユニフォーム姿の部員が三人登場する。そのうちの二人が両端にボールとラケットを持つ。その二人の間に、もう一人がラケットを持って立つ。両端の二人がラリーを打ち始める。その間の一人が、真ん中でラケットを持ちながら引っ繰り返ったり横になったりというブレイクダンスを踊り始めた。しかしこのダンス、ラリーとは何の関係もないものと見せかけて、実は両端から受けるボールをダンスをしながら連続で返しているというものだった。ただダンスをしているようにしか見えないものが、難なく素早く二つのラリーを返しているという曲芸に、新入生の間からは自然と大きな歓声と拍手が上がった。この日でこのテニス部の紹介が、もっとも歓声を浴びたものだっただろう。この曲芸としてのテニスは、私も面白く感じて目を見張った。それでもいくらこの曲芸がすごかろうと、テニス部に入るつもりはなかった。

「すごかったね」「うん、すごかった」

けれどもオリエンテーションの後に、誤算が起きたことに気が付いた。世紀の大誤算だ。まずこの高校には、オカルト部などという部は存在しなかったということ。そして、山本さんがどうしてもテニス部に入ると言って聞かなかったということだ。

オカルト部が存在しないのは仕方がない。ないものはないからだ。しかしまさかUFO好きの超文化系の山本さんが、体育会系の総本山とも言うべきテニス部を志望するとは思いも寄らなかった。おおかた先ほど熱演していたテニス部の雰囲気に呑まれて、それだけで決めてしまったに違いない。一種の洗脳だ。

だから私は山本さんに言った。テニス部は、テニス部だけは駄目だ、と直接言うことははばかられたので、それとなしに何となく考えを変えるように言ったのだ。

「ねえ、言いにくいんだけどさ」「何?」「他の部活にしようよ」「えー何それ。部活って言ったら青春でしょ。青春って言ったらテニスでしょ」「私テニス嫌いなの」「そんなの知らないよ」「知ってよ」「知らないよ」「オカルト部は?」「オカルト部なんてこの高校にないじゃない」「作っちゃえばいい」「面倒じゃん」「じゃあ私が作るから入ってくれる?」「やだ」

そして山本さんは先に一人でテニス部へ入ってしまった。「待ってるからね」。そう軽快に笑いながら言い残してテニスコートへと走っていった山本さんのジャージ姿が、まぶたの裏に焼き付いて鈍い痛みを感じるほどだった。

学校の階段からわざと転げ落ちて一生テニスのできない体になる。そんな考えはもう頭にはなかった。

残された白猫

  • 2009年8月15日 02:48

おいらの主人がいなくなって、もう二ヶ月が経った。ある日何も言わずに突然姿を消してしまって以来、ずっと帰って来ていない。部屋の中はすっかり動きを失って、毎日が止まっているかのように見えた。

まさか猫の世話というものがいい加減嫌になったから、おいらをほっぽり出したままどこかへ消えてしまったというわけじゃあるまい。だいいち主人はそんな単純な人間じゃない。おいらは主人と一年半も暮らしたくらいだから、それは分かる。失踪には、何か単純ではない複雑な特別の事情があるに違いなかった。

ただ主人が失踪したなら、寂しいというだけの問題で済んだ。主人は飯を作って恵んでくれたり暇な時はじゃらして遊んでくれたりしたりしただけだったから、おいらはただの飼い猫として居候していたと言ってもいいだろう。けれども主人とおいらの関係はそんな居候し居候されだけのものじゃなかったから、主人の失踪はおいらにとっては寂しいどころではない問題でもあった。

飯の方は、主人がいない間でも何とかなる。腹が減れば窓の隙間からちょいと出て行きつけのゴミ置き場を漁ればありったけの飯にありつけるし、あるいは他に猫を飼っている家の庭にお邪魔して、庭先の餌の皿からかっぱらって食べることもある。そこにその家の猫と鉢合わせた時には喧嘩になりそうなこともあるが、そんな時はわざわざ敵を作る利点もないからおいらの方から身を引くことにしている。それでも餌場はたくさんあったから、とにかく餌に困ることはなかった。

情報にも困らない。おいらの近所には野良猫ネットワークというべきものがあって、天気のいい日には近所の野良猫が駐車場にこぞって集まり集会を開いている。野良猫ネットワークは、質は良くないとは言えその情報量は豊富だった。だから主人の失踪した理由にまつわる話を聞けるかも知れないと思って、おいらは少し前まで何日おきかにその集会に顔を出していた。

実を言うと、おいらはこの野良猫たちとはあんまり気が合わなかった。別においらは自分を高貴な猫だとは決して思っちゃいないが、野良猫たちにはみんな揃って汚らしい。主人のいた頃においらが出会っていた猫たちはみな飼い主に手入れされているのか毛並みが良く、ほのかに良い香りすら漂わせていた。けれどもここの野良猫ときたら、茶色い泥が毛に付いていても何も気にすることもなく、全身の毛が薄汚れている上に、鼻の奥を突き刺すような匂いがする。それに何より、学がない。

「飼い猫どもはダサいんだよね。屋根の下じゃなきゃ生きていけないんでしょ? マジひ弱な家畜じゃん」

「野良の方が楽なのにな。わざわざ人間どもに飼われるっていう奴の気が知れないね」

「俺、飼い猫となんて付き合いたくねえよ。あいつらいちいち鼻に付くし。まっぴらごめんだぜ」

そんな具合にオスメス関係なく、言葉遣いも悪ければ、飼い猫というものを頭ごなしに貶して否定する奴らばっかりだった。飼い猫も野良猫も同じ猫なんだからどちらが優れているかなんてないはずなのに、あたかも自分たちの方が優越しているかのように飼い猫を馬鹿にする。面倒なものだ。

だからおいらは自分が飼い猫だったとは一言も言わずに、ただ主人に関する情報を集めるために、遠くから越してきた野良猫として振る舞った。野暮ったい野良猫たちと話を合わせるのは正直なところ苦痛だったが、それでもおいらは努力をした。

けれども、有用な情報は何一つ得られなかった。代わりに得られたのは、野良猫たちの持つ人間たちへの意地の悪い言葉だけだった。

「人間がいなくなった? いいねえ。奴ら、全員いなくなっちゃえばいいんだよ」

「人間は俺たちを轢き殺す。だけど、俺たちは人間を轢き殺せない。いなくなったのも、きっと天罰だぜ」

「あいつらは結局あたしたちのことなんかどうでもいいんだよ。可愛い可愛い言ってさ、増えたら増えたで捨てちゃうでしょ」

「俺なんか無理矢理去勢されたんだぜ。その人間がいなくなったからって関係ないね」

おいらはうんざりした。訊いても訊いても事前に示し合わせたかのようにそればかりだったから、これ以上主人のことについて訊く気すら失せてしまった。

どうやらどの野良猫にとっても、人間というものは憎悪の対象らしい。おいらは主人と暮らしてきたが、なかなか飯をくれない時には苛立ちを感じることこそあっても、決して憎悪を感じることはなかった。それが野良猫たちは人間への憎悪にまみれている。カルチャーショックとも言うべき思いを感じて、おいらは汚い野良猫たちの集まりへは二度と顔を出すことはなかった。


それから数日が経った。窓の外に太陽が高く昇って、真っ白い光を惜しげもなく地面へ照らし落としている暑苦しい日のことだった。おいらはいつものように主人の部屋のテーブルの下に寝っ転がって、主人の帰りを諦めつつありながらも待っていた。

そこに、インターフォンの音が鳴った。一回、二回、三回と鳴る。主人がいない間にそれは何十度もあったが、大抵は何回か鳴らして不在なのを知ると用を諦めて帰ったのかまた静かになった。今回もその類のものだろうと思いながらインターフォンの音が鳴り止むのを待っていると、どうもいつもとは違う雰囲気を体中で感じた。

「……シロさん」

ドアの向こう側から、弱々しい高い声がおいらの名前を呼んだ。おいらははっとして顔を上げ、体を起こした。全身の毛がぞくぞくと震えていた。足の先にわずかに汗が滲み出ていた。

“あいつ”だろうか? おいらの名前を知っている人間は、主人か“あいつ”しかいない。

もしも“あいつ”だったとしたら、おいらはきっと連れ去られる。そうだ。“あいつ”は主人をどこかで誘拐してから、おいらの居場所を突き止めて、とうとうここへやってきたんだ。

鍵を回す音がして、すぐにドアが開いた。何十日ぶりかに開いたドアの向こうに現れた姿を、おいらは息を潜めながら目を凝らして見つめた。

そこにいたのは、やはり主人ではなかった。左目には眼帯を付け、両足には包帯を巻いた、長く黒い髪の奇妙な女子高生だった。

「……シロさん、良かった……。無事だったんですね……」

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