茨城症候群

Home > injection

injection

  • 2007年5月29日 21:22

痩せこけた貧相な青年が一人、蒼白い顔をしながら私の診察室へ慌てたように飛び込んで来た。

「助けて下さい。ほんと、助けて下さい、先生。

夜は眠る時間だということは分かっています。実際、僕も寝床に就いているんです。布団を被って、目を閉じるんです。そして、意識が僕の身体から離れてどこか遠く、夢の世界というものがあればそこかも知れません、とにかく苦痛だらけの現実とは全く関係ない所へ飛んで行くのをずっと待っているんです。

けれど、眠れないんです。目は冴えたまま、頭も覚醒したまま、夜が明けて鳥のさえずりが聞こえるまで、僕はひとときも眠れずに布団の中で無駄な時間を過ごしているんです。毎晩毎晩この様子ですから、この十三日の間、僕は眠りというものを全く知りません。

そのうち睡眠不足で死んでしまうのではないかとも思っていますが、睡眠不足で死亡した例というものは聞いたことがありません。いくら何日間も眠くならないといっても、人間ですから限界というものがあるはずです。きっと身体が限界に至る前に眠くなり、目出度く眠ることができるんでしょう。

でも、僕は眠くならないんです。眠れずに夜を明かしても、昼間に眠気が僕を襲うこともありません。そうして一日中眠らず、またその夜も眠れず、その次の昼も眠くならず、その次の夜も眠れず、…。この忌々しい不眠サイクルを繰り返して、僕は十三日間、延べ三百十二時間を鬱々と過ごして来ました。

今日も眠ることができなければ、明日でもう十四日、二週間にもなります。これはどういうことなんですか?これは何かの罰なんですか?罰だとしたら、こんな酷い苦しい罰に似合う罪な行いを、僕が一体いつどこでやってしまったと言うんですか?

自分で言うのも甚だ愚かしいことですが、僕は一生懸命に、真面目に、忠実に生きて来たつもりです。"他人に優しく、自分に厳しく"をどこまでも愚直に実践して生きて来たんです。それがどうして。どうしてこんな仕打ちを受けることになるんですか。

こんなことになることが分かっていたのなら、初めから善い人間になろうなんてこれっぽっちも思わなかったことでしょう。どうせ同じ辛さを味わう羽目になるのなら、自分を律して生きるなんて馬鹿のすることです。僕は自ら好んで馬鹿になるような人間じゃありません。

ですからお願いです、先生。眠れない可哀想な僕をもういい加減眠りに就かせて下さい。ぐっすりと眠れる薬でも何でも使えるんでしょう?今すぐ、早く僕を眠らせて下さい」

青年の訴えを聞いて、私は小さな溜め息を吐き、助手を呼んだ。助手はにやにやしながら、隣の部屋からこちらへ向かって来て、私の耳元で囁いた。

「今夜はお祭りですね」

「ああ」

Home > injection

Return to page top