茨城症候群

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師走

  • 2008年12月 3日 03:05

今日昼寝をしていると、こたつの中から変な声が聞こえてきたんです。

「ねえ、ねえ。ねえ」

私は最初、飼っている猫のカンスケがまたこたつの中へ潜り込んでいるうちに息が苦しくなって、ただこたつから出ればいいものを分からずに助けを求めてにゃあにゃあと鳴いているのかと思いましたが、カンスケは日差しの良い窓際でスースーと寝息を立てて寝ていました。カンスケが寝言を言っているのかとも思いましたが、普段は寝言で鳴いたりもしませんし、それに声はこたつの中から聞こえてくるんです。

間違いなく、声の主はこたつの中にいる。私はそう確信して、こたつから体を出し、恐る恐る布団をめくってこたつの中を覗きました。

「ねえ、12月になっちゃったよ。12月になっちゃったよ」

そんな言葉を聞きながら私が見たものは、先がとんがった帽子をかぶり、ピーターパンと同じような服を着た、人間をそのまま手のひら大に小さくした人形のようなものでした。オレンジ色に染まるこたつの中のど真ん中、ちょうどランプの間下の場所に、その人形のようなものが全身を大きく跳ねさせながら、そして大きく笑いながら、朗らかな声を出していたんです。

「12月だよ、12月。もうすぐ、1年が終わっちゃうよお」

まだそれは何かを言っていましたが、私はめくっていた布団をすっと降ろして、考えました。

私はたぶん、寝ぼけているんだろう。寝ぼけているから、あんな変なものを見てしまった。そうに違いない。そうに違いない。

そうして私はまた横になることにしたんですが、声はまだしつこくも聞こえてきました。

「ねえ、ねえ。ねえったら」

私は、寝ぼけの産物のこの声もどうせすぐに聞こえなくなるだろう、と思っていましたが、それはどうやら見当違いだったようで、一分経っても、五分経っても、十分経ってもまだ「ねえ、ねえ」と聞こえてきたんです。

いくら寝ぼけの中に見た幻であっても、こうしつこいと私も苛立ってきます。どうにかしなければ、こののんびりとした優しい午後が台無しになってしまうんですから。

「ねえ、ねえ。ねえ」

私はこたつの布団を再びめくり、忌まわしい声の主の姿を確認すると、睨み付けました。

「ほら、12月になっちゃったよ。12月。もういくつ寝るとお正月だよ」

先程と同じように、それは跳ねて笑いながら言っていました。まるで私の睨みなど全く気にしてもいないようだったので、言葉で言って聞かせるしかないと思い、私は怒鳴りました。

「うるさいから、黙ってて!」

「だって、12月だもん。もう12月になっちゃったんだ。2008年もお仕舞いなんだよ」

「そんなの知ってるから、いちいち言わなくてもいいよ、このバカ」

「やだなあ、僕はバカじゃないよお。妖精だよ。12月妖精だよ。よろしくね」

怒鳴って懲らしめるつもりが、逆に恭しくも自己紹介などされてしまったから、私は戸惑って、そして心のいらいらがさらに大きくなりました。

人間というものは、その苛立ちが頂点に達すると突発的に何をするか分からないと言いますが、私もその例外ではなかったんでしょう。

私は12月12月となおもうるさく言い続けるその自称12月妖精を手でつかみ、こたつの外へと取り出しました。

「あはは、寒い寒い。こたつの中に戻して欲しいなあ。でもね、こんなことしてる時にも、ほら、12月はどんどん過ぎていくんだよねえ」

私の手の中に握られながら12月妖精はそう言いました。

けれど私には、なぜこの妖精が12月をことさら強調して言うのかは分かりませんでした。12月妖精と自称するだけあってその必要があったのかも知れませんが、それならなぜ他の月に関する妖精、例えば11月妖精や10月妖精は私のもとへ現れなかったんでしょうか。そもそもなぜ、この自称妖精が私のもとへと現れたのかも分からないんですから。

「急がないと、12月が終わっちゃうよ。ほら、急いで、急いで」

私には、その12月妖精の笑顔がとても憎たらしく思えてきました。それは、まるでその笑顔が私の一年間を嘲笑っているかのような気がしてならなかったからです。

確かに私はこの一年、学びもしなければ稼ぎもせず、ただだらだらと過ごしてきたことには違いありません。こんな生活が続くようでは仕方がない、それは自分でも分かっているんです。分かっていながら、私は一年間それを続けてきた。そのことを、この12月妖精は馬鹿にしながら笑っている。そう思えてしまったんです。

ですから私は、笑顔を絶やさないでいる12月妖精にだんだんと憎しみを募らせて、ついにはゴミ箱に勢いよく投げ捨ててしまいました。

ゴミ箱の中へ叩き付けられた12月妖精は、まだ笑いながら明るい声でこう言い続けていました。

「うひゃあ!危険なことをするもんだねえ。でも、12月は止まらないんだ。急がないと、急がないと……」

その声は心を取り乱した私にとっては、もう聞くのも苦痛な音でしかなかったんです。一刻も早くその音を取り除かなければならない。そう思った私は、咄嗟にそばにあったタウンページを手に取ると、それを丸めてゴミ箱の中に何度も突きました。何度も、何度も、何度も。

やがて、ゴミ箱の中からはあの声は聞こえなくなっていました。

猫のカンスケが騒がしい様子に目を覚ましたのか、にゃあと一声鳴きました。静かな部屋に響いたその鳴き声を聞いて私は我に返り、自分のしてしまったことに初めて気が付きました。

いくら私の心を非常に苛立たせる存在であっても、何もこんなことをせずともよかったんだ。もっと穏やかに、その存在と向かうことができたはずなのに。私は、どうしようもない。本当に、どうしようもなくて情けない人間。

私は途端に悲しく惨めな気持ちになって、手に持っていたタウンページを床に落とすと、くずおれて泣きました。カンスケも普段と違う私を彼なりに気遣ったのか、私のそばへ来てその体をすり寄せてきました。

けれど私は、しばらくして気付いたんです。自分の嗚咽に紛れて、こたつの中から何か声が聞こえることに。

「ねえ、ねえ。ねえ」

12月は、まだ始まったばかりでした。

ギョーザ

  • 2008年12月 6日 03:03

「カレーライス下さい、ふたつ」

二人連れの茶髪の若い男子、紺色のブレザーの制服を着ているから高校生なのだろうが、彼らは店へ入ってくると、カウンタへ並んで座り、若い笑顔をにこにこと浮かべながら私へそう言った。

私は一度訪れたことのある客の顔なら老若男女問わず覚えているはずだったが、その子たちの顔は全く記憶にはない新しい顔だった。おおかた近くの高校の学生が帰り道、この夕方にお腹が空いて、ちょうど店の前を通り掛かったから入ってきたのだろう。

店の人間からすれば、そういった客は大歓迎だ。初めての客がうちの味に満足してくれれば、何度も食べに来てくれる常連となって、どんどん客が増える。評判が評判を呼べば、さらに客が増える。

初めて来る客が多ければ多いほど、常連となる候補も多くなる。それはつまり、店の将来を左右する要素となりうるということだ。

だから、初めての客というものは大切な大切な商機なのだ。決してぞんざいに扱うことはできない。かと言って、常連はぞんざいに扱っていいという訳でもないが。

常連客よりもほんの少しだけ気を遣うくらいの心構えを持っていれば、間違いなくこの店を気に入ってくれる。私はいつもそう思い、この店を営んできた。そうしてこの店は今の繁盛を迎えている。だから、客の期待には精一杯の気持ちを以て応えなければならない。

ただ、残念ながら今は彼らの注文には応えられそうになかった。

「ははは。申し訳ないけど、カレーライスはありませんよ。うちは、ラーメン屋だからね」

私が笑いながらそう答えると、彼らは残念な様子も見せず、表情一つ変えずに笑顔のまますぐに別の注文をした。

「それじゃ、たぬきうどんお願いします。あったかいの」

彼らは、店の看板を見ていないどころか、私の直前の言葉を聞いてもいなかったらしい。まあ近頃の子供ならそれも仕方がないのだろう、と私は思い、少し語調を強めながらもやんわりと諭すように言った。

「うどんもないよ。うちはね、ラーメン屋。塩ラーメン、野菜ラーメン、チャーシューメン。そういうのしかないんだよ」

どうだ。今度はメニューの中の注文候補まで挙げて言ってやったんだ。これで次に焼きそばなんて言ってきたら、流石の私でも怒って彼らをつまみ出してしまうかも知れない。

まあ実際には、客を無理矢理つまみ出す、なんてことはしないだろう。店には他にも多くの客がいる手前、感情を表に出して怒るだなんてできやしない。ましてや子供に対してそんな行動に出れば、大人げないを文字通りに体現してしまうことになる。

この店の主人は大人げないだなんて噂がひとたび立てば、店を畳むまで噂は残り続けるに違いない。いや店を畳んだとしても、噂は消えやしないだろう。千年後に現代の人間の日記が見付かって、あの大人げない店は大人げない主人が大人げないラーメンを作っていた、という記述があったとしたら、私は後世まで大人げない人間だったとして記憶されるのだ。それは困る。

そもそもいくら近頃の子供とはいえ、うちがラーメン屋であってカレーもうどんもないということを二度言われても理解しないなんてことは、そう簡単には考えられない。いや考えたくなかった。二度言われりゃ馬鹿でも分かる。私は、それが当然のことであって欲しいと意識せずとも期待していた。

ところがそんな私の期待を無下にするように、相も変わらず無垢な笑顔の彼らは言った。

「じゃあ、カツ丼でいいです」

それは私にとって、とても残酷な一言だった。彼らには、私の言葉は全く通じていなかったのだ。私が常識だと思っていたものが、彼らにとっては常識でも何でもない。彼らは、宇宙人だ。高校生の皮をかぶった宇宙人に違いない。

そうでなければ、たちの悪い悪戯か。悪戯だとすれば、提供していないメニューを注文し続けるのは立派な営業妨害だ。警察に届け出れば受理されるだろうし、彼らを怒鳴り付けたとしても流れを聞いているであろう周りの客もきっと理解してくれるだろう。

ただ、それは私の中の信念が許さなかった。もちろん警察に通報したり力でつまみ出したりすれば、その場の混乱は済むことだろう。しかし本当にそれでいいのか、私には疑問に思えたのだ。

異質なもの、場にそぐわないものを排除する。それで確かに平穏は戻るかも知れないが、本来あったはずの平穏とは明らかに違う気がしてならなかった。排除というプロセスを経て得る平穏、それは偽りの平穏だ。そんな平穏には、少なくとも私にとっては、少しの価値もない。

本当の平穏とは、異質なものすら自らの内に取り込んでしまうものなのだ。明らかに共存できないと思われたものとも共存を可能にしてしまう。そんな大きさを備えたものこそが、本当の平穏だ。

私はそう思っていたから、宇宙人であれ悪戯であれ、彼らをこの店から追い出すという選択肢は選ばなかった。選べなかった、と言ってもいい。

「……あいにく、カツ丼もないんだよ。ただのラーメン屋なんだからさあ」

私はそう言ってから、自分の語調が荒くなっていることに気が付いた。おそらく表情も難しいものになっていたのであろう。平穏平穏とは思いながらも、本心に滲み出ている苛立ちはどうも抑え切れないものらしい。

カウンタ越しの高校生たちを見た。依然として、軽い笑顔をこちらへ向けていた。私はようやく、それがみずみずしい若さの溢れる純粋な明るさではなく、単に俗に言うヘラヘラした態度だということに気付いた。

「それじゃ、オムライスあります?」

彼らはまだからかいを止めないつもりらしい。こんな彼らを受け入れる方法は、私には思い付かなかった。ただ私は、この店内の平穏に保たれている空気をできるだけ乱さぬように、彼らの明らかにふざけた問い掛けに対して淡々と答えていくことだけしかできなかった。

「……それもないねえ」

「えーと、じゃあ、お好み焼きは?」

「それもありません」

周りの客の耳には、間違いなく私と彼らのやりとりが入っていたのだろうが、誰一人として関わろうとする客はいなかった。もちろん、店主である私が客に助け船を期待するのも変な話なのだが、客のうち誰かが立ち上がって私の代わりにこの悪戯学生たちを叱っては貰えないかと期待してしまうほど、実際私は困っていた。

私は、まるで客が人物画として描かれた絵を背景に、この学生たちと対峙する内容の演劇舞台に立たせられている気がしてならなかった。

学生たちは、私が困った表情を浮かべていることに気付いてますます調子付いたのか、さらに続けた。

「もんじゃはありますかあ?」

「そんなものもないよ」

「じゃあさ、焼き肉。焼き肉でいいですよ」

「ありません」

「俺、鮎の塩焼きでお願いします」

「ないよ」

「うな重一丁!」

「だからないんだよ」

もうだめだ。私はもう限界だ。いくら子供の悪戯とはいえ、これは度を超えている。大人も子供も関係ない。本物の営業妨害だ。堪えきれない。

気付くと、私の全身は細かく震えていた。硬く握られた拳は、今にも勝手にカウンタへと勢いよく叩き落ちそうだった。しかしそうなれば、今まで保たれていた平穏が一瞬で破られてしまう。この私自身の手によって、私自身の信念が崩れてしまう。

腹からぐいぐいと昇りつつある怒りを必死に抑えたが、しかし、私の口はもう抑えきれなかった。

「あんたたち!いい加減に……」

「ギョーザお願いしまーす」

私の怒声にかぶさって遮るように、彼らのうち一人が大声でそう言った。怒声は聞こえていたはずだったが、それは何の効果もなかったようだった。

どうやら彼らは、私に怒られようが怒られまいが、彼らが飽きるまでからかいを続けるつもりらしい。しかし、これ以上彼らの遊び道具となって遊ばれるのは勘弁だ。店の平穏や信念なんてもう関係ない。私はとうとう、彼らを店からつまみ出すより他になくなった。

ヘラヘラと笑っている彼らを鋭く睨みながら、私は割烹着を脱いで、カウンタを挟んだ彼らの側へ向かった。

彼らは私の顔を見て臆することも当然のようになく、むしろ面白がるように、さらにそのヘラヘラ具合を高めていた。

「何すか?ギョーザ、早くお願いしますよお。中国産じゃないやつで」

「それともギョーザもないんですか?じゃ俺、クリームシチューでいいですよハハハ」

ギョーザがないならシチューがあるわけがない。どこまでもこいつらはふざけている。一体どんな教育を受けてきたと言うんだ。もう、我慢ならない。

私は彼らをつまみ出そうと腕をつかもうとした。その時、周りの客の視線が一斉にこちらへ集まっていることに気が付いた。

もう何十度と来ている客も、昨日新しく来て今日も来てくれた客も、みんな私を見ている。その前で、子供の悪戯に怒って手を出すなんて、だめだ。やっぱり、いけない。

そんな考えが頭をよぎり、私は溜め息を吐いて手を引っ込めた。どうやら私にとっては、店の潤滑な営業や自分の信念よりも、客の目、世間の目の方が大事なものだったらしい。

結局私は、このふざけた高校生たちにも自分自身の信念にも勝てなかったのだ。そう思うと、全身から一気に力が抜けていった。そのままふらふらと私は調理場へ戻ろうとした。

そこへ、店の隅の方からぼそぼそとしたつぶやきが聞こえた。

「ギョーザ、あるじゃん」

ギョーザ?……ギョーザだ。ギョーザだ!

多くのラーメン屋が出しているように、この店でもギョーザは単品で出している。高校生たちの悪質かつ執拗な悪戯に冷静さを失ったあまり、私はそんな単純なこと、自分の店で出している品目すら忘れてしまっていたのだ。

私はにわかに気力を取り戻し、調理場へ戻って割烹着を着直した。そしてカウンタ越しにヘラヘラしている高校生たちへ、普段の客へ向けるのと同じ笑顔を向けながら、静かに訊ねた。

「……ギョーザでいいんだね?」

すると、彼らの憎たらしい笑顔がそのまま凍り付くのが見えた。そして氷が溶けていくようにだんだんと笑顔も溶けていき、何が起きたのか理解できないといった顔をしながら、互いに顔を見合わせていた。

どうやら彼らは、ラーメン屋がギョーザを扱っていることを知らなかったらしい。怒りの中で自分の店の品目を忘れていた私が言うのもおかしな話だが、彼らはこの悪戯をするには子供過ぎたのだろう。

それから高校生たちは、神妙な、あるいは何かを失ったかのような暗い面持ちになって、もうヘラヘラとした様子を見せることはなかった。結局そのままの顔でギョーザを食べ、会計を終えて、店を出て行った。

「……ごちそうさまでした」

「……ギョーザ、美味しかったです」

彼らが帰り際にそう言ったのを、たぶん、私は一生忘れない。

小さな箱

  • 2008年12月11日 02:02

「狭くて暗い、箱の中から、あなたを見てる、私を虐め、痛め、苦しめ、傷付け、そして最後に殺めたあなたを」

帰宅途中、何か声がすると思い、立ち止まって後ろを振り返ると、電柱の下に小さな白い箱があった。おそらく木で作られたであろう、ちょうど広辞苑ほどの大きさの箱、それが電灯に照らされて、夜道に白く浮かび上がっていた。

「あなたは今日も、悔やむことなく、笑い続けて、わたしは今日も、悔やみ続けて、泣いていた、この、小さな小さな、箱の中で、独り、寂しく、泣いていた」

声は消え入りそうになりながらも、恨み節のような文句を途切れ途切れに吐いていた。

確かに、声は箱の方から聞こえてはくる。周りには誰もいないし、電柱の影に誰かが隠れている様子もない。箱から声が聞こえているのは間違いがなかった。

きっと悪いいたずらで、箱の中にラジオか何かが入れてあって、それが喋っているんだろう。そう思って、私は家へ向かおうとした。

すると、声が突然強い調子で怒り始めたから驚いた。

「ああ、憎い!あなたが、憎い!あなたは、きっと、もう忘れてる、わたしを、このわたしを、喜んでいたはずの、わたしを、罠の中へ、陥れ、それでも、あなたは笑顔で、奈落の底へ、落としたことを!」

念のために自分の心に訊いてはみたが、いじめたの罠だのといった言葉には心当たりがなかった。私は弱い者いじめをするほど気が変に強い方でもないし、誰かを罠にはめるほど賢い方でもない。

もちろん、万が一心当たりがあったとしても、この小さな箱からする声が私へ向けてものを言っているとは思いたくはなかっただろう。私は、もうこれ以上その声に構うのは止めて、家へ帰ることにした。

「逃げる、あなたは、逃げる、けれど、わたしは、逃げられない、この無間地獄から、永遠に、逃げることが、できない、あなたのせいで、あなたがわたしを、突き落としたから、わたしはずっと、ずっと」

箱の声は、立ち去る私にそう言い続けていた。私はそれを無視して、すたすたと早足で遠ざかっていった。

「あなたは、いつか、地獄を見る、わたしと同じ、地獄を見る、そしてあなたは、悔やむ、悔やむ、初めて、悔やむ、わたしへ向けた、あの仕打ち、酷い仕打ちを、したことを」

知らない、知らない。知るもんか。さ、早く家へ帰って寝なくちゃいけない。明日も仕事で忙しいんだから。

こんな暗い場所で、見えないはずの柩に目を奪われて、聞こえないはずの声に心を奪われて、決して消えることのない事実に後悔したとしても、私はもう仕方がないんだから。一度犯した過ちは、もう晴れることはないんだから。

「そし……、あなたは、……へ、……ちる、地獄……、堕ち……、永遠……、苦し……、……もがき、……て、わたしを、……し、……」


「ただいま」

誰もいない暗い部屋からは、当然“おかえり”の声も聞こえるはずがない。けれど私は、毎日必ずそう声を掛けている。

なぜなら、あなたが部屋の奧で待っているから。私の帰りを、待ち続けているから。

私は部屋の明かりを点けるとすぐに、あなたの前へ向かって座る。あなたは見えないけれど、確かに笑って私を迎えてくれる。

あなたに付けられるはずの名前が刻まれた、小さくて薄い木の札。私はそれを手に取って、いつものように布で綺麗に拭う。優しく、丁寧に、あなたを拭う。

これが、今の私があなたへ唯一してあげられること。

ロープ

  • 2008年12月22日 19:07

「誰かが犠牲になることで誰かが幸せになるのなら、犠牲もまた幸せ」

サンタさんは笑いながらそう言って、私へ一本のロープをプレゼントしてくれました。それもただプレゼントするだけではなく、丁寧にもロープの先に輪っかを作って、窓際のカーテンレールへと結び付けてくれました。

私はサンタさんに「何に使えばいいの?」と聞きましたが、サンタさんは答えようともせずにただ笑っているばかりで、そのうち「アデュー」と明るい声を残しながら窓から飛び降りて帰って行きました。

「アデュー」

私は一人になった部屋の中で、サンタさんの別れの挨拶を繰り返しました。

そして窓際に垂れ下がっている、サンタさんがプレゼントしてくれたロープを見つめながら、私は思いました。

子供の頃は、サンタさんはこんなロープじゃなくて私の欲しいおもちゃをプレゼントしてくれたのになあ。でも、それだけでも良かったのかも知れない。だって、いつからかサンタさんはプレゼントさえしてくれなくなったんだから。

こんなロープ一つでも、私は貰えただけ幸せなんだろうなあ。

とは言っても、ロープが窓際に垂らされているだけではどうしようもありません。少なくとも、私にはそのままではロープの使い道が思い付きませんでした。

サンタさんがせっかく結び付けてくれたロープでしたが、私は爪を立てながらほどくと、直線上になったロープの両端を持って考えました。

何かの荷物をまとめるもの、命綱など、あれこれと用途を思い付きましたが、長さといい強度といい洗濯ロープがぴったりでした。

それから、サンタさんがプレゼントしてくれたロープは洗濯ロープとしてとても役立っています。初めこそおかしなプレゼントだと思いましたが、ものは使いようなのでしょう。

またあの時のサンタさんが来てくれたら、素敵なプレゼントをありがとう、とお礼を言いたいと思います。

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