茨城症候群
茨城症候群
- 2008年1月29日 01:23
- UFO
「いいかい。国道をここからまっすぐ行って、山へ続く小道を上ってちょっと行くと、もう今は廃墟になった遊園地が見えてくる。敷地は管理区域で普通には入れないんだけど、高い観覧車がまだ建っていて、柵の向こうに見えるはずだよ。遊園地は確か十年前くらいに廃業したんだっけな。まああんな場所に遊園地なんて建てたのが悪いんだよ。あそこはね、そもそもの土地が悪いんだ」
「土地?」
「まあここら辺の人じゃない限り知らなくて当たり前か。明治時代まで、お寺があったんだよ。あの周辺一帯は、全てお寺の土地だったんだ。廃仏毀釈を知ってる?明治の悪名高い、廃仏毀釈。祭政一致の下、仏教を否定して神道にまとめよう、っていう風潮ね。民間にもその風潮は広まって、むしろ拡大解釈されて、寺院がまるで悪の権化であるかのように捉えられることもあった。運動の拡大とともに、お寺の建物が取り壊されて、土地も売りに出されたんだよ」
「寺院の土地だったんですか」
「そう。お坊さんたちの落胆は相当なものだったろうね。何百年も守り続けてきたお寺を、明治政府になった途端半ば強制的に廃寺にされたんだもの。仏教を広める対象の民衆にまで迫害されたんだから。一部は激しく抵抗したらしいんだけど、時代の大きな流れには逆らえず、結局は土地を丸ごと富豪一族に売られてしまったんだ。後世に遊園地を建てたのも、同じ一族の子孫ってわけさ」
「その富豪一族というのが、山本家……」
「うん、常陸山本家といったら、ここらじゃすごい大富豪で有名だったんだ。華族公爵家の分家で、明治に入ってからは色々な事業を始めた富豪だよ。坊さんたちから手に入れた土地も、工場だか何だかの事業に使う計画があったそうなんだけど、結局昭和の戦争の終わり近くまで何にも使われなかった。もったいないね。宝の持ち腐れってやつだよ。もっとも、山本家は他にいくつも広大な土地を持っていたし、事業も複数展開してたいそう儲けていたそうだから、土地の一つを放置していても何の問題はなかったろうけどね」
「山本家はどうしてその土地を活用しなかったのでしょうか」
「常陸山本一族の人間でもない限り、真相は知りようがないね。でも、色々な噂ならあるよ。まあトンデモ話の一種だろうけど。山本家は宇宙人と繋がりがあって、あの土地を宇宙人に貸していたとかね」
「宇宙人?」
「まさか、僕はそんな話を信じちゃいないよ。あくまでも噂だからね。でも、この近辺じゃ戦前から、飛行機でも鳥でもない、空を飛ぶ謎の物体、今で言うUFOを見たっていう人が多いんだ。山の近くに降りるのを見たっていう証言もたくさんある。でもねえ、ツチノコでさえ見つかっていないって言うのに、UFOなんてねえ」
「UFO……。それで、山本家の人々は今は何をしているんですか?」
「山本一族は、今はここら辺には住んでいないよ。あの遊園地が一族の最後の事業。明治の富豪だった山本家は、もう没落しちゃったんだ。昭和のバブルもはじけたし、相続税も払うのに苦労したくらいだそうだしね。遊園地が廃業になってから、揃って東北の方へ移ったって聞いたね」
「東北で何をやっているかはご存知ですか」
「あいにく僕は郷土の研究家であって、常陸山本家の研究家じゃないからねえ。そこまでは知らないよ。ああ、でも一つ言っておくよ。……あまり山本家に深く関わらない方がいい」
「……それは、どうしてでしょうか」
「それは言えない。ただ言えるのは、関わった人間はみんなおかしくなってしまうということだ。心も体も。茨城症候群、って僕たちは呼んでいるんだけどね」
「茨城症候群」
「もう十五年前だったかな。強い不定愁訴や強迫観念に苦しめられる人々がこの近辺で現れ始めたんだ。でも彼らに共通して見られるような症状はなかった。共通点は、ただ茨城の人間であるということだけ。それで患者たちを診た大学のドクターが茨城症候群と名付けられたんだよ。当時は新しい公害かと地元で騒がれたこともあったんだけど、公衆衛生学の権威が調査を行った結果、それは否定された。原因は不明のまま、茨城症候群という名前だけが残ったんだ。ただもう一つ、決して公にはされない裏の共通点があったのさ。常陸山本一族の人間と、何らかの深い関わりがあったということ」
「関わっただけで気がおかしくなるなんて、通常では考えられませんね」
「医学的にはそうさ。でも普通の人々の感覚ではそうじゃない。健康番組で納豆がいいなんて聞いたら納豆を買いに走る人たちだからね。常陸山本家と関わると祟られる、なんて噂が一旦広がってしまうともう止められない。それが何の根拠もなくてもだ。信じる人は信じてしまうんだよ。結局山本家が運営していた遊園地も、その噂のお陰で根も葉もない新しい噂は立てられるわ、来園者数は激減するわで、閉園を余儀なくされたんだ」
「まるで廃仏毀釈と同じですね」
「そう。普通の人々は普通でいるようで、普通じゃないんだ」