茨城症候群

Home > Archives > 2009年6月 Archive

だじゃれオジサン

  • 2009年6月 1日 21:42

昔、僕が小さい頃、近所で有名なだじゃれオジサンがいたんだ。

オジサンは、つるつるにはげ上がったでこぼこの頭にごま塩色のヒゲを口元にたくわえて、ぼろぼろの汚らしい服を着た、一見するとちょっと怪しい人だったね。だけどそんな外見とは違って、オジサンは優しかった。いつもにこにこと柔らかい笑顔を絶やさず、気さくに声を掛けてくれて、おまけに会えばいつも飴玉なんかくれるから、子供たちには人気者だったよ。

けれども、人気者だったのは僕ら子供たちの間で、だけ。大人の間ではオジサンは、おかしな中年、って言われてけなされていたなあ。オジサンと会ったことを親に言えば、もうあの人に近付いちゃダメ、って怒られることもあったね。まるで変質者扱いだったんだ。

そんな時はいつも、オジサンは全然悪い人じゃないのにな、って思ってたんだ。僕たちと遊んでいても、本当にオジサンには悪い心が見えなかったんだよ。実際に、悪いことなんて言われたこともないし、されたこともない。オジサンは、いい人に違いなかったんだ。

大人はいつも外見だけで人を判断しようとするんだ。確かにオジサンのことを変な人かどうかと聞かれれば、誰もが変な人だって答えただろうね。外見もなんだか汚らしくて、働いていないのか昼間っから子供たちに声を掛けて回るなんて、関わっちゃいけない人の筆頭に挙げられるに違いない。

でも本当は違ったんだ。オジサンは、見かけでは見ることのできない優しさを、確かに持っていたんだ。僕らはそれを、オジサンと遊んでいるうちに意識せずに見出したんだ。だからこそ、オジサンの回りにはいつも子供たちが群がっていたんだろうね。


オジサンは、だじゃれオジサン、って呼び名の通り、だじゃれが大好きだった。

どこからか杖を持ち出して来て、杖をくるくると振り回しながら、「素敵なステッキ、今夜はステーキ」だなんて、今から考えればくだらないだじゃれを言っては、僕らを喜ばせていたよ。僕もガキだったんだね。同じように、オジサンも僕たちと同じガキのままだったのかも知れない。

でも、いつからか僕はオジサンのだじゃれを面白いと思わなくなったんだ。ただ、くだらない、としか思えなくなっていたんだよ。

そして気付いた時には、僕はもうオジサンから離れていた。あの飴玉を欲しいとも、ちっとも思わなくなっていた。飴玉の甘ささえ忘れていたくらいだった。きっとそれが、僕がガキから卒業した時だったんだね。

僕が中学生になってからも、オジサンをたまに見かける時があったけれど、やっぱりまだオジサンはくだらないだじゃれを言っていた。そしてその周りを囲んでいるガキも大笑いしていた。

ガキじゃなくなった僕は、くだらないことをするオジサンにも、くだらないことで笑うガキにも、腹が立ってきたんだ。こんなくだらない空間にかつて僕もいたんだ、って思うと、なんだか無性にいらいらを抑えきれなくなることもあった。

だからある時、僕はオジサンに向かって言ったんだ。「おい、おっさん。あんた、ただの変態だろ。早く消えろよ、近所迷惑だから」

その乱暴な言葉に、オジサンは何の言葉も返さなかった。その代わりに、顔一杯に寂しげな表情を見せていた。その顔を見て、何故か僕も一瞬、寂しくなったんだ。

でも、僕は謝ることはしなかった。寂しげなオジサンをもっと馬鹿にして、笑っただけだった。無視できない寂しさを振り払うように、僕はオジサンを罵倒し続けた。

僕とオジサンは、楽しむことも、楽しませることも、もうできなくなっていたんだ。


それ以来、僕はもうだじゃれオジサンを見掛けることはなかった。近所を回っていても、オジサンとガキが囲んでいた輪は、もうどこにも作られることはなかった。そしてオジサンの噂すら、聞こえなくなっていた。

今、オジサンは何をしているんだろう。

水無月の囚人

何だか心地良いふわふわした場所。オレンジ色だかピンク色だか何と言ったらいいかよく分からないけれど、とにかくそういった気持ちの良い暖色系の空間がぼんやりと見えて僕は目が覚めた。

目覚めの良い朝。爽やかな空気。……違う!僕の周りには爽やかな朝なんてやって来ていない。朝が見えるはずの窓もない。窓どころじゃない、ここは電灯も机も扉もテレビもベッドも何もない、ただ暖色の壁がどこまでもどこまでも続いているように見える、すっからかんの場所だった。

僕はどうしてこんな所にいるんだろう?ここは何処?私は誰?……いや私は僕だ。それは分かる。でもここが何処かは分からない。どうして僕がこんな場所にいるのかも分からない。周りを見渡しても、僕の他には誰もいない様子だった。僕は一人。一人で、こんな場所にいる。

考えている内に何だか僕は寂しくなってきた。自分が寂しいと感じ始めていることに気付くと、頭の中が寂しさで一杯になった。きっと核分裂が連鎖して起こるときもこんな感じなんだろうな。ああ寂しい寂しい寂しい。そのうち僕はとても居ても居られなくなって臨界爆発する。どかーん!

「おーい!」

別に誰かを探すためにその居るべきであろう誰かに向けた叫びじゃない。こんな孤独に僕はただ耐えられなかっただけだ。だって考えてみて欲しい、突然気付いたら見慣れた場所じゃなくて、奇妙奇天烈変てこりんな知らない場所に一人で居る状況。誰だっておかしくなるに決まってる。

だけど僕の叫びは虚しく反響することさえもなく、周りのふわふわに吸い込まれて消えていった。何だこのふわふわ。初めこそ心地良い気持ちの良い場所だと思っていたけれど、何の意味があって僕がこんな場所に居るのか思うと気味が悪くて悪くて仕方がなく思えてくる。

いや待て落ち着くんだ、落ち着け。心臓を今までにないくらいに早く鼓動させている自分自身に言い聞かせて、この状況を何とか受け容れる。僕がこんな場所にいるのは事実だから仕方がない、その事実に至るまでの過程を考えなきゃいけない。

そうして僕は僕の意識を遡る。えっと、眠りに就く前に僕はいつもの通りにベッドの上へ横になった。その前にシロに餌をやり、その前に飯を作って食べ、その前にスーパーへ寄り、その前に大学で講義を受けて……。

……そうだ。“人体解剖学II”。僕はあの講義中に突然睡魔に襲われてその気持ちの良い誘いに抗い切れずに居眠りしたんだ。眠りの中で頭をぽかぽかと叩かれて目を開けると頭の禿げ掛かった講師が目の前にいて僕を睨み付けていた。「おはよう」と言いながらその手に持った箱を僕の顔の真ん前に置いてにやにや。そうやって僕は禿講師の期待通りに驚きの声を上げた。腹をかっ捌かれて内臓を露わにしてホルマリンの海の中に浮き無常を悟ったかのような表情を浮かべるウサギを見ながら。

あの時にきっと時空間に歪みが生じて、現実世界とウサギの内臓とで空間が繋がったんだ。それで僕は今、あのウサギの内臓の中にいる。ほら、よく鼻を利かせれば、あの独特のぷんぷんしたホルマリンの臭いがつんとする、このままじゃシックハウス症候群で倒れちゃう、そんな気さえしてくる。

そんなわけないだろ。ということを僕は分かっていた。ホルマリンの臭いすらしなければ、ここはウサギの内臓の中でもない。“人体解剖学II”が僕にもたらした影響は微塵もない。明らかに、僕は分かっていた。

ただ僕は、否定したいだけだった。目覚めた時から頭に浮かんで消えることのない確信を、どうしても。

ここは、“月の女”の子宮の中だ。

僕は、遂に囚われたのだ。シロももう僕のそばにはいない。頼れるのは、自分自身だけだった。

山本さんは今

  • 2009年6月 9日 01:26
  • UFO

お兄ちゃん、わたし考えたんだけどね。山本さんって宇宙人なのかも知れないな、って思った。

わたしが山本さんにUFOを見たって言ったことがあったでしょ?その時山本さんはわたしのこと馬鹿にして、友達にもわたしが馬鹿だって言いふらして笑いものにして。普段は山本さんはそんな酷いことする子じゃなかったもん。それでね、その理由考えたんだ。

本当は山本さんは、自分がUFOに乗ってきた宇宙人でUFOの存在を知られると困るから、たまたまUFOを見たわたしのことを馬鹿にしてみんなを仲間にしていじめて、孤立させようとしたんだよ。きっとそうして、わたしを追い詰めて社会的に抹殺しようとしたんだ。

そうじゃなきゃ考えられないもん。山本さんが突然いなくなっちゃったことも。あの時、わたし以外の人の記憶から山本さんの存在が消えちゃってたでしょ?そのことも、山本さんが宇宙人だったって考えれば全部つじつまが合うんだよ。宇宙人にしか使えない技かなんかを使って、みんなの記憶から自分に関する記憶を消しちゃったんだよ。

だから、山本さんが消えたんじゃない。山本さんは今もきっと、宇宙のどこかで生きてる。それでそこから地球のことも見てるかも知れない。わたしのことを今も、見てるかも知れないんだよ。

それが余計に怖くてたまらないんだ。今度は、いつかわたしが消されちゃいそうな気がして。もちろんみんなの記憶の中からだけじゃなくて、わたし自身の存在そのものが消されちゃう。そんな感じがするの。だって自分のことをみんなの記憶から消すことができちゃうくらいだもん。わたしを消し去ることなんて簡単にできるはずだよ。

もし宇宙人がわたしを襲ってきたら、わたし戦うから。包丁でもフライパンでも振り回して、絶対に宇宙人をやっつけるんだ。怖くないもん。だからお兄ちゃんも一緒に戦って、ね?お兄ちゃんは背も高いし力も強いし、宇宙人なんていくらでも倒せちゃうでしょ?

でも襲ってきた宇宙人が山本さんだったら、倒せないかも……。だって一緒に仲良く遊んでた友達だし、今もわたしは山本さんのこと好きだもん。大事な友達をやっつけろ、って言われても、わたしには無理だよ。

あっ、もしかしてこの会話も山本さんに聞かれてるのかな。そしたら、山本さん、お願いだからわたしを襲ってこないで。あと、できれば帰ってきて欲しいな。わたし、また山本さんと一緒に遊べたらいいな、って思ってるんだ。ほんとだよ?

……あれ以来UFOを見てないんだけど、山本さんたち宇宙人のコミュニティか何かでお達しが出たのかも知れない。くれぐれもUFOで飛んでるのを人間に見られないように注意するように、って。

あっ、見て。お月様がきれいだよ。……もしかして、あそこに山本さんがいたりするのかな?きれいな月の上で遊んでたり……、そんなわけないよね。

御花見2

それから私と山本さんは、公園を一周してゐると云ふ遊歩道を竝んで歩いた。きちんと整備された遊歩道は、薄く桃色に染まつた櫻の花々に圍まれてゐる。それは丁度、トンネルのやうになつてゐた。

その下をくぐるやうに通り拔けながら、私たちは色々な話をした。昔の學校の思ひ出話から、今のお互ひの暮らし。幼馴染みであるだけに、私たちの会話はトンネルの向かうに見える噴水から水が噴き上がるのと同じやうに次から次へと湧いて出て來て、止ることを知らなかつた。

“話に花が咲く”と云ふのはかういふことだらう。一方の櫻の花の方はその間も勿論綺麗だつたが、私は嬉しさうに話をする山本さんの顏の方に許り氣を取られ、櫻の美しいことを思ふ餘裕を与へられなかつた。彼女の方は何うだつたかは分からないが、私は櫻の花咲く周りの空間も關係なく、ただ山本さんと二人きりの閉じた場所に居るやうな氣にさへ囚われてゐた。

そんなものだから、私は足許に段差があるのをつひ見落として足を躓かせて仕舞つた。「きゃあ」と發した時には最う遲い、私は幾分派手にすつ転び、膝から地面に落つこちた。辛うじて反射神經が働いたお蔭で手が先に出たから、顏は何うにか打たずに濟んだ。

「大丈夫?靜子さん」

直ぐに山本さんが心配さうな顏をして横に寄つてきてくれた。不可ない、山本さんに心配されるなんて。私は「ええ、大丈夫」と苦笑ひをしながら起ち上がつて、服に附いた土を拂い落とした。

その時、不意に強い風がひゆうと邊りに吹いた。突然の風に、周りの花見客からはきやあきやあと云ふ騷がしい聲が上がつた。風は帽子やら傘やら紙屑やらを惡戲のやうにそこら中に卷き上げて、そのまま去つて行つた。

「あら、迷惑な風」

風は、取つて置きの惡戲も仕出かしてゐた。周りの櫻の花を掻き亂すやうにして、散り拂つて行つたのだ。お蔭で櫻のトンネルは、直ぐに薄い桃色で一杯に溢れた。

今まで見たことのないやうな光景に、私は思はず燥いで聲を出した。

「わあ、櫻吹雪!ほら」

「……」

私の呼び掛けに山本さんは何も応えず、ただ默つてその視線を舞ひ落ちる櫻の花へと向けてゐた。

「山本さん?」

「……櫻が綺麗なのはね、直ぐに散つて仕舞ふからなの」

さう言つた時の山本さんの顏に、ふつと影が差したやうに見えた。彼女は依然として笑顏だつた。しかしその間に差す影から、裏に隱された何か深く暗いものが顏を出してゐた。それを見て私は、途端にぎよつとした。心臟が何かに強く摑まれて締め附けられるやうな氣持ちを覺えた。

「直ぐに散つて仕舞ふことをみんな知つてゐるから、分かつてゐるから、その分だけずつと櫻は綺麗でゐられるの」

何故か私には、返す言葉が見當たらなかつた。懸命に心の中を探つても、何一つ適當な單語の一缺片すらも浮かんで來なかつた。

私はただ、もどかしかつた。何も言へない自分に苛立つてゐた。

……言へる筈がなかつた。

山本さんの顏に影を見てゐた私が押し默つてゐることに氣が附いたのか、山本さんはその影を直ぐに引つ込めた。そして私の手を取ると、「ね、廣場の方へ行きませう」と明るい聲で言つた。

先程の薄暗い影が同じ顏に現れてゐたとは思へないほどの明るい顏に、私は先程の山本さんの言葉が幻の中に聞こえたものなのではないかと疑つてさへ仕舞つた。しかしそれは紛れもなく、確実な感覚に聞いた言葉だつた。

その後山本さんはあの影を見せることもなかつた。感じさせることもなかつた。だから私はあの時に一瞬覺えた困惑を忘れながら、御花見の時を樂しく過ごせたのだらう。あるいは山本さんの方も、忘れてゐたのかも知れない。


それから暫くして、櫻の花は全て散つた。

あれほど滿開に咲き亂れ人々を喜ばせてゐた櫻がまるで噓だつたかあるいは夢の中の光景だつたかのやうに、最うあの公園には春の華やかさは何處にも見えなかつた。

代はりに若々しい、しかし力強ささへ感じさせる緑の新芽が處々に吹き出してゐた。公園の噴水の周りには幼い子供たちが集まつて、強くなつた陽差しの下で甲高い聲を上げながら走り回つてゐた。

山本さんはあの時、最う自分の行く先のことに感附いてゐたのかも知れない。いやひよつとしたら、それよりもずつと前から悟つてゐたのかも知れない。それで、私を御花見に誘つたのかも知れない。さう今では思へる。

私があの御花見の時に見た笑顏は、決して華々しいだけの夢の中に見たものではなく、現實の中にこの目で見たものだつた。それは今も私の中では消えてはゐない。あの時と何も変はらず綺麗なままに、私の中で咲き續けてゐる。

そして今後もずつと、咲き續けるのだらう。

捕縛、妄想の終焉

月の女の子宮の中は、確かに温かかった。温かくて気持ちが良くて、このままここで横たわっていれば身体も意識もまるごとどろどろに溶かされてしまって、僕という存在が僕の知っているありとあらゆる空間から消えてなくなってしまうんじゃないか、そんな予感さえ覚えるほどだった。

けれどこのまま僕が消えるのは御免だ。僕はまだ消えるわけにはいかない。死ぬわけにはいかない。まだ20そこらの年齢で死ぬには早すぎる。それに僕にはやるべきことがまだある。シロと一緒に、月の女の企てを防ぎ妨げなければならない。その前にこの月の女の胎内で、消されるわけにはいかないのだ。僕はここから、脱出しなければならない。脱出して、再び月の女の企てに立ち向かわなければならない。

そこまで思ったところで、僕はふと気付いた。気付いてしまった。

——月の女から守る。……何を?一体何を守るために、僕はシロと一緒に月の女と対峙しているんだろう?そもそも、月の女の企てとは何だろう?何の目的で僕たちに付きまとい、脅かすような出来事を起こしたりしたんだろう?そして果てには僕を浚い、自分の胎内に閉じ込めたんだろう?

シロは、確かに月の女に狙われていた。そしてシロと同じように何の罪もない猫たちが狙われ、おそらくは月の女に浚われて消えた。

けれどもそれは、そもそもの話僕とは何の関わりもないことだった。どれもこれも、僕がシロを拾ってから起きた出来事だった。つまり僕がシロと出会わなければ、僕がそのような出来事を知ることもなかったし、月の女の存在を知ることもなく、関わることすらもなかった。きっと今も、月の女の子宮に閉じ込められるなんて滑稽な事態にもならなかっただろう。

「あの雨の日に、人間の言葉を喋る不思議な白い猫に出会ってさえいなければ、僕はこんな面倒な目に遭うこともなく、ずっと平穏な毎日を送っていられた筈なのに」

そうかも知れない。と僕は、僕のものではない声に同意をする……、いや、するわけにはいかなかった。何故ならそれは、この壁を通じて聞こえる声——月の女の声だったからだ。

「そう思っているんでしょう?」と、月の女は語り掛けてくる。それは穏やかなものでありながら、挑発的な感情が込められているようにも僕には聞こえた。

僕はそれに答えることなく、月の女に問い返した。

「教えて欲しい。一体どうして、僕をこんな所に閉じ込めたんだ?」

「何故ならそれは、貴方には足りないから。全てが、足りないから。貴方にはその中途半端な全てを忘れて、再び育ち直すことが必要だから」

「足りない?中途半端?……意味が解らない」

「意味が解らない?本当は、解っている筈。全てにおいて足りない自分のことを、誰よりも貴方自身が解っている筈」

解っていた。もう、否定のしようがどこにもなかった。

月の女は、僕の心の内を全て知り尽くしている。僕がいかに自分の能力の乏しいことに劣等感を抱いているか、そしてまた僕が今しなければならないことは何なのか。その全てを、月の女は間違いなく、僕と同じように知っていた。

今の僕は、月の女と対等に向かい合う力を持ち合わせていない。僕がどんなに本気で力を出そうとも、月の女の前では全てが無力であるに等しかった。

「僕はここから、出られるのか?」

「眠りなさい、か弱い子。暫くの安らぎを、貴方に与えてあげる。私も、忌まわしい猫も、UFOもいない、穏やかな安らぎの時を、あなたにあげる」

そして、僕は“安らぎ”という名の眠りに落ちていった。


月の女が孕んだ僕がこの先、心も体も未熟なまま堕とされるのか、再び外の世界に産まれ出でるのか、僕には分からない。そして例え同じ世界に還ってこられたとしても、そこに以前と同じ生活があり、シロがいて、また月の女との対峙が待っているのか、それも分からない。

「全ては、貴方次第……」

意識が遠のく中、かすかに月の女の声が聞こえた。いや、それはただの雑音だったのかも知れない。

Index of all entries

Home > Archives > 2009年6月 Archive

Return to page top