茨城症候群

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くず

  • 2008年2月 1日 13:39

「お前、また試験で赤点取ったんだってな。このままじゃ留年確定か。とことんクズだな、ハハハ」

そんなことを、あいつは言いやがった。腹の立つような笑顔で言いやがった。俺はあいつを許さない。あの糞野郎め。

だいたいあいつは、調子に乗ってやがるんだ。素はただのキモいエロゲオタクのくせに。家が金持ちの名家だからって、あいつは金をいいように使っている。登校にタクシーを使うわ、夜はキャバクラへ行くわ、金をばらまいて同級生をいいように使わせるわ、俺から見りゃやりたい放題だ。

そういう変に金回りのいい奴には、当然人が群がる。あいつの周りの人間は、あいつ自身じゃなくて、あいつの持つ金に期待して集まって来ているんだ。それを勘違いして、俺は人望のある偉い奴だ、なんて思っていやがる。あいつこそクズだ。

俺は知らない振りをしているが、実は知っている。あいつは俺の姉貴とセックスをしたんだ。姉貴をたぶらかして、誘って、レイプ同然のセックスをしたんだ。俺の姉貴を汚しやがったんだ。そしてすぐに捨てた。使い捨ての割り箸のように、しゃぶり尽くした後、姉貴をへし折って捨てやがったんだ。

あいつは、ミス那珂郡とも言われた姉貴の身体だけが目当てだったんだろう。あいつの頭の中では、エロゲをやっている感覚だったに違いない。ミス那珂郡を攻略した、なんて思っていやがるんだろう。あの糞野郎。

俺の姉貴はエロゲの登場人物なんかじゃない。エロゲみたいに、強引に犯されて喜ぶわけがないじゃないか。

捨てられた姉貴は、これ以上ないほどに傷付いたんだ。それ以来、姉貴は拒食症になってしまった。見るのも苦しいほどにがりがりに痩せてしまった。大学も行けずに塞ぎ込んで、引きこもりになってしまった。

姉貴がそんなことになっているのを、あいつは知らない。知らないで、毎日へらへらと笑っていやがるんだ。

もう以前の明るく優しくて可愛い姉貴は戻って来やしないだろう。俺は絶対に、あの糞野郎を許しはしない。

ああ、あいつが憎たらしい。あいつの存在をこの世から消してやりたい。しかし、そんなことは魔法でも使えない限り不可能だ。あいつが犯罪紛いのことをしたせいで姉貴を苦しめているとしても、俺が罪を犯してしまえば姉貴はもっと苦しむだろう。

俺は姉貴がさらに苦しむ姿を見たくはない。しかし、あいつへの憎しみは消えやしない。俺は姉貴が苦しむのを黙って見ているよりも、あいつへの憎しみを晴らしたいんだ。

消し去ることは出来なくとも、何とかあいつを苦しませてやることは出来ないか。あいつの困惑してがくがくと震える顔が見たい。どうしよう、と跪いて泣き喚く姿が見たい。

俺はあることを思い出した。以前、あいつが俺に言ったことだ。

「俺、自宅サーバでサイト作ってるんだ。ほら、お前にも教えてやるよ。荒らすなよ」

俺は、あの糞野郎にウェブサイトのURLを教えられたことがあった。自己顕示欲の強いあいつは、誰彼構わずに自分のサイトを宣伝していた。

一度あいつのサイトを見に行ったことがあるが、大して内容のないサイトだった。恥ずかしい自己紹介とくだらないブログ日記、掲示板、それに身の毛もよだつほどの気味の悪いエロゲのレビュー。まさにサイトは人を表すものだ。あいつの人となりが、丸々あのサイトに凝縮されていた。

俺は思い付いた。あいつのあのサイトを、荒らしてやろう。滅茶苦茶に、荒らしてやろう。徹底的に、荒らしてやろう。荒らしじゃ物足りない。クラッキングだ。サーバごとクラックして、あいつのプライドをずたずたにしてやろう。

思い立ったはいいものの、どう実行すれば適切か分からなかった。だいたいクラッキングなんて、犯罪じゃないか。罪を犯しちゃダメなんだ。

普通にやれば、当然足は付く。IPアドレスや何やらで、俺がやったということはいずれ分かってしまうだろう。だから、足の付くような証拠を残さなければいい。そうすれば俺は捕まることもない。それに誰がやったか分からないから、恐ろしがらせることが出来るんだ。

しかしあいにく俺はコンピュータの知識には疎い。あの糞野郎のように、暇があればパソコンに張り付いているわけじゃない。当然ながらプログラミングも出来ない。

今さらコンピュータについて勉強するような時間もない。そんなことをしていれば、俺は高校を卒業してしまう。あいつの惨めな姿すら拝めなくなってしまう。ダメだ。

俺は考えた。俺が荒らしたことがばれなければいい。俺が荒らさなければいい。他の誰かが、荒らせばいい。そうだ、他の誰かに、荒らしてもらえばいいんだ。

でも、誰に?誰がそんな依頼、引き受けてくれるというんだ?俺にはそんな知り合いはいやしない。たとえ身近にいたとしても、そいつがやったことが分かれば元も子もない。俺も共犯だ。これもダメなのか。

いや、今はインターネットで探せば何でも見付かる時代だ。もしかすると、荒らしやクラックを引き受けてくれるサイトがあるかも知れない。

俺は検索した。しかし、そんなのは運良く見付かるもんじゃない。検索結果を末尾まで探しても、何度検索キーワードを変えても、それらしきサイトは出て来なかった。

ああ、ダメだダメだ。「お前、ダサいんだよ」とあいつが憎たらしく笑っている。ふざけやがって。俺は絶対、あいつの鼻を明かしてやるんだ。あいつの鼻をへし折ってやるんだ。俺は負けない。

その後も何十回、何百回と検索キーワードを変えては検索結果を全て通し見た。俺が何かの物語の主人公なら、この検索結果の最後に凄腕クラッカーのサイトが現れて、クラッキングは趣味だから朝飯前さ、とちょいちょいと実行してくれるのだが、あいにくそうはいかない。

終いに検索するのも飽きてきてしまった。やっぱり、犯罪を代理で実行してくれるような奴なんていないんだ。俺は自分の考えが甘いものだったことに気付いた。

「おい、お前がクズなら、お前の姉貴もクズだな。クズ一家だ」

あいつが笑っている。上から見下して、笑っている。

俺は諦めるわけにはいかない。あいつを、絶対にあいつを打ちのめしてやるんだ。

浦島太郎 1

  • 2008年2月 9日 18:06

ここ最近は全く良いことがない。まあ幸運の神様に見放されたんだろう。悪いこと続きだ。


まずこの夏の台風のお陰で、舟が壊れちまった。もう元の形を留めるどころか滅茶苦茶に壊れちまったから、直しようがない。かと言って新しい舟を作る金もない。だからしばらく漁が出来くなった。漁が出来なければ、金が稼げない。つまり生活が出来ないんだ。

生活が出来なくっちゃ困る。それで俺はお願いして、仲間の漁師の下で少しの間働かせてもらおうとした。だけどあいつら、断りやがったんだ。「これ以上人を雇う余裕はないんだよ」なんて、煙たい顔をしながら俺の頼みを突っぱねたんだ。

それまで一緒に協力して漁をしていた奴らだ。朝も夜も寝食を共にすることなんていつものことだった。生活の上で、お互いに欠かせない存在だったはずだ。

だから当然こっちが困った時には、助けてもらえるものとばかり思っていた。もちろんあっちが困った時は、俺は手を差し伸べるつもりでいた。それなのに、俺が舟を失ったというだけで、手のひらを返したように冷たい態度になった。何なんだあいつら。俺はもう人が信じられなくなってしまった。


俺は海の仕事を諦めて、これまでの蓄えを元手に新しい仕事を始めた。遊女を集めて、夜の宿で客を接待させる事業だ。建前上は踊って歌って楽しませる接待サービスなんだが、まあ何だ、あまり大きな声じゃあ言えないんだが、まぐわいだ。

まぐわいを求めて客は来る。この時勢だから、そういう心も体も寂しい旦那はうんざりするほど多い。そんな客にまぐわいを与えて金を取る。金さえあれば慰められ充たされる客、金を儲けて喜ぶ女と俺。まさに買い手と売り手とのニーズが一致したサービスだ。

以前に一度、都へ行ったことがある。その時に初めて遊女というものを知ったんだ。俺は感激した。都じゃあこんな素敵な文化が流行っているんだ。これは今に全国に広がるぞ。そう思っていたんだが、地域格差というのだろうか、ここら辺のど田舎には都会の文化は全く広がってこなかった。

まあそういうこともあって、俺は新しい仕事にこのまぐわいサービスを選んだんだ。田舎には珍しい、というか今までにないサービスだから、俺には事業を成功させる自信、いや、確信があった。

しかしどうだ。成功なんてそうそう楽に出来るものじゃあない。募集を見て応募してくる女どもは、とんでもない不細工だらけ。フグからヒラメまで、隨分とひどいものが集まったもんだ。まあ辺鄙な田舎だから仕方がないのかも知れない。事業の成功なんて、夢のまた夢、俺はちょっと飛んだ幻想を見ていたんだろう。

フグでもヒラメでも遊女がいなけりゃあしょうがないから、とりあえず使えそうな女を雇ってやって、俺はサービスを始めた。見窄らしい女どもが遊女だなんて、まあすぐに潰れちまうだろうと思っていた。俺としてはまた舟が買える分だけ稼げれば潰れちまってもそれで良かったから、開店当初はそのつもりでやっていたんだ。

ところが意外や意外、店の評判は口コミで広がって、日に日に客が増える。ひと月も経たないうちに大繁盛でてんてこ舞いだ。俺一人じゃあどうにもならないから下郎を十数人雇った。遊女も足りなくなったから追加の募集を掛けて数人雇った。店も狭くなったから近くの古い宿を買い取った。そんな余裕が出来るほど大繁盛したんだ。

客の一人に聞いてみると、若い女とのまぐわいがどうにも堪らないらしい。なるほどよく見てみりゃあ、客は中年の旦那ばかりだ。顔なんてどうでもいいんだろう。体が若けりゃあ、それで満足なようだ。

やっぱり俺の時代を読む感覚は外れたもんじゃあなかったんだ。俺は時代の寵児になれるかも知れない。一度は沈んだ成功という文字が、俺の頭にまたぷかぷかと浮いてきた。よし、これは行ける、行けるぞ。俺は銅貨の束を数えながら、いつしかこの土地に大宮殿を建ててやる、と考えたもんだ。

そんなある日のことだ。貴族の一行が店に来たんだ。貴族だ。俺はびっくりしたね。何だか見慣れない身なりの奴らが来たなと思って恐る恐る訊いてみたら、橘なんたらとか言うらしい。名前は耳にしたこともないが、たいそう貴い身分のお方だったんだろう。京から来た、と偉そうに言うんだが、何やら事情がありそうだった。こんな場所にたいそうな身分のお方がいらっしゃるなんて、考えられないことだ。まあ都で悪いことでもして地方へ流されたに違いない。

そのお方らは、近くに宿はないかと村人に訊ねたらここが評判の宿だと言うので来たらしい。なるほど身分は違っても、体の求めるものは違わないということだ。俺は遊女たちを集めて、最高の接待をして差し上げるように言い付けてやった。店も一旦閉めて、貸し切りにするように言った。ともすれば、貴族のことだ。満足していただければより多くの金を置いていかれるかも知れない。稼げるチャンスには稼がなきゃあならない。接待を遊女たちに任せて、俺は部屋へ戻っていつものように金勘定をしていた。

そこに突然、尋常じゃあない怒鳴り声が聞こえたから、部屋を飛び出して接待の様子を見に行ってみると、何だ、もう接待じゃあない、飛んだ修羅場がそこにはあったんだ。素っ裸の遊女たちがきゃあきゃあ叫びながら部屋のあちらこちらへ逃げ回っていて、その後を橘なんたら一行が顔を真っ赤にして追い回している。手には小刀が握られていた。

こりゃあただごとじゃあない。俺は驚いて下郎どもを十人ばかり呼んで、橘なんたら一行を押さえ付けた。いくら客だ貴族だといっても、こんな狼藉を働いてもらっちゃあ困る。押さえ付けた後、全員を柱に縛り付けて訳を訊いたんだ。

あいつらの口から出るのは、ふざけた宿だという言葉ばかり。ふざけたも何も、こっちは最高の待遇を以て接待したつもりだ。それをふざけたと言われてもどうしようもない。遊女たちを気に入らないのなら、別の店へ行ってもらうしかない。

しかし話をよく聞いてみると、どうやらまぐわいがいけなかったらしい。一行は宿を探していたんだが、それは普通の宿であって、遊女たちとのまぐわい付きの宿なんか望んじゃあいなかったという。

まあ、そりゃあ怒るわな。普通に食って寝る所だと思ったら、何だか女が踊るわ歌うわ五月蝿い、満足して食べられもしない、さっさと寝ようとすると女が服を脱ぎだして抱き付いて来るんだ。怒って当然だ。

ただこっちは一行がまぐわいを求めて来たんだと思っていたからまぐわいを提供してやっただけだ。悪くない。悪いのは普通の宿と勘違いして入って来た向こうの方じゃあないか。

それをその一行に言った所でどうしようもない。向こうはたいそうなご身分の貴族様だ。縄をほどいてやると、ぷんぷん怒りながら、「国司に言い付けてやる」と恨み言を吐いていやがる。

国司に言い付けられちゃあ俺も命がない。俺はお詫びの印に、有り金全てを橘なんたらに渡した。有り金全て、舟が何艘も買えちまうくらいの額だ。そしたらあいつ、偉そうに踏ん反り返って金を奪った後、生温かい唾を俺の顔に掛けやがった。俺は煮える思いを我慢した。こいつが貴族なんかじゃあなきゃあ、今頃下郎どもを使って庭にでも埋めているのに。橘なんたら一行は、「金に免じて赦してやろう、この畜生め」とか吐き捨てて去って行った。

ぽっかり空いた客室で、俺は茫然とした。舟を買うどころじゃない、今までの稼ぎが全部パーになっちまった。

もうやってられるもんか。俺は逃げるようにして店を畳んだ。宿を売った金で、下郎と遊女たちに最後の賃金を渡してやった。金を受け取りながら、みんなおんおんと泣いていた。たったふた月の、短い夢だった。

浦島太郎 2

  • 2008年2月10日 15:46

俺は失意の中、また家へ戻った。年老いた上に痩せ細った父ちゃんと母ちゃんが、部屋の隅で冬の寒さにがくがく震えている。ごめんよ、父ちゃん母ちゃん、俺はダメ息子だ。まぐわい宿で稼いだ金をもっと多く家に入れていりゃあ、いくらか暮らしも楽になったんだろう。でも俺は自分のことしか考えていなかった。金に心が奪われていたんだ。ああ、今は何を言っても言い訳にしかならない。ごめんよ、父ちゃん母ちゃん。

俺は決心した。もう父ちゃんと母ちゃんをこれ以上苦しませたくないし、苦しむ姿を見たくもない。

ある日俺は父ちゃんと母ちゃんを誘って、近くの山へ出掛けた。近くと言っても、老いた足じゃあ何日も掛かってしょうがないだろうから、俺はまぐわい宿で使っていた下郎の一人を呼んで、二人で父ちゃんと母ちゃんを負ぶって歩いた。

下郎にはその前日、予め訳を話しておいた。初めは難しい顔をしていたものの、俺の為じゃあない、父ちゃんと母ちゃんの為なんだ、と説得すると、快く了承してくれた。流石は一番の下郎、物分かりが良い。

父ちゃんと母ちゃんには行き先を教えてはいない。実のところ、行き先なんてないんだ。「何処へ行くの」としきりに訊ねられたが、ピクニックへ行くんだ、と言って誤魔化しておいた。ピクニックには違いない、しかしおにぎりもお茶もない、悲しいピクニックだ。

山を登って夕方になった。落ちていく夕陽が見えた。辺りも隨分と暗くなってきた。そろそろ良いだろう、と俺は下郎に合図して、大きな木の下の所で負ぶっていた父ちゃんと母ちゃんを降ろした。二人は訳の解らない様子で、お互い顔を見合わせた後、俺と下郎を見上げていた。

「太郎や、こんな所でピクニックかい」「日も暮れるし、わしゃもう帰りたい」

ごめんよ、父ちゃん母ちゃん。もう帰れないんだ。俺と下郎は一斉に駆け出した。もう後ろを見なかった。見られなかった。

山を降りる途中、空の向こうに月が見えた。暗い夜空に明るく輝く、白い大きな満月だった。「良い月ですねえ」と下郎が言う。なるほど良い月だ。雲一つ掛からない、完全に真ん丸い申し分ない満月だ。下を見ると、一杯に広がる田んぼの水面にもう一つ明るい満月が見えた。こちらも文句の付けようがない。時折風が吹き、静かに水面が揺れると満月もまた揺れて、何とも言えない風情を醸し出している。この二つの月を肴に酒でも飮めりゃ、さぞ旨いだろうに。

父ちゃんと母ちゃんも、こんな景色を眺めたら喜んでくれるだろうなあ。

いけねえ、だめだ。俺はやっぱりだめだ。だめなんだ。二人の笑顔が二つの満月と重なって脳裏に浮かんで来ると、俺はもう走り出さずにはいられなかった。「何処へ行くんですか」と言いながら、下郎も走って付いてきた。

父ちゃんと母ちゃんは、降ろした所と全く同じ場所で待っていた。二人で互いに抱き合って寒さに耐えながら、俺を待っていたんだ。震える二人の青ざめた顔を見て、俺はぼろぼろと涙を流した。

「寒い、寒いよ、太郎」「こんな所に置いてけぼりにして、何処へ行っていたんだ」

ごめんよ、父ちゃん母ちゃん。


俺は稼がなきゃあならない。稼いで稼いで、父ちゃんと母ちゃんを養わなきゃあならない。事業で一発当てるなんて考えも止めて、大人しく人の下で働くことにした。

働くことを決意したにはいいが、それには働く場所がないといけない。宿、田、農具工場、製鉄炉。色々な場所に、俺を雇ってくれるように頼みに行った。ところが何処も手一杯だと言う。特別な技術でもなけりゃあ、俺みたいな歳の男は雇うことは出来ないらしい。

それから毎日、歩きに歩いて回るに回り、村中はおろか、隣村まで出掛けて一軒一軒頼み込んだ。やっぱり何処も返事は一緒だ。まるで俺が来たら断るようにという決まりでも裏で流されているんじゃあないかと思うほどだった。

俺には特に何の技術もない。俺は十五年間、漁師一本でやってきた。それ以外の技術なんて身に付ける暇もなかった。毎日毎日海へ出て、魚を釣る日々だった。死ぬまでずっと、魚を釣って生きて行くんだと思っていたくらいだ。やっぱり、俺には漁師しかないんだろうか。

隣の隣の隣の村まで出掛けた日も、何処からも良い返事が全く得られなかった。その夕方、とぼとぼと海岸を歩いていると、漁師たちが漁から戻って来たようで賑やかになっていた。以前、俺の頼みを断った漁師たちだ。

そのうちの一人が俺を見付けて、「よう太郎、舟は買えたのかい?」なんて言いやがる。買えるわけがないだろう。だいいち買えていないんだから、俺は漁に出ていないんだ。それを解っていて、あいつは俺にそんなことを言ったんだ。俺はむかむかした。俺は馬鹿にされている。

馬鹿にするような奴を相手にする義理なんてない。無視を決め込んで帰ろうと思っていると、そいつは俺に近寄って来て、「俺の舟で働かないか」と言ってきた。「丁度欠員が出ちゃったんだよ。舟が壊れてから太郎が何やってるのか知らないが、どうせ暇なんだろう?しばらく働いてくれよ」

何が"どうせ暇"だ。誰が働いてやるものか。断っておいて、都合が悪くなったからといって一度返した手のひらをあっさり返すんだ。こんな奴は信用ならない。また都合が変わればその都度手のひらを返すに決まっている。妖怪手のひら返しだ。

しかし俺は考えた。今は硬い意地を張っている場合じゃあない。俺は稼がなきゃあならないんだ。父ちゃん母ちゃんを養わなきゃあならないんだ。俺の唯一出来ることは、魚を釣ることだけだ。何年も毎日魚を釣ってきたんだから、その技術には自信がある。自信があることで稼げるんなら、それでいいじゃあないか。

この誘いを断ったならどうなる?これから毎日ずっと、あちらこちらへ出掛けて雇ってくれる場所を探しに行かなきゃあならなくなる。今まで一つも見付からなかったんだ、これからもそう易々と見つかる訳がない。もしかすると、残り少ない蓄えが尽きようとしても誰も雇ってはくれないなんてことだってある。

そうなればどうなる?俺の日々の暮らしどころか、父ちゃん母ちゃんを飢えさせることにもなる。そんなことはだめだ。俺が許さない。だから、これしかない、これしかないんだ。

俺は自分を納得させた。腹の壁にくすぶる苦々しい思いを踏み消して、昔の仲間に頭を下げた。そうして、俺はまた漁師になった。


やっぱり海は最高だ。大きな空の下で、広い海をあちらこちらと回って魚を釣る。海の仕事に戻ってから初めの数日こそは感覚の鈍りを感じていたが、魚を何百匹と釣るうちに以前の腕が戻って来たようだ。

この具合なら、一年も釣っていればまた自分の舟が買えるだろう。舟主は俺の釣り方にいちいち五月蝿く干渉してくるが、それもたかが一年の辛抱だ。自分の舟さえ持てば、妖怪や鬼の下で働く必要もなくなる。自由に魚を釣ることが出来るんだ。

それから数ヶ月、俺は毎日海へ出て魚を釣った。目指すべきものを明確に意識しているせいか、充実した日々だった。舟主が再び手のひらを返すようなこともなく、俺は魚を釣り続け、着々と蓄えは貯まっていった。


季節は巡って、夏になった。外はじめじめとして暑く、蝉はみんみんと五月蝿い季節だ。

俺は夏が好きじゃあない。太陽が燦々と照り付けて走り回って遊ぶのには申し分ないが、子供の頃には遊び過ぎて倒れたことがある。あの時は三日三晩うなされ続けて、目覚めた時には辺りを見回しながら、俺は天国にいるんじゃあないかと思ったほどだ。

一年前の台風のこともある。あのお陰で、俺の舟は木端微塵、それから転落が始まったというもんだ。俺は台風というものが憎くって仕方がない。

おまけに夏には突然嵐が来る。嵐は海を酷く時化させる。時化た海というものは、漁師にとって危険そのものだ。命を失うことだってある。冬は時化続きで出漁出来ない日が何日も続くことだってあるが、夏の時化は何の前触れもなく突然訪れるから怖いんだ。

ずっと前、俺がなりたての漁師で父ちゃんがまだ漁師だった頃、西の方でごろごろと雷さんが鳴っていた日がある。そんな時は誰でもこれから海が時化るものだと思うのが常識だった。

ところがその海に出ると言って聞かない馬鹿な漁師がいた。その漁師が言うには、時化こそ好漁だと言う。何でも時化で荒れた海では潮の流れが変わって、普段滅多に獲れない魚がたくさん釣れるらしい。

みんな事の真偽は知りようがなかったからそれについては何も言えなかったが、それ以前にとにかくこの時化るのが明かな海へ出るのは常識外れのことだ。全員でやめるように説得したものの、その漁師は聞く耳持たず、たった一人で海へと出漁して行っちまった。しばらくして空は真っ暗になり、海は時化に時化た。結局出漁した奴は二度と村へ帰って来なかった。

まあとにかく時化は怖いものなんだ。そんなものを突然持ち込んでくる夏は、俺は嫌いだ。

バレンタインデー

  • 2008年2月14日 16:45

ちょっと聞いてくれよ、ありす。今日は何の日か知ってるよな?2月14日。バレンタインデーだ。女がチョコを渡し、男がチョコを貰う日だ。そんな今日の学校でのことなんだけどさ。

まあ結論から言うと俺は一つもチョコを貰っていないんだ。いや、正確には貰わなかったんだけどな。

ありすも知っている通り、俺は学校一のイケメンだ。俺は自覚してなくても、周りが俺のことをそう認識しているんだ。だからしょうがない。俺はイケメンなんだ。

何でも玉木宏に似ているらしい。去年の入学式の時、周りがざわざわ騒いでいるから何だろうと思ったら、玉木宏だ、玉木宏だって言っている。玉木宏が高校の入学式なんかに来るわけがない。実際周りを見渡してみても玉木宏なんていやしない。それじゃ何で玉木宏だと騒いでいるのかと思っていたら、みんな俺を見ながら言っていたんだ。俺を見て、玉木宏だと言っていたんだ。

俺はそれまで自分が何に似ているかなんて思ったこともない。強いて言うなら、ニワトリに似ていると思っていたくらいだ。それが玉木宏に似ているなんて言われたから、驚いたんだよ。入学式の後にトイレへ行って鏡を見たら、確かに玉木宏だ。背が高くて、鼻筋が通っていて、目が若干垂れていて、見れば見るほど玉木宏に似ている。そうか、俺は玉木宏に似ているんだ。

ただ別に外見が玉木宏に似ているからといって、内面まで素敵だとは限らない。俺は生憎いやな性格の人間でね。それは自分でも自覚している。その上他人と付き合うのが面倒で仕方がない。だから友達は全くと言っていいほど出来なかった。

それが一匹狼のようで逆に良いって言う女もいるみたいで、女には結構好かれているらしい。ありがた迷惑なことだ。これまで何度も、付き合ってください、と告白されたりもした。でも俺は面倒だから、その全てを断ってきた。

それで今日だ。バレンタインデーだ。この日は何か特別な意味を持つ日らしい。恋心に勇気を与えて後押しするんだろう。俺にとっては迷惑極まりない日だ。

朝学校へ行くと、机の上に小さな箱が置かれていた。紅いリボンで結ばれた、サイケな包装の箱だ。俺が手にとって眺めていると、クラスで一番気持ち悪い女がぬっと近付いてきた。俺が気付いてその顔を見ると、目を合わせて赤い顔をしながら「バレンタインのチョコレートです」なんて言ってきた。だからどうした。きっとこのチョコレートにはたっぷりと農薬が入っていて、俺を殺そうとしているんだろう。俺はそんなもの受け取れない。要らない、と言って押し付けて返すと、いいえ貰って下さい、と言って譲らない。らちが明かないから俺は廊下へ出た。

廊下に出たら、今度はガリ勉で有名な女がにやにやしながら俺の前に立ちふさがった。何か用かと訊くと、これまたチョコレートだと言ってハート型の箱を渡そうとする。この女は薬局の娘だと聞いたことがある。惚れ薬でも仕込ませておいて、俺を心も体も虜にしようっていうんだろう。そんなのはごめんだ。要らない、と言って受け取りを拒むと、ひどい、と言って泣いてしまった。ひどいのはどっちだ。俺は無視してトイレへ行った。

男子トイレへ行くと、さすがに女は入って来られない。ざまあみろと思って用を足していたら、隣の便器で用を足し始めた奴がいた。他にも便器が空いているのを、わざわざ隣に立つとは気持ちが悪い。横目で顔を見てみると、坊主頭で体付きの良い野球部のエースだった。そいつは俺を見ていた。用を足しながら、大きな目で真っ直ぐに俺を見つめていた。俺が横目で見ていることに気付いたのか、笑顔になると、渡したいものがあるんだ、と言ってポケットから黒い箱を取り出した。チョコレートだ。俺は背筋がぞっとした。まさか、こいつはばかじゃないか。女からも貰いたくないというのに、男から貰えるわけがない。だいたいこんな状況で渡すなんて、人間としてばかだ。俺は力を込めて小便を出し切ると、さっさとトイレを出て行った。

それからも困った。机や鞄の中に、知らない間に箱が入れられたりしていた。手紙も一緒に差し込まれていたが、読む気にもならない。俺はうんざりして、その全部を後ろの棚に置いておいた。しかしまたしばらくすると、いつの間にか棚に置いた箱が俺の机の中に戻されている。しつこい人間もいるものだ。気持ちが悪いから、全部窓から放り投げてやった。

授業が全部終わって疲労困憊の中帰ろうとすると、校門の前で一人の女が校舎の方を見ながら立っているのが見えた。クラスの学級委員だ。何かのアイドルに似ていて男子の間で人気らしいが、俺は全く興味がない。挨拶することもなく横を通り過ぎようと思ったら、そいつが声を掛けてきた。「今日、この後って暇?」と言うが、俺は暇があったとしても面倒だから誰の誘いにも乗るつもりはない。暇なんてない、と返して帰ろうとすると、待って、と言いながら後を付けてきた。待つものか。相手にするのも億劫だから俺は早足で歩き出した。それでも、待って、としつこいものだから、俺は走って逃げ出した。一分ほど走って、もういいだろうと後ろを振り返ると、そいつはまだ付いて来る。長い黒髪を振り乱して付いて来る。ストーカーだ。こいつはストーカーだ。俺は殺されるかも知れない。

命の危険を感じた俺は、近くの交番に逃げ込んだ。「お巡りさん、助けて下さい」と言って訳を話すと、警察官は呑気に笑いながら「よっぽど君のことが好きなんだねえ」と言う。そんな愉快な話じゃない。俺は刺し殺されてしまうかも知れないんだ。よく聞く話によると、警察は事件が起こらない限り動いてくれないという。俺への対応を見る限りでは、全くその通りだ。でも今は頼れるのは警察しかない。だから俺は必死になって説明した。嘘も方便、相手が刃物を振り回しているとも付け加えた。さすがに刃物が出たら警察も黙っていられないんだろう、渋々嫌々といった調子で、俺を保護してくれると言ってくれた。

それで俺はパトカーに乗って帰って来たんだ。警察官には感謝しきりだ。無事に帰って来られて良かったよ。こうしてまたありすと顔を会わせることが出来て、本当に良かった。

俺は学校で一つもチョコを貰わなかった。本当に貰いたいと思う相手の他には、誰からも貰いたくないからだ。俺が貰いたいと思う相手は、ありす、お前だよ。


『魔法忍者少女ありす、ここに見参!』

本当は解っている。ありすなんてこの世界には存在しないんだということを。しかしありすが存在している世界は、どこかに必ずある。そしていつの日にか、俺はありすと巡り会えるのだ。俺はそう思っている。

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