茨城症候群

Home > 眼帯少女

眼帯少女

  • 2008年10月30日 03:59

ニラギ。

ぼさぼさ頭の男子から渡された灰色の石を見ると、今まで私が聞いたこともないこの謎の言葉が、走り書きのように汚く書かれていた。

私がその“ニラギ”という言葉を見てまず思ったのが、“ニラ入りギョーザ”なのだけれど、まさかその略ではあるまい。“ニラギ”と書かれた石は、昨日の夕方から今朝のうちに教室中に投げ入れられたと聞いた。もしも“ニラギ”が“ニラ入りギョーザ”を意味する言葉だとしたら、一体誰が何のためにそんなことをするだろうか?

だいたい、訳の解らない言葉の書かれた石を投げ込むという行為すら、全く以て意味不明な迷惑行為だというのに。まあ、この得体の知れない普通科の連中なら、そういった無意味な行為すらやりかねないのだけれど。

「“ニラギ”?」

私が訊くと、ぼさぼさ頭はいやな含み笑いをしながら頷いた。周りの生徒たちも私の方を向きこそしないものの、私の言葉をいちいち気にするかのように、ぴたりと動きを止めて耳をそばだてているように見えた。

わざわざ離れた校舎にまで出向いて訊きに来てやってるというのに、普通科の連中というのは噂に聞く通りいやな奴ら。それともやっぱり、私が特進科の生徒だということが分かったから、わざとよそよそしく冷たい態度を見せているのかしら?

思えば、普通科校舎に足を踏み入れたその瞬間から私はどこか気持ちの悪い違和感を覚えていた。同じ学校の生徒ではあるけれど、普通科の生徒たちを見ると全く活気がない。廊下にぐでんと座り込んだり階段で寝っ転がったりはもちろん、教室の中を見れば男も女も関係なくほとんどの生徒が机に突っ伏して寝ており、まるで誰かのお通夜でも始まるのかとすら思ったほどだ。

昼休みにも関わらず、晴れた青空の広がる校舎の外にも遊びに出掛けようとする生徒もいない。特進科の生徒たち、特に男子などは、食事後の短い時間であろうとみなこぞって校庭へ遊びに行くというのに、普通科の男子ときたら何にもせずにただぼんやりと屋内に引きこもっている。喩えるなら、まるでゾンビのよう。

見る限り、ここの普通科というのは、本当に活気のない人間ばかりが集まってしまったようだ。あるいは、この学校の普通科に属したことによって、本来持っていたはずの活気さえ失われていったか。そのどちらかなのだろう。

そんな陰鬱とした空気の中で過ごす彼らにとって、私の襟元に光る特進科のバッジは目障りなものとして映るらしい。呼び出された教室へ向かって廊下を歩いていると、すれ違う生徒が冷たく鋭い目線を私に浴びせる。それが何度も続いたものだから様子をうかがうと、このバッジを目にした途端に彼らの目付きが鋭く変わることに気付いた。

要するに普通科の連中は、特進科というものが気に入らないのだろう。何が気に入らないのか解らないけれど、とにかく気に入らないらしい。

それでいて「頼みがある」と私を呼び付けたというのだから、頼んだ連中だけは不可解なわだかまりを一旦忘れて普通に迎えてくれるものとばかり思っていたのに、いざ来てみたら全然忘れちゃいやしない。この通り、私はいやな冷笑で歓迎されている。

私はだんだんと心に湧いて出てくる苛立ちを抑えながら、ぼさぼさ頭に再び訊いた。

「ニラギ、って何?」

「さあねえ?馬鹿な俺たちじゃ分からないから、特進科のあんたに聞いたんだよ。俺たちとは全く出来の違う、校内一頭のいい、あんたにね」

そう言うとぼさぼさ頭はまたいやな含み笑いを浮かべる。それに従うかのように、周りも同じようににたにたして、いやな微笑み顔になった。

この、声を殺してにたにたと笑う様子が、本当に憎たらしくてたまらない。自分たちを馬鹿だと卑下しながら、実のところは私の方を馬鹿にしているんだ。間違いない。いやな奴らだ。

けれどここでこいつらの挑発に乗ってしまったら、小野田の目論んだ筋書き通りに沿って進んでしまうことになる。あいつは、小野田は、教務主任という立場を利用しながら、生徒を巻き込んだ権力闘争を起こそうとしているのだから。

この普通科の連中も、小野田の野望など知らないまま駒として利用されているに過ぎない。おおかた、対抗心を超えた敵意が特進科に向かうように、前々から小野田に吹き込まれているんだろう。小野田なら、やりかねない。

もしかすると、この“ニラギ”の一件も小野田が仕組んだ陰謀の一端かも知れない。このぼさぼさ頭たちを使って、私に謎の言葉の秘密を解き明かさせようとしているのだ。そうすることで、何かの不都合を私たち特進科に押し付けようとしているのだろう。

そうだとすれば、私はこの件に乗るべきではないことになる。私一人だけの行動で、他の特進科の生徒たちに迷惑が被るようなことがあってはならないからだ。

“ニラギ”が小野田の罠だとしてもそうでなくとも、とにかく、私は一旦この件を持ち帰らなくてはならない。持ち帰って、みんなで検討するのが先決だ。

「こんな石ころが一つあったところで、手掛かりにも何にもならない。それに私だけじゃ何が何だか分かりようもないよ。人手が要るわ。もう何人か呼んで来ないと。だから……」

「俺たちは、あんたにお願いしているんだよ。他の誰でもない、あんたにね」

提案しようとしたところを突然ぼさぼさ頭が強い調子で遮ったものだから、私は正直驚いた。周りの生徒たちはその声に反応して、私へ顔を向けていた。その顔から発せられる視線が、まるで私を縛り付けているように思えて仕方がなかった。

黙る私にぼさぼさ頭は続けてこう言う。

「人手が要るというなら、このクラスの人間を使えばいいだろう?石が投げ入れられたことを知っている奴は、このクラスの人間と、あんただけなんだよ」

その言葉は、暗に私に対して「この件は内密にしろ」ということを言っているに違いなかった。

けれど、私一人で特進科の命運を左右することになるかも知れない行動をとるなんて、私には出来ない。ましてや私に対して決して良くはない感情を抱いているであろうはずの普通科の連中と一緒に行動するなんて、出来ればご遠慮願いたい。何をされるか分からないからだ。

私は迷った。迷う私を、教室中から向けられた視線が監視していた。

「あの……、あの……」

そこへ、誰かが小さな細い声でぼそぼそと言いながら近付いて来る。誰か、といってもこのクラスの人間には違いないのだろうけれど。

「あの、あの……」

声のする方に顔を振り向かせると、思ったよりも近く、いや、思ったよりもずっとずっと近く、私の顔の真ん前、こぶし二つほどに、真っ白な顔があった。

どう考えても、近付き過ぎだ。あまりにも近付きすぎていたものだから、もはや驚きすら通り越した恐怖に近いものを感じて、絶句という言葉がぴたりと当てはまるように、私は声も出せなかった。

私は自分自身を落ち着かせつつ一歩二歩三歩と後ずさりすると、その顔の持ち主の全身が見えた。

「あの……」

あの、と何回言えば気が済むか分からないこの人間の正体は、すらりと長い足、滑らかに流れる長い黒髪、……と、何故か白い包帯を膝に巻き、白い眼帯を左目に付けている、不思議な雰囲気の女子生徒だった。

彼女は不安げな表情をしながら、眼帯に覆われていない方のつぶらで大きな黒い瞳で、私をじっと見つめていた。

「あの……、あの……」

「何?何か言いたいことでもあるの?」

「あの、あの……」

まるでらちが明かない。そこに、ぼさぼさ頭にしては親切にも解説を入れる。

「ああ、だめだよ、そいつは。極度の人見知りだから、他人との距離感が分からないんだよ。まともに会話も出来やしない。話そうとするだけ、無駄だよ」

そんな解説を聞いたところで、彼女を無視する訳にもいかない。初対面との彼女との会話を試してみないことには、ぼさぼさ頭の言うことが本当であるか分からないからだ。

もしかすると、彼女は“ニラギ”について何かを知っているのかも知れない。彼女はそのことを、彼女なりに必死で私に訴えようとしているのだとしたら……。

そう考えると、彼女が言おうとしていることを訊かない訳にはいかなかった。

「……何か、私に伝えたいことがあるの?」

私が彼女の目を見てそう言うと、彼女は無言で静かにこくりと頷いた。やっぱり、そうだったんだ。彼女は何かを知っているんだ。私の知らない、何かを。

「それは、どんなこと?ね、教えて?」

私は思わず、彼女の手を取りながら問い掛けた。彼女の手は、ひんやりと冷たく、小さく震えてもいた。

「……ニラ……ザ」

小さな小さなか細い声で、彼女はそう言った。けれどあまりにも小さな声だったから、私は一部しか聞き取ることが出来なかった。顔をうつむかせた彼女の手は、まだ小刻みに震えていた。

正直なところ、私はこういう弱々しさを人前で見せる人間が嫌いで仕方がない。弱さというものは、本当に心も体も弱り切った時にしか見せてはならないものなのだから。身近の親しい人間がこんな様子を見せていれば、間違いなく苦言を吐くことを厭わないはずだ。

あるいはそれは、本当の私自身が弱い人間だからそう思っているだけのことなのかも知れない。弱い自分を決して見せまいと隠すために、私は強がっている。そう思うこともある。

それが私を形作る要素の一つだとしても、やっぱり私は弱々しさを隠そうとしない人間のことが嫌いなことには違いない。そして今、その弱々しさを惜しげもなく見せ付ける人間が、目の前にいる。

けれど、私は考えた。相手は“極度の人見知り”。そんな彼女が、全く初対面の私に対して、伝えたいことがある、とわざわざ向こうからアプローチしてきたのだ。

彼女の中には、伝えなければならない務めと話し掛けなければならない恐怖との間で、大きな葛藤があったに違いない。それを乗り越えて、彼女は私に何かを伝えようと決心したのだろう。叱り飛ばす訳にはいかなかった。

「ニラザ?」

私が訊き返すと、先程よりもいくぶんはっきりとした声で、彼女は返してくれた。

「……ニラ……入り、ギョーザ……」

「ニラ入り、ギョーザ……?」

彼女が大きな葛藤を乗り越えてまで伝えたかったこととは、それだったらしい。奇しくも、私が“ニラギ”について初めて連想した言葉と全く同じだった。

ぼさぼさ頭を初めとした周りの連中は、私と眼帯の彼女とのやりとりを横で聞きながら、またしてもあのいやな笑いをにたにたと浮かべていた。「だから言ったのに」と言わんばかりの、声を押し殺した笑い。全く、どこまでも癪に障るいやな笑いだ。いやな連中だ。

ひょっとすると、これもやっぱり小野田の罠だったのかも知れない。こんな人見知りの女子生徒まで使って、私に恥をかかせてプライドをずたずたにしてやろうとでも思ったのだろう。いや、罠と言うには幼稚すぎる。嫌がらせだ。程度の低い、嫌がらせだ。

私はそんな嫌がらせに引っ掛かったのだと思うと、自分が妙に恥ずかしくなって、彼女の手を離してさっさと立ち去ろうとした。こんな場所、来るんじゃなかった。頼まれたってもう二度と来るもんか。

と、誰かが私の腕をつかんだ。まだ私をからかうのか、と思って腕をつかんだ人間を睨むと、眼帯の彼女だった。

彼女はまだ不安そうな表情を浮かべて、その瞳で私を見つめていた。彼女が私に伝えたかったこと、ニラ入りギョーザなら、もう聞く必要もない。そもそも初めから、聞く必要なんてなかったんだから。

彼女は私の腕をつかみながら、あの小さな声でこう言った。

「……待って、お願い……」

「待たないよ。私は、こんなところでふざけた遊びに付き合っているほど暇じゃないんだからね」

私は彼女の手を振り切った。少し手荒いことに思えたけれど、私の意思、もう二度とここには来ないということを表すには、このくらいの手荒さも必要だ。大きく振り切って、教室の出入り口へと向かおうとした。

そこに、どたん、と大きな音が聞こえたものだから、私は思わず振り返った。

眼帯の彼女が、うつ伏せに倒れていた。私が彼女の手を振り切った弾みで、彼女は倒れてしまったのだ。

これは酷いことをしてしまった。彼女を傷付けるつもりは全くなかったのに、私は意思を示すという勝手な行為に彼女を巻き込んで、彼女を傷付けてしまったのだ。なんて酷い人間なんだろう、私は。これじゃ、弱さも強さも関係ない。

自分を恨むよりも先に、倒れた彼女に急いで駆け寄ると、彼女は自ら起き上がろうとした。どうやら、頭を打ったとか意識を失ったとか、大事には至らなかったらしい。

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。大丈夫?」

心配して彼女の肩に手を掛けながら彼女の顔を見ると、彼女は意外にも微笑みさえ浮かべていた。先程の不安げな表情は、どこにも見当たらなかった。

「……大丈夫。……いつも、私、……自分で転んじゃうから……」

そう言いながら彼女は、その細い指で自分の膝を指差した。彼女の膝へと目を遣ると、白い包帯が巻かれていた。なるほど、それで包帯……。

周りの人間を見ても、彼女が倒れたことを目にしても全く慌てた様子が見えない。その周りの様子と彼女の包帯とを考えると、彼女が転ぶのは日常茶飯事の出来事なのだろう。だから、誰も驚かない。そして彼女の膝から、包帯は取れない。

「それなら良かった。でも、本当にごめんなさい」

「……ううん。あなたのせいじゃ、ないから……。心配してくれて、……嬉しい」

彼女はそう言うと、立ち上がろうとした。するとその時、左膝に巻かれていた包帯が、はらりとほどけていくのが見えた。

「あっ」

ほどけた包帯が覆っていた膝には、大きな湿布のようなものが貼られていた。その紫色の地の上に、マジックのようなもので赤色の文字が書かれている。

“今日も、明日も、ずっと独り”

膝の湿布の上には、そう書かれていた。膝の湿布にそんな言葉が書かれているとは思いもしなかったから、私は確かめるように何度も見た。けれど確かに、書かれていることに違いはなかった。

私の目が膝に置かれていることに気付くと、彼女は焦った様子になって膝を隠しながら、ほどけた包帯を巻き直した。巻き終えると、彼女は余裕のなさそうな照れ笑いを私へ向けた。

そんな彼女の顔を見て、私も笑いを返さずにはいられなかった。彼女と同じ、照れ笑い。

「んー?」

「んー?」

取り敢えず、湿布に書かれていた言葉の意味は問わないでおこう。そう私は心に決めた。

Home > 眼帯少女

Return to page top