茨城症候群

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ねこ鍋

  • 2007年9月28日 22:07

nekonabe

  • 2007年9月29日 20:08

あと一息なのに、たった一息、それが、大変に鬱陶しい、まるで、自分が底の深い落とし穴へ落とされて、真っ暗な底から、かすかに光のこぼれる真上、穴の出口を見上げると、誰の姿も見えず、ただ愉快な笑い声、嗤い声が、この耳へ響いて来るのみで、自分はそこへ向かって、おういと懸命に叫ぶ、おういと叫び出た声は、穴の壁と反響し、音は螺旋状になる、そして穴の出口へと伝わるはずなのだが、誰も、何も、この必死の声には応えようとしない、そこで向こうから来る気配もないのなら、こちらが穴を這い上ってやろうと図る、見ていろ、今に見ていろ、這い出て驚かしてやる、そう思って上ろうとする、ところが穴の壁には足場もない、ただの柔らかい土かと思っていた壁は、ただの冷たいコンクリートで、足は滑る、体ごと滑り落ちる、どしりと鈍臭く尻餅をつく、また上る、また尻餅をつく、上る、尻餅、上る、尻餅、そう繰り返す内に、ああ、俺はもう、この穴からもう、一生出ることが出来ないんだな、一生をここで終えるんだな、そんな虚ろな諦めと絶望に全身を襲われて、穴の底で手足も人生も投げ出す。

おいこの野郎。俺がどんなに苦しいのか解ってンのか。ケラケラケラと嘲笑いやがって、俺の顔がそんなに面白いか。笑い狂って笑い狂って、仕舞いにはそのまま最高の笑顔で高速道路の車の川を横断しちまえばいいんだ。俺はその様子を見ながら、最高の悲嘆を以て涙を流してやるから。


「なあ兄ちゃん、なんで蛍すぐ死んでしまうん?」

ホタルはせいちゅうになったらなにもたべないからです。


しかし一生をこの穴の中で過ごせるだろうか?まず無理だろう。まず衣食住が満たせない。穴が住だろうが何でも構わないが、どんなに俺がプラス思考の人間であっても、この狭く暗い穴の中では食べ物には困らざるを得ない。

ちょうど、足下を何かがうごめいている。ムカデだ。世間で忌み嫌われるムカデであっても、よく見れば可愛く思えてくる。同志、そう、これは気の合う同志じゃないか。このムカデも、この俺も、その命が果てるまでこの穴を出ることはないだろう。一蓮托生。さあムカデよ、この先どうするか共に考えようではないか。

味はない。海老の足のような口答えならある。ムカデは外見通り、美味しくない。焼けば別なのかも知れないけれど、これは生で食べるものじゃない。不味い共食いの初体験だった。唾液を溜めるだけ溜めて、ムカデ色の口の中を濯ぐ。もうムカデなんて一生食べてやるものか。

「おーい」

突然そんな素ッ惚けた声が聞こえたと思うと、上からするすると細い糸が垂れて来る。誰かが俺を救いに来たのだ。誰か。こちらが必死に助けを求めても、誰一人として何の助けも寄越さなかったことを考えると、上におわすお方はまさにお釈迦様だ。お釈迦様に違いない。すると、お釈迦様がお垂らしになった細い糸となると、これは噂に聞く蜘蛛の糸なのだろう。俺はカンダタになってしまったのかも知れない。

ムカデは死んだ。俺が食べた。ムカデを哀れむ心が、お釈迦様をして俺に糸を遣わせたのだ。ムカデの糸とでも言うものだろうか。何とも慈悲深いお釈迦様だろう。有り難や有り難や、羯諦羯諦、アーメン。

さて糸を伝い上ってやろうと思うと、糸がまだするすると垂れて来る。穴の底には巻けるほど糸が垂れているのにも関わらず。なるほどこれは用心深いお釈迦様のことだ。きっと途中で糸が切れることを心配して、余分に糸をお垂らしになっているんだろう。糸が垂れ切るまで、余計なことは考えず一眠りすることにした。

さて目覚めると、糸は垂れていなかった。自分の周囲360度を見渡しても、糸はない。光の加減で見えないのだろうと手をあちこち動かしても、糸はもうない。困った、これじゃ外へ出られないじゃないかと思い、慌てていると、尻の辺りに何か触るものがあった。糸でも何でもない、ただのロープだった。

暗い穴の底。孤独。絶望。ロープ。


「なあ兄ちゃん、なんで蛍すぐ死んでしまうん?」

ホタルはせいちゅうになったらなにもたべないからです。

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