茨城症候群
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マネキン
- 2007年6月24日 23:02
私の友達に、変な人がいました。"いました"、つまり今はもう私と彼女とは、友達でも何でもない、知人ですらありません。私はもう彼女と連絡を取るのを止めてしまったんです。なにしろ彼女は本当に変な、不気味な女性だったんですもの。
私と彼女との出会いは、高校の時に席が隣になったことがきっかけでした。彼女はクラスの女子の中でも最も背が高く、同性の私から見ても目を惹くような整った顔立ちと、透き通るような白い肌、長くて黒い綺麗な髪を持っていました。モデルのようなその容姿でしたから、男子の間で人気があったのは間違いありませんね。休み時間には、彼女はいつも教室の窓際に腰掛けて読書をしていたんですが、時折風が吹いて彼女の長い髪がたなびくと、私はその美しい光景に思わず溜息を吐いたほどです。私はおそらく、いえ、確かに、彼女に対して憧れに似た感情を抱いていました。
高校二年生になり初めての日に、私は彼女と初めて会話をしました。何気ない会話だったんですが、彼女の上品な話しぶりが今でも深く印象に残っています。きっと頭も良いんだろうと感じましたが、実際に授業でも先生からの質問に対してもよどみなくはきはきと答えていましたし、新学期早々に行われた学力テストでも彼女の名前が成績の学年上位者の一覧に載るほどでしたね。成績優秀で容姿端麗な彼女と、特に何の取り柄もない私。私は自分と彼女との間に大きな違いを感じ、初めこそ心苦しさを感じていたんですが、次第に仲が深くなるにつれて彼女が意外に私にとって柔らかい人間であると知り、互いに打ち解けるようになりました。
高校の間は彼女に対して特別な不気味さを覚えることはなく、むしろ非常に良い印象を抱いていました。強いて言えば、彼女には変わった趣味がありましたが、人間なら誰しも他人とは少し変わった独特の趣味を持っているのが当然でしょうから、当時の私にとってさして気になることではなかったんです。今から考えれば、彼女のその変わった趣味が大きく成長し、奇妙な趣味へと変貌していったんでしょうかね。
彼女の変わった趣味、それは、和洋問わず古い人形を集めることでした。高校の頃、彼女の家に初めて遊びに行った時のことです。私は彼女の家へ行く途中、おそらくきっと同年代の女子なら誰でもするように、彼女の部屋を心の内で想像していました。頭も体もスマートな彼女のことですから、きっと部屋も都会的で洗練されたものに違いない、そう確信していたんです。ところが、それは私のとんだ思い違いでした。
彼女に案内されて私が彼女の部屋に入った途端、私は冷たい違和感を覚えました。薄暗い部屋の中でまず目に入ったのが、ところどころ繊維のほつれた真っ赤な着物を着てこちらを寂しげに見つめる、両方の手のひらに収まるほどの大きさの少女の人形でした。その肌は透き通るように白く、またその髪は長くて黒く、ちょうどその持ち主である彼女にそっくり…本当にうり二つのようでした。私はぎょっとして後ろにいた彼女を振り返り見ましたが、そこで私はさらに驚くことになったんですね。部屋の扉の横には、人間と同じくらいの大きさの洋人形が、物憂げな青い目で部屋の空間の一点を見つめていました。薄い茶色の髪のその人形は、色褪せた蒼いドレスを身に付け、自身の心臓の動きを確かめるかのように片手を胸に当てていましたね。もう片方はとよく見ると、片腕がありません。これはとても奇妙でしたね。
その二体の他にももう五体ほど人形がありましたが、いずれも時の流れを感じさせるほど古びたように見えるものでした。古びてはいますが、汚らしくはありません。おそらく気の細やかな彼女のことですから、毎日のように手入れをしていたんでしょうね。それを裏付けるかのように、私の前で彼女は自身にそっくりな、私を寂しげに見つめていた人形を大事にそっと抱きました。猫好きな飼い主が愛猫を抱くというよりも、母親が息の絶えそうな赤子を抱く、そんな光景を思い浮かべました。彼女と人形たちとの間には、一種の不幸なものが感じられたんです。
私にはその不幸な何かというものが一体何であるかは分かりませんが、それを彼女に直接問うことも憚られましたから、当時はそのままのものとして受け入れることしかできませんでした。絶交状態の今となっては、それが何なのかはもう知ることができないでしょう。しかしそれは必要以上に気にしてはいけないことなんですよ。誰にでも、そういった他人には理解されがたい面を持っているんですからね。
大人になってからこそ、私はそのことを強く心に留意するべきだったのかも知れません。しかし私は愚かでした。あまりにも愚かだったんです。ああ、実のところ、私は彼女と絶交に至ったことを心の底では後悔しているんでしょう。絶交となったのは、本当は私に原因があるのかも知れないんです。それを認めたくないが故に、私は彼女が奇妙な趣味を持っていることを余計に誇張している。きっと、きっとそうです。私は悪い女です。
高校、大学と卒業してからも、彼女との親密な付き合いは続いていました。毎年の旅行には一緒に行きましたし、成人してからは毎週のように酒を共にしたものです。紛れもなく、互いに親友と呼べる仲でした。そしてある日、彼女から連絡があったんです。「紹介したい人がいるから会って欲しい」と。紹介したい人というのは、つまり一生を誓い合った人のことであると当然思うことでしょう。大好きな親友が結婚する、これだけでもう私も幸せになれることなんです。私は嬉しくてたまりませんでした。精一杯のお祝いの菓子折りを持って、彼女とその婚約者に心を躍らせながら会いに行きました。
都内のデパートに就職していた彼女は、アパートを借りて一人暮らしをしていました。彼女のアパートへ行くのは初めてでしたから、高校の頃にやはり初めて彼女の部屋を訪れた記憶を思いだし、私は一人で懐かしさを感じていました。まだ人形の趣味は続いているのかな、いやもう卒業しているんだろうな、とまた別の楽しみを感じながら、私は彼女の部屋のインターフォンを押しました。ドアが開くと、そこには幸せで一杯の彼女の笑顔が現れました。
笑顔に押されるようにして部屋のリビングに通されると、そこには一体の人形、いえ、マネキンと言った方がいいんでしょうか、大きな男性のマネキンが横を向いて座っていました。売り場で見掛けるような、つやつやとしたマネキンですね。そして、高校の時に見たあの人形たちも、当時と変わらない格好のままリビングを囲むようにして存在していました。ああ、やはり彼女の趣味は変わっていないんだな。私はほっとしたような、一方では呆れたような、そんな気持ちで椅子へ座りました。しかし、肝心の婚約者の姿が見あたりません。"紹介したい人"が"婚約者"であるというのは、またもや思い違いだったのかも知れない、そう思って私は彼女に婚約者はどこかと訊ねました。
返ってきた言葉に、私は戸惑いました。彼女は、私に紹介したい人は「すぐ目の前にいる」と言ったんです。私の目が確かであれば、目の前にあるものはマネキンです。一寸も動きもしません。ただ横にいる彼女を向いて座っているだけのマネキンです。これが、彼女が私に紹介したい"人"だと言うんですよ。
私はおかしくなりました。彼女は高校の頃から少しも変わっていない。変わっていないどころか、マネキンを婚約者だと言うまでに"成長"していたんです。何のジョークのつもりなんでしょう。彼女の方を見ると、彼女たちは同じ指輪を左手の薬指にはめ、彼女はマネキンを可愛らしく幸せそうに見つめ、それに答えるかのようにマネキンが彼女の方を向いている、正確には向かされているんでしょうが、その様子は本当に滑稽なものでしたね。そして私は思わず大笑いをしてしまったんです。人生に一度あるかないかの大笑いでした。
私の笑い声は部屋中に響くほどでしたが、ただそれだけが虚しく響き渡っていることに気が付いたんです。彼女が静かになり、その表情が険しくなっているのを見て、私は笑いを収めようとしました。しかし笑いというものはそう簡単に収まるもんじゃないんです。だってマネキンと結婚って、どう考えたっておかしいじゃないですか。しばらく大笑いが尾を引くようにヒィヒィ言いながら落ち着いていきましたが、彼女の方は逆に落ち着きがなくなってしまったようでした。どうも強く怒っていたんです。私を鋭く睨みながら、体を小刻みに震わせ、顔を真っ赤にさせ、そして立ち上がって叫びました。「出て行け!」と。
私は部屋から蹴り飛ばされながら追い出されて初めて、彼女が本気でマネキンと結婚するつもりだったのだと悟りました。そして全身の力が抜け、へなへなとアパートの廊下に座り込むと、真っ白な悲しみが心の内からじわじわと身体中に広がったんです。確かにマネキンと結婚を考えるなんて、普通では理解しがたいことには違いありません。でも、私の親友だった彼女は、その理解しがたいことを本気で考えていたんです。それを、私は受け入れることができなかった。馬鹿にするように、笑い飛ばした。当然、彼女は傷ついたことでしょうね。
それ以来、私はもう彼女とは連絡が取れません。謝罪しようにも、一体どのようにすれば良いのかも分からないんです。十年の親友をたったの一瞬で失った、これは本当に辛いことです。高校の頃の彼女との楽しかった思い出は今でも忘れることはありませんが、その頃の彼女の笑顔を思い出すと、どうして彼女の趣味を受け入れてあげなかったのだろう、ただ少し変わっていただけなのにと、私は暗い部屋で一人肩を震わせて泣きながら自分を強く責めるんです。
今頃、彼女はどうしているんでしょうか。やはりまだあのマネキンと、二人で暮らしているんでしょうか。夜は二人きりで向かい合って食事をして、同じ寝室で寝たりしているんでしょうか。ええ、やっぱり、滑稽ですね。彼女とマネキンがそうしている様子を思い浮かべただけで、またあの日のように大笑いしてしまいます。普通じゃないものは、どうしてもやっぱり普通じゃないんです。
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