茨城症候群

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御花見2

それから私と山本さんは、公園を一周してゐると云ふ遊歩道を竝んで歩いた。きちんと整備された遊歩道は、薄く桃色に染まつた櫻の花々に圍まれてゐる。それは丁度、トンネルのやうになつてゐた。

その下をくぐるやうに通り拔けながら、私たちは色々な話をした。昔の學校の思ひ出話から、今のお互ひの暮らし。幼馴染みであるだけに、私たちの会話はトンネルの向かうに見える噴水から水が噴き上がるのと同じやうに次から次へと湧いて出て來て、止ることを知らなかつた。

“話に花が咲く”と云ふのはかういふことだらう。一方の櫻の花の方はその間も勿論綺麗だつたが、私は嬉しさうに話をする山本さんの顏の方に許り氣を取られ、櫻の美しいことを思ふ餘裕を与へられなかつた。彼女の方は何うだつたかは分からないが、私は櫻の花咲く周りの空間も關係なく、ただ山本さんと二人きりの閉じた場所に居るやうな氣にさへ囚われてゐた。

そんなものだから、私は足許に段差があるのをつひ見落として足を躓かせて仕舞つた。「きゃあ」と發した時には最う遲い、私は幾分派手にすつ転び、膝から地面に落つこちた。辛うじて反射神經が働いたお蔭で手が先に出たから、顏は何うにか打たずに濟んだ。

「大丈夫?靜子さん」

直ぐに山本さんが心配さうな顏をして横に寄つてきてくれた。不可ない、山本さんに心配されるなんて。私は「ええ、大丈夫」と苦笑ひをしながら起ち上がつて、服に附いた土を拂い落とした。

その時、不意に強い風がひゆうと邊りに吹いた。突然の風に、周りの花見客からはきやあきやあと云ふ騷がしい聲が上がつた。風は帽子やら傘やら紙屑やらを惡戲のやうにそこら中に卷き上げて、そのまま去つて行つた。

「あら、迷惑な風」

風は、取つて置きの惡戲も仕出かしてゐた。周りの櫻の花を掻き亂すやうにして、散り拂つて行つたのだ。お蔭で櫻のトンネルは、直ぐに薄い桃色で一杯に溢れた。

今まで見たことのないやうな光景に、私は思はず燥いで聲を出した。

「わあ、櫻吹雪!ほら」

「……」

私の呼び掛けに山本さんは何も応えず、ただ默つてその視線を舞ひ落ちる櫻の花へと向けてゐた。

「山本さん?」

「……櫻が綺麗なのはね、直ぐに散つて仕舞ふからなの」

さう言つた時の山本さんの顏に、ふつと影が差したやうに見えた。彼女は依然として笑顏だつた。しかしその間に差す影から、裏に隱された何か深く暗いものが顏を出してゐた。それを見て私は、途端にぎよつとした。心臟が何かに強く摑まれて締め附けられるやうな氣持ちを覺えた。

「直ぐに散つて仕舞ふことをみんな知つてゐるから、分かつてゐるから、その分だけずつと櫻は綺麗でゐられるの」

何故か私には、返す言葉が見當たらなかつた。懸命に心の中を探つても、何一つ適當な單語の一缺片すらも浮かんで來なかつた。

私はただ、もどかしかつた。何も言へない自分に苛立つてゐた。

……言へる筈がなかつた。

山本さんの顏に影を見てゐた私が押し默つてゐることに氣が附いたのか、山本さんはその影を直ぐに引つ込めた。そして私の手を取ると、「ね、廣場の方へ行きませう」と明るい聲で言つた。

先程の薄暗い影が同じ顏に現れてゐたとは思へないほどの明るい顏に、私は先程の山本さんの言葉が幻の中に聞こえたものなのではないかと疑つてさへ仕舞つた。しかしそれは紛れもなく、確実な感覚に聞いた言葉だつた。

その後山本さんはあの影を見せることもなかつた。感じさせることもなかつた。だから私はあの時に一瞬覺えた困惑を忘れながら、御花見の時を樂しく過ごせたのだらう。あるいは山本さんの方も、忘れてゐたのかも知れない。


それから暫くして、櫻の花は全て散つた。

あれほど滿開に咲き亂れ人々を喜ばせてゐた櫻がまるで噓だつたかあるいは夢の中の光景だつたかのやうに、最うあの公園には春の華やかさは何處にも見えなかつた。

代はりに若々しい、しかし力強ささへ感じさせる緑の新芽が處々に吹き出してゐた。公園の噴水の周りには幼い子供たちが集まつて、強くなつた陽差しの下で甲高い聲を上げながら走り回つてゐた。

山本さんはあの時、最う自分の行く先のことに感附いてゐたのかも知れない。いやひよつとしたら、それよりもずつと前から悟つてゐたのかも知れない。それで、私を御花見に誘つたのかも知れない。さう今では思へる。

私があの御花見の時に見た笑顏は、決して華々しいだけの夢の中に見たものではなく、現實の中にこの目で見たものだつた。それは今も私の中では消えてはゐない。あの時と何も変はらず綺麗なままに、私の中で咲き續けてゐる。

そして今後もずつと、咲き續けるのだらう。

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