茨城症候群

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気象情報

『……東北から東海地方に掛けて、上空の大気は非常に不安定な状態が続いており、今週いっぱいは突発的かつ局地的な豪雨に注意が必要でしょう。ただいま県全域には気象庁より、大雨洪水警報、雷注意報及び竜巻注意情報が発表されております。また県南部では、一時間に百ミリを越える雨量が観測され、記録的短時間大雨情報が発表されました。県南西部では土砂災害警戒情報も発表されております。今後の気象情報に十分ご注意下さい……』

「……」

シロは珍しくテレビに見入っている。まるで何かに取り憑かれたかのように、テレビの真正面に体を据え、天気キャスターの告げる言葉に耳をピンとそばだてたままぴくりとも動かさず、鋭い目を大きくさせて、何も言わずに画面に食い入っていた。

シロがこれほどまでに熱心な態度を見せたのは、久しぶりだった。そう、確か僕がマタタビを買って帰ってきた時、二年も前のこと以来だ。


その頃の僕は、猫はマタタビが好きだということを知っていたものの、実際に猫がそれをどう好むものなのかは知らなかったから、物は試しとばかりにペットショップで見付けたマタタビを買ってきたのだった。

家へ帰り、袋をビリビリと破いて中のマタタビを取り出した途端、シロの様子が一変した。それまで窓際のお気に入りの椅子の上でひなたぼっこをしていたのが、匂いに敏感に反応したのか、むっくりと立ち上がってこちらを睨んだ。「おいそれは何だ」とシロは訊くから、僕が「マタタビだよ」と答えると、シロは突然表情を一変させて「寄越せ、寄越せ」と気が狂ったかのように何度も大きく叫んで僕に飛び掛かってきた。

あまりにも突然シロが攻撃的になったものだから、僕は驚きのあまり腰を抜かしてしまうほどだった。僕が後ろに倒れた隙にシロは僕の手からあっという間にマタタビを奪い取り、次の瞬間にはハアハア言いながら床で転がっては腹ばいになったりしてマタタビとじゃれていた。

いくら声を掛けても全く反応しないほど熱心にマタタビとじゃれ続けるシロを見ながら、ははあこれほど猫はマタタビが好きなのかと思って感心した。けれども僕は同時に、尻餅を付いた場所の痛みがだんだんと増してくることに不安な違和感も感じていた。

座ればいちいち鋭い痛みを覚えるようになってから渋々病院へ行くと、結局尾てい骨にひびが入っているということだった。診断で痛みは消えるわけもなく、続く痛みを抑える為におかしな歩き方のまま家へ帰ると、シロはまだマタタビとじゃれていた。

その出来事で、猫がどれほどマタタビを好きなのかを実感することはできたのだけれど、その代償は大きかった。言うまでもなく、僕はそれ以来、マタタビを買うことは控えている。


まあマタタビはもうどうでもいい。とにかく今のシロは、かつて自らの知覚を放棄するほどに熱中したマタタビと同じように、テレビの気象情報を熱心に聞いている。

「シロ、そんなに天気が面白いの?」

僕が笑いながらそう訊くと、シロは顔を半分だけこちらへ向けて一瞬いつもよりも鋭く睨んでから、またテレビへと顔を向け返す。まるで黙れと言わんばかりのシロのその態度に、僕はある疑問を頭に浮かべた。

――月の女。まさか、シロはここ数日の突発的な豪雨も、その月の女の仕業だとでも言うんじゃないだろうか。その為の情報収集として、こんなにも熱心に気象情報に食いついているのかも知れない。

この酷い天気の荒れようさえも月の女の仕業だなんて、そりゃいくら何でも有り得ない。もともとオカルトチックな“月の女”の話を、こんな気象の話にまで広げて絡めるなんて。

「……ねえ、シロ。もしかして、これも、月の女、が起こしているとか思っているの?」

僕は恐る恐る訊いた。すると、返ってきたのは意外な言葉だった。

「なに、月の女?」

ちょうどテレビの気象情報が終わったようで、シロは先程とは打って変わった表情で僕を振り返り見る。その目には刺して威嚇するような鋭さはなく、ただいつものように猫の目としての鋭さだけがあった。

僕はシロの表情に少しだけ安堵して、一方で戸惑いを覚えながら、訊き直した。

「この変な大雨も、月の女が関わっているの?」

「何だ、あんたも月の女にすっかり毒されちまったんだな」

皮肉っぽくシロが鼻で笑う。笑われて、僕は少し恥ずかしくなった。

シロが熱心に気象情報に見入っていたのは、気象と月の女との関連を疑っていたからではないらしい。それでは何か、月の女の他にもシロと対峙した関係にある存在がいるとでも言うのだろうか。

「月の女は天気を操るなんて手の込んだことはしないさ。あいつはもっと陰気臭い、いやらしい手を使うんだ」

「それじゃ、どうしてシロはさっきまであんなにテレビに釘付けになっていたの?」

「ああ、それはな」

シロは一呼吸間を置いてから、言った。

「お天気お姉さんの声が、あまりにも官能的だったからだ」

僕には返す言葉がすぐには見当たらなかった。シロがそんなことでテレビに見入っていたとは思いもしなかったからだ。これじゃ、まるで何処かのおじさんと同じだ。

「マタタビのように?」

「そうだ、マタタビのように」

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