茨城症候群
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- 2007年7月 1日 14:39

わたしは鼻くそをほじくり出すのが大好きで、暇なときにはたいてい鼻をほじくり回しています。そうですね、鼻くそが大好きだというよりも、鼻をほじくるという行為が好きなんです。だって鼻、気になるじゃないですか。鼻で息をするとき、詰まった感覚がするのがとても嫌なんです。わたしはいつでも鼻をスースーと風通しよくさせていたいんです。鼻の通りが悪いことは許せません。風邪なんかで炎症を起こして鼻が詰まった時は生理的現象なので仕方がありませんが、通り道を邪魔しているのが鼻くそだったらそれを取り除くことは可能です。ですからわたしは鼻に鼻くその存在を感じたとき、徹底的にそれをほじくり出します。そして本来の風通しのよさを手に入れるんです。わたしはその手段として、鼻をほじくることに一種の快感を覚えているんでしょう。
わたしと同年代の普通の人たちは、わたしほど頻繁に鼻をほじくることはしないと思います。他の人たちが鼻をほじくることを見たことがないんですから。もちろんわたしだって人の目を気にしますから、人が見ている前で堂々と鼻をほじくることはしません。でもわたしは人の見ていないところであれば、それがほんの一瞬であってもその隙に鼻をほじくっているんです。例えば学校の授業で、始まりと終わりに教師に向かって礼をしますが、わたしはそのときに他人よりも深く頭を下げます。体に接するほど深くおじぎをして、0カンマ数秒、その一瞬です。迷いなく人差し指を鼻に突っ込んで、鼻くそを掻き出すんです。それ以外にもまばたき一つの時間で鼻くそをほじくる機会は数知れません。でも決して誰にも見つかりません。自信はあります。
しかしその反面、わたしはこの行為が一体どこまで行ってしまうのか自分で気がかりになることがあるんです。今でこそ人前では鼻くそをほじくることはしませんが、いつ何が起こるか分かりません。何かの機会につい人前で鼻くそをほじくることを披露してしまったとき、ストリーキングのような快感を覚えて病みつきになるのかも知れません。あるいは同じ鼻くそをほじくる趣味のある人間と偶然にも友人となってしまい、互いに趣味を高めあおうという空気に支配されて世界へ同志を探しに行くことになってしまうのかも知れません。わたしは鼻くそをほじくることは確かに好きですが、それを一生の仕事とするつもりはないのです。
この前わたしはそのことで悩み落ち込んでしまいました。わたしはそのときも無意識のうちに鼻くそをほじくっていたんです。それに気付いてわたしはさらに落ち込みました。もうわたし一人の力ではどうしようもない、そう思ってわたしは兄に相談しようとしました。
しかしわたしが見た光景は、わたしを閉口させました。居間では、父と兄がテレビを見ながら鼻をほじくり回していたんです。ちょうど人差し指と中指の二本の指をV字の形にして、そのまま鼻へ奥深く突っ込んで細かく動かしていました。父はそのままHAHAHAと大笑いなどしています。その様子を見て、わたしはどうしようもない深いショックを受けました。もう相談する気も失せてしまい、無言で自分の部屋へ戻ろうとしたとき、わたしはさらに衝撃を受けました。すれ違った弟が、歩きながら鼻をほじくり回していたんです。両手の小指から親指まで使い、順番に両方の手の指を両方の鼻の穴にスポスポとリズムよく突っ込んでいました。笑いながらへらへらと鼻をほじくる弟を見て、わたしはどうにも気分が悪くなり、ふらふらとすぐそばの部屋に倒れ込むようにして眠ってしまいました。
それからどれくらい時間が経ったか分かりません。夜になっていたんでしょうか、目が覚めると、わたしは真っ暗になった部屋で母の仏壇の前に横になっていました。窓から入るわずかな明るさに照らされた母の遺影が目に入ると、わたしは急に母のことが恋しくなり、さめざめと泣き出しました。優しかった母はもう五年前に亡くなりましたが、家族で唯一わたしの話を理解してくれる母がいなくなってから、わたしは家族の中で楽しい話で笑っていても紛れることのない寂しさを感じるようになったんです。決して兄弟や父に無視されているわけでも、孤立しているわけでもありません。ただわたしの隣にあった暖かな存在が突然消えてしまったことが、受け入れられなかったんです。
今も母がもし健在だったなら、鼻をほじることについて悩んでいるわたしにどんな言葉を掛けてくれたんでしょうか。しかし"お母さん、お母さん"と心で叫んでも、声で叫んでも、優しい言葉を掛けてくれたはずの母はどこにもいないんです。写真の中で笑う母に必死に呼び掛けても、何も返ってきやしません。
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